第76話 執事改め、下僕レイン
王都を離れたアーリナたちは無事屋敷へと戻っていた。王国騎士団長レイハルク・ロンギヌスとの会談から早一週間が過ぎ、
「台を拭いたら洗う、そしてここに掛ける。何度言ったら分かるんだ、このガサツ女」
「あらあら、何故わたくしがそのようなことをしなければならないのでしょう。雑用は貴方の仕事。そうでしょ? 単なる使用人さん」
台所でいがみ合うミサラとレインの姿も、どこか平穏にすら感じられる──リアナがテーブルに両肘をつき、その手のひらには小さな顎をのせている。彼女はただぼんやりと、その様子を眺めていた。
ところで、ダルヴァンテの執事を務めるレインが、一体なぜ領主不在のこの場にいるのか……。それは、ミサラとともに王都へ赴くためにとった奥の手こそが、彼女の協力にあったからだ。
ラーズベルド王国は領地奪取が法的に認められた国家であり、ダルヴァンテの存在が他領への牽制ともなっている。しかしながら、領主として殻に閉じこもっているわけにもいかず、王都を含め、他領との懇親や取引、密約に至るまで、平和を維持するために自らが率先して動いているのだ。
だからこそ、その留守を託せる者を指名している。ミサラはダルヴァンテ不在の際、領主代理を務めるよう仰せつかっているのだ。
彼女ならば、元王国騎士団三煌聖、かつ、『光の魔剣士』の異名も王国全土に知れ渡っている。フィットリアにとって、これ以上の牽制はないはずだ。
『ミサラの代役、ねえ……』
そこでリアナは考えた。ミサラに匹敵する魔力を誇り、風を自由に操ってどこへでも短時間のうちに駆けつける──そんな有能な執事であるレインを領主代々理に任命しようと。もちろんここだけの内々で。
レインはミサラほど、その名が通っているわけではない。けれど、魔力に限れば全く引けなどとらないだろう。ミサラとレインはいつだって、顔を合わせれば互いに威圧的な態度をとる。その際、解放される魔力は、有能なリアナでさえも身が竦んでしまうほどだった。
さらに今回は特別だ。王都へのお供がどうして自分ではなくミサラなのか、と、レインの胸奥はいつになく憤慨していた。放つ魔力はより一層禍々しいまでに高まり、リアナにとっては願ったり叶ったりの展開であった。
それにミサラだって、何だかんだ言っても彼女の力だけは認めている。『ですが……』と渋りつつも、結果的にはこの提案を受け入れてくれた。
とはいえ、当のレインが素直に『わかりました、お任せを』とお願いを訊いてくれるわけでもなく、リアナは彼女を屋敷へと呼びだした後、ある事実を突きつけた。
『レイン、私は知っているのですよ。貴方がお父様のお部屋で、クンクンすりすりしているのを──』
そう、『すりすりしている』であって『すりすりしていた』ではない。一度や二度のことではなく、レインは頻繁に寝室整理とかこつけて、ベッドの匂いをクンクン、乱れに乱れて脱ぎ捨てられた寝間着にまですりすりしているのだ。
『ち、違いますぅ~! あれは……それ、じゃなくてですね。そう! 生地の確認なのです。寝具が毛羽立ったりしていては、安眠の妨げになってしまいますから』
詰めのリアナにレインは白々しく反論。彼女自身、無理がある言い訳だと思いながらも、何ら証拠は残ってないと腹を括る。
『そう、ですか。じゃあ、この魔映器に映っているのは、一体誰なのでしょうか』
しかし、そこは抜かりないリアナ。手のひらに乗せた真四角の器。証拠としてこの魔映器の中に、刺激の強すぎる衝撃映像を収めていたのだ。これには然しものレインも大慌てだった。
結局、この痛い秘め事を内緒とする代わりに、レインはリアナの教育係から下僕へと転落した。マグークス滞在中のダルヴァンテには、適当な理由をつけてどうにか誤魔化してもらい、ミサラに代わってここに残ってもらったのだ。
「はあ……」
リアナがこれまでの経緯に思いを馳せていた頃、アーリナは深い溜息を天井に浮かべていた。彼女にしてみれば、王都への遠征自体は成功したが中身としては不成功。だって【王都限定】クリームたっぷりの苺パフェを食すどころか一目見ることすらも叶わなかったのだから。
そのうえ当初は、秘密裏のはずが盛大なる身バレをしてしまい、王国騎士団長にすら認知されてしまったことに絶望を覚えていた。
このままでは、魔技大会に素性を隠して参加するという目的そのものが危ぶまれる──がしかし、その点についてはミサラが解決済みだ。
『両耳をかっぽじって、よ~く訊いておけ。もしも貴方が、アーリナ様の正体を明かし、更には魔技大会への出場を拒んだ場合だが──』
『こ、拒んだ場合……どうなる?』
『その自慢の品のない髪、前から後ろまで斬り落としてくれる』
『き、斬り落とす、とな……ハ、ハハハハ……』
彼女は高圧的に迫り、レイハルクの心どころか血の気までをも引かせていた。まったく、現王国騎士団長を相手にして敬意のけの字もない、怜悧冷徹な使用人だ。
だがそのお陰で、この度の騒ぎはレイハルクの心の内に留め置き、その見返りとして王都で知り得た全ての事実を騎士団と共有することに同意した。
アーリナたちは揃ってテーブルにつき、皆で夕食をともにする。一先ず、王都に行った件について知るのはここにいる者たちに限られている。
席にはアーリナとリアナをはじめとして、ミサラにレイン、それに隠し居候のザラクまでもがついている。そのザラクについては、ミサラは当然知っているが、レインは「誰?」と不機嫌に目を細めていた。
「えっと、あのね、レイン……」
アーリナの口から零れた、親を亡くして云云かんぬんという作り話。それを訊いたレインは、
「ザラク君、気を強く持つのですよ。貴方の隣にいる、たしかミサラでしたか? そのような不遜な女まで、図々しくものうのうと生きているのです。貴方が自らの道をしっかりと見定めるまで、私も口を噤んでおくことにいたしますわ」
こんな具合に呆気なく陥落し、涙ながらにザラクの右手を両手で優しく包み込んだ。
「おぅあぁ~。そ、そりゃあその、ありがちょ、ござ……」
向けられた女の目に、ザラクは激しく動揺した。発した言葉は拙く、顔は茹蛸よろしく沸騰した。
バシンッ──その直後、ザラクの頭が前に倒れた。
「腑抜けた顔をテーブルに並べるな。料理が不味くなる」
ミサラが不機嫌そうに、彼の後頭部をバシンと叩いて睨みつける。
天国と地獄のコンボ。ザラクが「痛ってえだろうが!」と後ろ頭を押さえて突っかかるも、ミサラはザラクを押し返し、真剣な声音で皆に語りかけた。
「つい先ほどダルヴァンテ様から連絡があった。明日の夕刻までには戻られるとのことだ。それとリアナ様。あとレイン。私たちに話があるとのことだ」




