EP 2
ポポロ村街道の野盗と、飴玉を齧るハードボイルド商社マン
鬱蒼とした原生林を抜け、少しずつ開けた土の道が見えてきた。
見習い女神リリスの案内により、俺たち二人は緩衝地帯である「ポポロ村」へと向かって歩を進めていた。
「ふぇぇ……義正さん、歩くの早いですぅ。私の短い足じゃ追いつけませんよぉ……」
「文句を言うな。たかだか数キロ歩いただけで泣き言を喚くから、てめぇは先輩女神に100万もの不良債権を押し付けられるんだ」
「うぅ……正論すぎて反論できないですぅ……」
ピンク色のジャージに初心者マークを貼り付けたリリスが、肩を落としてトボトボと背後をついてくる。俺はその情けない姿を横目に、手の中にある鈍色のエンジェルすまーとふぉんを弄っていた。
先輩女神ルチアナから譲渡されたという、ユニークスキル『コンビニ』。
先ほどから歩きながら密かにテストを繰り返していたが、この能力は商社マンの常識を覆すほどの異常なポテンシャルを秘めていた。念じるだけで、現代日本のコンビニエンスストアに陳列されているあらゆる商品が、俺の手元に「原価ゼロ」で転送されてくるのだ。
物流コスト、ゼロ。製造原価、ゼロ。関税、ゼロ。
異世界という完全に分断された市場において、現代地球の高度な加工食品や日用品を無尽蔵に独占供給できる。これは単なる魔法ではなく、完全なる経済チートだった。
「……待てよ。この世界の貨幣価値なら、100円の缶コーヒーでも金貨数枚に化けるはずだ。99万の負債など、あっという間に完済できるどころか、莫大な黒字を生み出せるな」
俺の頭の中で冷徹な算盤が高速で弾き出される。やはり、この駄女神を拾ったのは正解だった。
そんな圧倒的な利益計算に口角を吊り上げていた矢先、前方の街道からけたたましい怒声と、悲痛な叫び声が響いてきた。
「ヒャッハー! 諦めな、小娘! 身ぐるみ剥いで金目のものを置いていきな!」
「ひ、ひぃぃっ! やめてくださいませ! 私、お金なんて一銭も持っていませんわ! 今日のご飯は道端の雑草サラダなんですのよおお!」
声のする茂みの先を覗き込むと、薄汚れた革鎧を着た三人の野盗が、一人の少女を円陣で取り囲んでいた。
少女は年齢にして十六歳ほど。どこかの学校の指定ジャージのような、ひどくダサい『芋ジャージ』を身に纏っている。一見するとただの人間だが、耳の形がヒレのように尖っており、彼女が人魚姫であることを示していた。
「ふぇ!? よ、義正さん! 野盗です! 関わったら殺されちゃいます、逃げましょう!」
リリスが俺のスーツの裾を力いっぱい引っ張る。
だが、俺は逃げるどころか、ゆっくりとネクタイの結び目を緩めた。
「逃げる? 冗談を言うな。未開の市場(村)に参入する前には、現地住民のコネクションと情報が不可欠だ。あの芋ジャージを助ければ、強力な情報源になる」
「そ、そんな商社マンみたいな理由で!?」
「それに――」
俺はスーツのポケットから、先ほど『コンビニ』スキルで取り出しておいた一粒の飴玉を取り出した。
「ガキが野盗に脅されて泣いてるのを、見て見ぬ振りをして通り過ぎるほど、俺は腐っちゃいねぇ」
俺は飴玉を口の中に放り込み、奥歯で挟み込んだ。
――カリッ。
硬い飴玉を噛み砕く、小気味良い音が口内に響く。
この音こそが、俺の中のスイッチ。一切の妥協と手加減を捨てる、本気モードへの合図だ。
「おい、そこのチンピラ共」
俺が草むらから堂々と姿を現すと、下劣な笑いを浮かべていた野盗たちが一斉にこちらを振り向いた。
「あぁ? なんだ手前ぇ、見ねぇツラだな。その妙な服……どこの貴族の坊ちゃんだ? 命が惜しけりゃ、手前ぇも有り金を全部置いて――」
「商談決裂だ。お前らには退場してもらう」
言葉を最後まで聞く必要はない。俺は地を蹴った。
柳生無双流の歩法――それは、重心の移動を極限まで隠蔽し、相手の間合いを瞬時に侵略する無音の踏み込み。
「なっ、消えっ――!?」
野盗の一人が驚愕の声を上げた時には、俺はすでに奴の懐(ゼロ距離)に潜り込んでいた。
錆びた剣を振り下ろそうとする野盗の腕を、下からの掌底で的確にはね上げる。関節の可動域の限界を超えた衝撃に、「ガァッ!」とくぐもった悲鳴が漏れる。
そのまま姿勢を低く保ち、右足で野盗の軸足を刈り取る。巨体が宙に浮いた瞬間、俺は容赦なくみぞおちへ柳生無双流の重い突きを叩き込んだ。
「ごふっ……!」
白目を剥いて崩れ落ちる一人目。
「こ、この野郎!」
残る二人が怒り狂って左右から襲いかかってくるが、ひどく単調で大振りの素人剣法だ。海外プラントの暴動現場でくぐり抜けてきた修羅場に比べれば、止まって見える。
俺は左の男の剣を革靴の踵で踏み落とし、がら空きになった顔面へ裏拳を叩き込む。鼻梁が砕ける鈍い音。ひるんだ隙に、右から迫る男の腕を絡め取り、合気道の要領で完全に極めて地面に叩きつけた。
ほんの数秒の出来事。飴玉の甘さが口の中に広がりきる前に、三人の野盗は完全に沈黙し、地面を這いつくばって呻き声を上げていた。
「ひ、ひぃぃぃっ! バケモンだぁぁ!」
「お、覚えてろよぉぉ!」
腕を押さえ、這うようにして逃げ出していく野盗たちの背中を見送りながら、俺は短く息を吐いた。
「さて……怪我はないか?」
俺が振り返ると、地面にへたり込んだ芋ジャージの人魚姫・リーザが、ガタガタと震えながら俺を見上げていた。
「ひ、ひぃぃ……! 暴力反対! 命だけは、命だけはお助けをぉぉ!」
完全に俺を新しい強盗だと思っているらしい。
俺は小さく溜息をつくと、再び『コンビニ』のスキルを起動した。空間が微かに歪み、俺の手に真っ白なプラスチックケースが握られる。現代日本の規格で作られた、完璧な衛生状態の『応急手当キット』だ。
「暴れるな。膝を擦りむいてるだろ」
俺はリーザの前にしゃがみ込み、応急手当キットを開いた。消毒液を染み込ませたガーゼで汚れを拭き取り、手際よく絆創膏を貼っていく。異世界には存在しないであろう、真っ白で清潔な医療器具と、痛みを伴わない治療に、リーザは目を丸くして震えを止めた。
「あ、あれ……? 痛くない……? 貴方様は、私を助けてくれたんですの……?」
「たまたま通りかかっただけだ。お前、名前は?」
「リ、リーザと申しますわ……。あの、本当にありがとうございます……」
リーザがおずおずと頭を下げた、その時だった。
――きゅるるるるぅぅ。
静かな森の中に、全くロマンチックではない盛大な腹の虫の音が鳴り響いた。
リーザは顔を真っ赤にして、芋ジャージのお腹を両手で必死に押さえた。
「ち、違いますわ! 今のは私の腹の音ではなく、森の妖精さんの鳴き声ですわ!」
「……お前、飯を食ってないのか」
「うぅ……三日前からお水と雑草しか食べていませんの……」
極貧すぎる人魚姫だ。俺は呆れながら、もう一度だけスキルを使った。
手の中に現れたのは、紙の包みに包まれた、レジ横の保温器から取り出したばかりの『本物のホカホカ肉まん』だ。
立ち上る湯気と共に、豚肉とタマネギ、そしてほんのり甘い生地の強烈な匂いが周囲に広がる。
「ほら、食え。胃に優しいかは分からんが、雑草よりはマシだろう」
俺が肉まんを差し出すと、リーザの瞳孔がカッと見開かれた。
「な、なんですかこの食べ物は!? 暖かくて、お肉の匂いがして……ふおおおお!」
リーザはひったくるように肉まんを受け取ると、野生動物のような勢いでかぶりついた。
「はふっ、はむっ! ……美味しいいいいっ! な、なんですかこの溢れる肉汁! ふわふわの生地! あぁぁ、天に昇るような美味しさですわああ!」
熱々の肉まんを涙と鼻水を流しながら頬張る姿は、とても人魚姫には見えない。あっという間に肉まんを平らげたリーザは、指についた肉汁までペロペロと舐め回した後、バッと俺の顔を見上げた。
その瞳には、助けてくれた恩人への感謝というよりも、底なしの富と食料を保証してくれる『巨大な財布』を見るような、熱烈な欲望の光が宿っていた。
「あの! 貴方様は神様ですの!? それとも大富豪ですの!?」
「ただの、元・しがない商社マンだ。義正と呼べ」
「義正様……いえ、違いますわ!」
リーザは地面に膝をつき、俺の高級スーツのズボンの裾にガシリと抱きついた。
「スポンサー様ああ♡」
「……は?」
「私を一生養ってくださいませ、スポンサー様ぁぁ! 私、なんでもしますわ! 雑草生活はもう嫌ですわああ!」
完全に寄生先を見つけた目だった。
後ろで見ていたリリスが「ああっ! 義正さんは私の財布ですぅ! ずるいですぅ!」と騒ぎ始める。
「……やれやれだ」
俺は足元で泣き叫ぶ芋ジャージの人魚姫と、キャンキャン吠えるピンクジャージの駄女神を見下ろしながら、ポケットから愛用の『セブンスター』を一本取り出した。
ブックマッチでシュボッと火を点け、深く紫煙を吸い込む。
異世界でのビジネスは、前途多難な不良債権の処理から始まるらしい。
吐き出した紫煙が、森の青空へとゆっくり溶けていった。
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