第81話 予期せぬ訪問客
特徴的なノック音に続けてガチャリ──開かれた扉からは、金色の髪をふわりと覗かせたミサラが顔を出す。
「アーリナ様、ようやく此方も解放されました。お待たせして申し訳ありません」
彼女はやれやれといった疲れ顔で、ゆっくりと梯子を上って室内へと入る。アーリナの在室時は、こうして秘密の律動を刻むことが一種の約束事でもあった。
だが、現在はそうとも言えない。多くの無法者たちを抱え込んだ今でも、このノックを徹底しているのはミサラくらいのもの。常に礼節を重んじているのも、彼女を置いて他にはいないのだから。
ミサラはアーリナの前で、ふう、とため息をつき、
「こ、これは失礼いたしました」
と、慌てて詫びを入れたが、アーリナだってミサラの苦労は十二分に理解している。当然、溜息くらいで怒ることもない。
ミサラは夜明け前から、レインとあれやこれやと問答しつつ、集会準備に奔走していた。その後も、父の長話を直立不動で訊いていたのだ。
あれはまさしく、校長先生に匹敵する話の長さである。そりゃあミサラじゃなくとも、誰だって溜息くらいはつきたくなるというものだ。
アーリナがミサラに対し、ここまで話した内容をかいつまんで伝えようとしたところ、リアナによって即ダメ出しを受けた。リアナ曰く、端折り過ぎてよく分からないと、姉に代わって上手く要約しながら説明してくれたのだ。
そういうリアナだって、話を短絡しすぎて意味不明なこともあるじゃない──。
不満を覚えつつも、妹が説明している横で、アーリナはどこか嬉しそうに頬を緩めた。
「お姉さま、気持ち悪いですわ」
けれど、ジッと見てたらこう言われた。姉に対してもっと優しくして欲しいのが最近の悩み……。
ともかく、これで一通りの話をミサラとも共有することができたし、ここから円卓会議は大きく前進していく──私とリアナ、ミサラにラドニー、それからモー君とモジャ男。アーリナ陣営が揃い踏み。
「ぎしゃあ?」
そうそう、もちろんバジコだって仲間だ。
◇◆◇
「フフフフッ。その穢れた足で、何を勝手に妾の領地に踏み入っておりんすか──。挨拶もなしに無礼ではありんせんか」
紫に靡いた髪。目の細かい櫛を通して後ろで結い上げると、赤いリボンでおさげ髪を作る。黒のコートに袖を通したポニーテールの若き女が、化粧台を離れて屋敷入口へと歩いていく。
「ルゼルア様、どちらにお出かけでしょうか? 本日は午後より、会合の御予定が入ってございますが」
ドーランマクナの領主であるルゼルア・マクゴナルを、その背後から引き留めた執事らしき男。丁寧な口調に対し、彼女は不機嫌な目で振り返り、男へと詰め寄った。
「あらあらでありんす。ねえルモンド。貴方ほどの男が、よもやこの気配に気づいてないなんてこと、ござんすまいねえ?」
「はい、勿論存じております。昨夜より領内にて潜伏──これの対処につきましては、すでに警備の者を数名向かわせております」
「ほう、流石でありんすねえ。無属性というのに、相も変わらず感知能力には長けておりんす。じゃが、妾は物申す。其方は警備の者をあてたというが、ならば何故、未だこの気配が消えておらぬのか。その訳を是非ともご教授願いとうござんす」
「その必要はない、と、私は思うのです」
「──どなたでありんす?」
そのときだった。扉が開く音も発さず、見知らぬ女の声が彼らの耳を撫でたのだ。
驚いたルゼルアが声の方向に視線を流すと、そこにはフードを深く被った一人の人物が佇んでいた。全身を水色のローブで包み込んだ華奢な女。彼女の手には、六花の結晶を戴く真っ白な杖が握られており、その動向は蒼白く光っていた。
女は淡い緑色の髪を胸元で揺らしながら、ゆっくりとルゼルアの元へと近づいてきた。
「そこで止まるでありんす、不届きな女狐。妾の屋敷に無作法に踏み入るとは」
ルゼルアは毅然とした態度で制止しつつ、執事から一本の杖を受け取った。
天翔ける竜が彫り込まれた武骨なまでの木杖──その杖先を侵入者の顔へと突きつけた。
これに対し、
「女狐、止まる──わざわざ此方から出向いたのですが、この有様とは……。私としては、客人に対するそちらの態度こそ失礼に値する、と思うのです」
女は表情一つ変えることなく、冷静な声音で遺憾を口にした。
両者ともに譲らず、間合いを保ち相対していると、
「しからば、私が参ります」
マクゴナル家筆頭執事であるルモンド・ヴァラスカルが、腰に佩いたレイピアを抜き放ち、燃え盛る切っ先で怒涛の突きを繰り出した。
だが、女は避ける仕草一つ見せずに、無表情のままその場に立ち尽くす。
「なっ、なんですと!」
大抵の敵はこれだけで片がつく──というのも、身体が蜂の巣になっては動ける者などいないからだ。
しかし、ルモンドの苛烈な突きを以てしても、この女には一突きすらも届かない。彼女の全身を包み込んだ水の幕が、一気呵成に攻め立てる彼の攻撃を阻んだのだ。
レイピアの尖端を渦巻く水流が絡めとり、次々と受け流す──肉を抉り斬る、そんな鋭い突きすらも赤子の如くあしらわれる。その刀身に宿した炎すらも、水に飲まれて鎮火し、今となっては煙を上げるのみとなった。
女は体をブルブルと振るって纏った水を振り落とし、ローブに開いた小さな収納から回転羽根のついた魔乾器を取り出した。
「いきなり何なのです。この町では、こういったご挨拶でも流行っているというのでしょうか? と思うのです」
そう不快の声を零しながら、女は体を乾かし始める。
一方、ルゼルアは女の声に、こちらに尋ねているのか、それとも単なる独り言なのか──不思議に目を眇めつつ、ルモンドに下がれと合図を送る。
「もうよい。それより其方、妾の問いに答えるでありんす。先ずは名を、次に目的を述べるでありんす」
ルゼルアが問い、女は変わらず「ブオーッ」と魔器を鳴らし、全身くまなく風を吹かせていた。そして、被っていたフードを脱ぎ、長い淡緑の髪も風に晒した。
「ほっ……ようやっと話ができそう、と私は思うのです」
ここに来てようやく、無表情を貫く唇の端が不自然に吊り上がった。




