3.それは呪いの言葉のように(3)
「(……予想はしてたけど)」
人間が空を掴むことができないように、カルミナの手もまた、どれだけ高く舞い上がっても焦げ付く空に届くことはなかった。
「(あれは一体何が燃えているの……? どうやったら止められるの……)」
足元を見下ろすと、王都の至る所で炎が上がり始めていて、街を守るために兵士や騎士たちが魔物に向かって剣を振り上げ、魔術を放っていた。
「(王都を守護する聖女の魔術防御壁が消えてしまった理由もわからない……このままじゃ私が生き延びたところで、王都が…………)」
カルミナの脳裏に最悪の未来がよぎったとき。
キィィィン……!
「っ!?」
獣の鳴き声ともつかない、まるで超音波のような高音がカルミナの脳に直接響いた。
思わず両手で耳を塞ぐ。
「うぅっ……! な、なんの音……!?」
眼下の王都を見渡してみたが、先ほどと目立った変化はなかった。
……………………まさか……
カルミナはおそるおそる焦げ広がる空を見上げた。
「な、なに、あれ……」
焦げた空の向こう側に広がる闇の中から、鯨のようで、サメのようでもある……けれどもそのどちらとも違う禍々しい巨大な漆黒の魔物が、ゆっくりと姿を現し始めたところだった。
超音波のような高音はどうやらその魔物が発しているようだ。
カルミナは宙を蹴って素早く地面に降り立つと、フィンフィールを攻撃している魔物を焼き払い、彼女の腕を掴んだ。
「フィンフィール! あなたにはあれが見える!?」
空を指差して必死の形相でそう言ったカルミナの指の先を目で辿ったフィンフィールは固まる。
「あ、あれは…………!?」
「見えるのね!?」
「は、はい……空に亀裂が……そこから大きな、魚のような魔物が……!」
「このままじゃ数分もしないうちにあの魔物は王都に到達するはず……! あれを倒せるのは、おそらく王国の勇者であるユアンだけ。私が言いたいこと、わかるわね?」
フィンフィールは泣きそうな顔をしていた。
聖女候補であるフィンフィールには、王国の勇者の位置を把握できる能力が備わっている。
カルミナはフィンフィールに、空の魔物を退治するためにユアンをここへ連れてこいと言っているのだ。
「か、カルミナ様は……どうするおつもりですか……?」
「私はユアンが来るまであの魔物を足止めする」
「ダメです……そんな…………そんなの、カルミナ様が……!」
「ああもう、あなたって子はどこまでも甘っちょろくてうるさいわね、ダメとか無理とか言ってる場合じゃないのよ! 生き延びるためにはやるしかないの! 選択肢なんてないのよ! 早くユアンを探しに行きなさい!」
「カルミナ様!」
フィンフィールの悲痛な声を振り切り、カルミナは再び王都の上空……魔物の前へと舞い上がった。
「王都の聖女ほどの魔術防御壁を張ることはできないけど、私だってそこそこ魔力には恵まれてるんだから」
カルミナは魔物に両手をかざすと、その眼前に分厚い透明の壁……魔術防御壁を何重にも張った。
ドンッと衝撃音がして、大きな物体が壁に当たる振動が空気を通して伝わってくる。
進行を妨げる壁を鬱陶しがり、魔物は口を開けて鳴いた。
キィィィン……!
「うっ……! この高音……鼓膜だけじゃなくて頭までおかしくなりそう……!」
カルミナは必死に指先の魔力に集中し、魔術防御壁を維持する。
バリンッ
魔物に押し負け、魔術防御壁が1枚破られた。
魔術防御壁はその強固さに反し、破られると魔力をごっそり消費してしまう。
カルミナの頬をたらりと冷や汗が伝った。
「ふふ……まだまだ……っ!」
1枚破られれば1枚追加で魔術防御壁を展開する。
魔力効率は確かに悪いが、間違いなくその魔物の足止めになっている手応えはあった。
「私の魔力が尽きる前にフィンフィールがユアンを連れてくれば、私たち人間の勝ちよ!」
バリンッ
…………バリンッ
カルミナの魔術防御壁がまた1枚……また1枚と破られていく。
魔物の耳障りな鳴き声は言葉を持たないものの、明確にカルミナへの苛立ちを含んでいた。
「くぅ……!」
じわじわと削られる魔力に、次々と破られる魔術防御壁、後退していくカルミナは奥歯を噛み締めて小さく唸った。
「(まずい……私の魔力が切れる前に、魔物が王都に到達してしまう……!)」
さらなる魔力を注いで魔術防御壁の厚さを増やしてみるものの、魔物の頭突きはシンプルでいて凶悪だった。
「カルミナ様!」
「!」
地上からフィンフィールの声がした。
見下ろすと、息を切らした彼女は隣に勇者を連れていた。
ユアンはすでに剣に魔力を込めながら魔物を睨んでいる。
「カルミナ様、ここまでありがとうございます。危ないのでお退きください」
こんな時でも冷静で落ち着いたユアンの声がカルミナの耳に届いた。
状況をみたカルミナは自嘲気味に笑う。
カルミナが一瞬でも魔術防御壁を解除したら、この魔物はそのまま王都に激突して街を飲み込むだろう。
「(あーあ、今回の運命はここで終わりかぁ。私にしては結構頑張って足掻けたんじゃない?)」
「…………カルミナ様?」
「ユアン、私ごとこいつを斬りなさい」
「……!」
「カルミナ様!? な、何を!」
フィンフィールが真っ青になってカルミナを見上げている。
勇者は瞬時にカルミナの言葉の意図を理解した。
彼女の命と王都市民の命を秤にかけ、剣を握る手に力を込める。
「よろしいのですね?」
念のための確認に、カルミナは大袈裟なため息をついてみせた。
「はあ。侯爵家の娘である私に何度も同じことを言わせるなんて、勇者といえど失礼よ。できるならさっさとしなさい。王都市民の安全を守るのがあなたの役目でしょう、勇者ユアン」
「カルミナ様! いやです! いかないで!」
「……たったひとりの命に涙するなんて、あなたはどうしようもなく聖女なのね、フィンフィール」
カルミナは魔物を見上げるとふっと笑った。
何度も死んできたけど、この世界で悪役に徹した私の死に、涙してくれる人なんて今まで一度も見たことがなかった。
フィンフィール。
あなたは私のために泣いてくれるのね。
「確かに、あなたが生きる世界は……私が生きる世界よりもずっと価値があるのかもね」
「カルミナ様! 生きて!」
「!」
「あなたの幸せを! あなたが笑顔で生きることができる世界を! 私は祈り続けますから! どうか、忘れないで!!」
「…………ありがとう、フィンフィール」
カルミナは静かに目を閉じた。
次の生があるにしろないにしろ、私はあなたの言葉を忘れない。
ユアンが剣を鞘から抜く。
強力な魔力を纏い黄金に輝くその剣を構え、ユアンはカルミナの背を……その先の魔物を見据えた。
「ありがとうございます、カルミナ様。…………《天墜の光剣》」
光が巨大な魔物を、ひび割れた空を、真っ二つに斬り裂いた。




