第75話 ラーズベルドの巨人
かつてこの地で、混沌とする世界に光を齎したとされる神話上の巨人グランファルナス──その名を冠する由緒ある王城の一室では、団長レイハルクとクルーセル姉妹の会談が行われている。
そして時を同じくして、レイハルクが直前まで訪れていたマグークス領では、今もなお、領主ギアント・マグナヴァとフィットリア領主ダルヴァンテ・クルーセルの対談が行われていた。
「ふんっ。我が領地に手をかけようなどと画策するは愚の骨頂だり。我、かの巨人グランファルナスの血筋を引く者だり。この巨躯はラーズベルド王国の盾、そしてこの膂力は敵を屠る矛だり。たとえ雷神ライアットであろうとも、我の敵に非ずだり」
硬く引き締まった印象の濃紺の髪は天を衝く怒髪天。深海の如き瞳もまた蒼い炎が揺らめいていた。身に纏った毛皮の外套。その焦げ茶を脱ぎ捨てながら立ち上がり、筋骨隆々な両腕を露わにした。
「あ~、あの男めだり。如何にしてくれようだり」
領主マグナヴァ候の心は猛っていた。忍び寄る、シュトラウス領主ジェルドマン・ライアットの魔の手。その企みを知らされたのだから当然ともいえよう。
「我が怒りを例えるならばこうだり。大層美味い米を食うて浸っておるというのに突如だり、頭をよしよしされたらどう思うだり? 言うまでもなく不快だり。無論わかるだり? クルーセル候」
「ええ。その不快感、わかります……」
これからシュトラウス領にどう対処すべきか、と同じくらい、マグナヴァ候に対してもダルヴァンテは困っていた。
彼はマグナヴァ候に話を合わせてはいるものの、ところどころでいまいち話の内容を掴めずにいた。その理由は、いちいち例えの癖が強すぎるのだ。そもそも美味しい食事の最中に頭を撫でるとは、子供ならともかく、大人がされたらどう思うのだろうか? 今、こうして同意を求められたダルヴァンテのように、複雑な気分を抱くのではないか……これを、怒りと呼んでもいいのだろうか?
マグナヴァ候が再び椅子に座り、代わってダルヴァンテが腰を上げた。ダルヴァンテはゆっくりとした足取りで一際大きな窓へと向かった。
「これは素晴らしい。心が洗われるかのようだ」
そこから見える雄大な景色に、彼は安堵の一息をついた。風光明媚なマグークス領。フィットリアの南方かつ、大陸最南端に位置する自然豊かな土地。王国随一の面積を誇り、肥沃な土壌に豊富な水源に恵まれた、我が国きっての穀倉地帯である。
遠くに見える山脈も色とりどり。木々の色づきもさることながら、その麓には鮮やかな果樹園地帯が広がっているからだ。品種改良された多くの野菜に果物。さらにはその加工までをも担い、王国全土に出荷。まさしく、ラーズベルド王国の台所と呼ぶに相応しい領地である。
だが裏を返せば、これは他領にとって諸刃の剣であることも意味する──。
マグークス領を起点とする食の流通路。これを逆手に取れば、ほぼ全ての領に対して兵糧攻めが可能となる。一つの例外もなく、王都のあるザルヴァンシュタイン領でさえも制裁対象となり得るのだ。
マグークスから攻めるにしろ、他領が侵攻してくるにしろ、どちらにしても流通路は即時遮断される。そうなれば大部分を輸入に頼っている領では戦どころではなくなる。
それほどの要所でありながら、誰一人として手だしする者などいなかった理由──難攻不落の都、盾都ガラムトリムと、そこに住まう領主マグナヴァ候の存在が大きい。
ミノタウロス以上の巨躯を誇り、見た目にたがわず打たれ強い。彼の得物である巨大な朝星棒は、建造物を一振りで瓦礫と化す厄災級の破壊力を誇る。
マグナヴァ候自身、属性魔力を宿してはいない。けれども、神より与えられし身体能力と豪胆な精神力は、その無属性という負の遺産を遥かに凌駕している。敵に回すは恐ろすぎる男だ。
「そうだり、そうだり。我も朝日を浴び、こうしてあの山々を見ておると、些細なことなどどうでもよくなるだり。だが、レイハルクの言うとおりならば、早々に手を打たねばならんだり。ああ、やれやれだり」
とはいえ、無用な手出しさえしなければこの男は温厚である。後ろ頭をガシガシと掻き、トホホとした苦笑いを浮かべたマグナヴァ候。年に一度の魔技大会では日頃の運動不足解消にと大暴れしているようだが、無闇矢鱈に暴威を振るうことはない。
土地を守り、民を守る。マグナヴァ候にとって領地奪取などどうでもよく、領民たちと幸せに暮らせればそれでいいと思っている──ゆえに、危険を冒してまでこの地へと侵攻する必要はない、という理由の方が適切なのかも知れない。
がしかし、これまでの常識が今覆されようとしている。王国騎士団長レイハルクからの一報によって、侵攻を目論むライアット候の不穏な動きを知らされたのだ。
「マグナヴァ候。貴方ほどの力があれば、ライアット候にも決して引けなど取らないでしょう。ですが、噂に訊く四闇刃……一人で相手取るには荷が重い。我らフィットリアとしても出来る限りの助力をさせていただく」
「ああ、それは助かるだり。我は民たちを死なせとうないだり。小さな諍いなど、我が出れば何事もなく収まっていたが、今回ばかりはそうはいかなそうだり。レイハルクがわざわざ、王都の問題を捨ておいてまで我を訪ねてこようとは、相当切迫した状況と考えるのが必然だり」
「では、早々に策を詰めましょう。レイハルク団長も忙しなくお戻りになられた。マグナヴァ候も察しのとおり、あまり猶予は望めないかもしれません」
二人の対談はより深まり、マグークスとフィットリアの共同戦線がこれより動き出す──。




