第72話 最強の使用人と禍々しい剣
「おい、ここって……どこだ? 一体全体何がどうなってやがる……」
ザラクの声が驚きに満ち、その瞳には夜空で煌く星々が浮かんでいた。肌を撫でる冷たい風に灰燼混じりの雲。この場所がどこなのかは分からないが、外であることはたしかだ。
彼らはあの瞬間、地下室の壁に激突したかと思っていた──だが、そうはならなかった。リアナはここでも不服そうに目を眇めた。
「貴方、私が何ら策を講じることなく、あの場に居たとでもお思いなのかしら? 侵入前に、脱出の手だてくらい考えておくのは当然でしょう? まさか、とは思いますが、お姉さまたち、ただ無策で突っ込んだわけではありませんわよね?」
この詰問にアーリナとザラクはぎょっとした。リアナにとっては当然のことでも、アーリナたちにとっては違う。彼らは互いに顔を見合わせ、
「はぇ……そ、そんなわけないでしょ! ザラク、貴方何て顔してるのよ、私言ってたじゃない?」
「あ、ああ……そういやあ、言ってたなあ。そうそう、逃げ道確保は当たり前だろ……」
「はあぁ……僕は女神の力になれないばかりか、置き去りにして……」
と、白々しく苦笑い。その隣では、女神へと昇格したミサラを崇拝するクラウスが、悔恨の思いに打ちひしがれていた。
こうしてアーリナたちが無事に脱出できたのは、リアナの力もさることながら、魔剣士ミサラのお陰でもある。ミサラの光魔法の中には、自らの体を光に変えて飛ぶ『飛光』と呼ばれるものや、入口と出口、対となる光の扉を生み出し、その空間を瞬時に行き来できる転移魔法なども含まれている。
そもそもリアナたちが姉救出を思い立って、ものの数刻で王都に到着できたのも、ミサラの魔法、それにリアナの機転があればこそなのだ。
ミサラの転移魔法は、王都程度の広さであれば造作もない──けれども、長距離での移動には問題を抱えており、これを解決したのがリアナである。
転移魔法の発動には、距離制限の他にも、行く先の外観を掴む必要がある。リアナは魔写器で撮りためた写真と、王国全土の地図を広げ、転移できるギリギリの町をミサラに示した。要は町から町へと梯子をかけるようにして転移し、ここ王都へと至ったのだ。
アーリナたちはリアナにここまでの経緯を改めて訊き、深まった夜に白い息を吐いていた。
一方その頃、城の地下では戦いが激しさを増していた──というよりも、
「容易になど死ねると思うな……。祖母が受けた塗炭の苦しみ……その全てを、倍にして返してやる。貴様が死を懇願するほどにな……」
「ぶぅおっ、おのれおのれおのれえ~」
両者の力の差は歴然だった。ミサラの拳と蹴りが躊躇なくアザハルの頬と胴を打ち抜き、すでにその顔は、判別も難しいほどに赤く腫れあがっていた。
「グホッ……」
アザハルは血反吐を吐き、片目は完全に塞がっていた。辛うじて開いていた右目も瞼の腫れで、薄目に見るのがやっとだった。
(た、助けてくれ……頼む……このままでは本当に殺されてしまう……)
男は地面に膝をつき、息絶え絶えに肩で息をしながら、苦悶の眼差しで彼女を見上げた。
これほどまでに圧倒的な強さを見せつけたミサラだったが、彼女は未だ険しい顔をしていた。いくら打ちのめそうとも、決してこの心が晴れることはない。それどころか、もっと苦しめ、もっと絶望を──と、ミサラの中で怨恨が根を強く張った。
身につけた真っ白な使用人服も、すでに敵の返り血を浴びて赤く染まっている。元来数々の防御魔法を備えたミサラならば、穢れた血が降りかかる前に、一滴残らず蒸発させてしまうことだって可能なはずだ。
しかし、彼女は血に染まっていた。返り血なんて一切気にしない超接近戦。瞬間移動からの拳と蹴りによる乱打が、再び砂袋と化したアザハルの体を打ち抜く。
アザハルの身体は宙に浮かされ、深々と腹に突き刺さった拳によってくの字に折れ曲がった。口からはとめどない血飛沫。だがここにきて、アザハルの唇の端は、不敵な笑みで吊りあがっていた。
「貴様、何がおかしい?」
ミサラも無論、その表情を見逃さなかった。彼女はアザハルの長い三つ編みを掴むと、そのまま地面に勢いよく叩きつけた。
ドゴッ──肉塊が床を叩く音が響いた。それと同時に「フハハッ……」と笑い声まで足元で鳴った。あまりに打ちのめされ、アザハルの精神が崩壊してしまったのだろうか、それともこの期に及んでまだ何か企みでもあるというのか。ミサラはようやく、一度収めた剣を鞘から抜き、アザハルの喉元へと突きつけた。
「どうした、頭でもいかれたのか?」
この男は目的に手段を選ばない。ミサラの声に、アザハルは血の唾をねっとりとひきながら口を開き、ニタリとした。だが、笑みを浮かべるだけで何も言おうとはしない。もう声を発すること自体できなくってしまっているのだろうか。
ミサラはその憎き微笑みに、奥歯を強く噛んだ。殴っても殴っても殴り足りないが、もはや殺意を止めることはできなかった。彼女は躊躇うことなくアザハルの顔を蹴りだし、両手に持った剣を苛烈に斬り下ろした。
ギギンッ──そのときだった。光を迸らせた剣が、ミサラの手を離れて壁際へと弾け飛んだ。手に残るは斬撃の感触。瀕死のアザハルが放つにはありえない重さだ。
ミサラは地面を蹴って後ろへと跳び退き、落ちた剣を拾い上げた。
「へえ、君いいねえ~。あ、ちょっと待っててくれる? なあ小童君、わざわざ君の願いどおりに助けに来てやったというのに、いつまでそこに寝てんの?」
「あ、あぁ……」
「ん? 何その反応? というかさ、不甲斐なさすぎ。一応君って、副団長よね? あんまり僕をガッカリさせないでくれるかな? ってまあ、終わりよければ全て良しともいうし、この出会いでチャラにしてあげるよ。でもそれにしても迷うよなあ~、さっきいた女の子もいいんだよ。氷魔法を使ってたっけ?」
奥にはふらふらと立ち上がろうとする、アザハルの姿がある。ミサラは眉間に深い皺を刻み、両手持ちした剣からは荒波の如くに光が迸る。されど、彼女がすぐに近づくことはできなかった。
「な、何なんだあれは……」
ミサラの全身をひりつかせる者。それは禍々しいまでの漆黒の魔力を放つ、一振りの剣であった。




