第68話 王都集結
刀身を水平に持ったアザハル。その刃を一足早くバジリスクの体表に滑らせた。
「フハッ、もう遅い」
唇の端を不気味に吊り上げ、剣は瞬く間に紅桔梗のごとき深い紫へと染まった。眼下には決死の思いで飛び込んでくるザラクの姿があり、アザハルは躊躇なく無慈悲に毒剣を斬り下ろす。
(やばい……俺、ここで死ぬのか……)
強烈な反撃を前にして、ザラクの体がピタリと止まった。覚悟は決めたはずだった──だが、思いに反して体が言うことを聞かない。グッと奥歯を噛んだザラク。かたやアザハルは今にも高笑いを上げそうなほどに頬を緩めた。
ガギャンッ!
そのときだった。ザラクの前で大きな影が天井へと伸びた。薄まった光を照り返す鋼の鎧。腰には野性味ある茶色の毛皮が巻かれている──。
「よく耐えたではないか、我が愚弟子よ」
その声は紛れもないモーランドのものだった。ザラクは閉じていた瞼を大きく見開き、「モ、モーランド!」と衝撃的に叫んだ。
「やれやれまったく、いつになれば我のことを敬うというのか。あれほど師匠と呼べと幾度も……まあよかろう。ともかく、この人間がそうであるのか?」
「き、貴様は何者だ……」
睨みつけたアザハルに向けて「ブフウ」と一息、まるで返事のごとくに鼻息を吐きだしたモーランド。敵の抜き放った毒剣を自慢の斧で叩き落とした彼は、その柄で床をドスンと鳴らして相手を威圧した。そして、ある男を呼んだ。
「出番であるぞ、騎士よ」
「ああ分かっている。アザハル! お前の企みは白日の下に晒されている。このまま大人しく投降しろ!」
呼びかけに従い前に出たのは、王国騎士であるクラウスだった。アザハルは彼の顔を見るなり、ちっ、と舌打ちをしながら後ずさった。
「フハッ、何なのだ。揃いも揃って顔に布など巻きつけおってからに。いくら隠そうとも、その目で分かるぞ。たしかお前はクラウスだったな。よいか? この状況が意味することを貴様は理解しておるのか? これはまさしく、歴とした反逆の罪に値するぞ」
「反逆? 誰が何にだ。アザハル副団長、その言葉そっくりそのままお返しいたしますよ。もうすでに証拠は揃っている。いい加減覚悟を決めるんだな」
無礼な物言いだ。アザハルはクラウスの言動に苛立ちを募らせた。煮え滾る怒りに眉を顰め、頭の中にまで歯ぎしりが鳴っていた。
(おのれおのれえ……発言の真偽はここでは掴めぬが、奴の言うとおりならば、分が悪いのは此方の方だ。だが……むっ? そういえばバジリスクは何処に?!)
黙考するアザハルだったが、ここにきてバジリスクの姿がないことに気づいた。彼がクラウスらと対峙する一方、バジリスクはアーリナとバジコによってその場から引き離されていたのだ。
「バジコ、右に回って!」
「ぎしゃっ!」
すでにもう一つの戦いが始まっていたにもかかわらず、アザハルの注意は眼前の脅威によって逸らされ、気づくのが遅れてしまった。アザハルの額には大粒の汗が冷たく浮かんだ。
「き、貴様ら……私のもとからバジリスクを引き離すのも作戦のうちだったか……」
「ふんっ、お前一人じゃ僕たちには勝てない。観念しろ」
「ふっ、笑わせてくれる。何を戯言を……ん? 少し待て、あの光は何だ?」
クラウスと言葉で斬りあう中、アザハルはアーリナの手元で光る何かに目を眇めた。
「あああれか? あれはミサラ様の魔法の斧だ。貴様が欲に塗れて陥れた、歴代最強かつ最高にお美しいミサラ様のお手製だ!」
想いが暴走し、クラウスの瞳には憧れの炎が揺らめいた。その名を訊いたアザハルは眉間を険しく唸る。
「ミサラ……よもやあの女まで来ておるというのか?」
この問いにクラウスは明言せず「さあ、どうだかな」と、相手の心に揺さぶりをかけた。その効果は覿面のようで、アザハルの心に動揺が満ちているのは明らかだった。
仮にミサラが真に来ているとするなら、たとえバジリスクの力があったとしても到底太刀打ちすることはできない。そのうえこの身を拘束されるだけでは済まないだろう。ミサラは確実に復讐心を抱いている……命を、奪いに来る……一刻も早く王都を去らなければ──脳裏を焦がす焦燥と憤懣を押し殺しながら、アザハルは考える。
「フハハッ……そうか……」
何も、焦りを生むは自らのみにあらず──男は何かを閃いたのか、口元をニタリと解いた。
「貴様らは知らぬようだ。ここで私を捕えようと躍起だっておるようだが、早く地上に戻ったほうがよいぞ。ドレイクも今頃どうなっておることか」
「くっ、それはどういう意味だ。ドレイクでの抗争は、僕らが鎮圧した 」
「お~っと、鎮圧とは威勢のいいことだ。だが、それもどうであろうな」
このやり取りに、はっとしたのはクラウスだけではなかった。ザラクが大声で「帝国が来る!」と、驚愕の事実を叫んだのだから。
「な、何っ?! それは本当なのか、ザラク。まさかアザハル……お前、この国を帝国に売ったのか……」
クラウスの声に、アザハルはどういうわけか唇を震わせた。膝をついたザラクに目を落とした男は、「き、貴様、どうしてそのことを……」と声音を重く置いた。かたやザラクはこの問いに、呆れた顔を傾けた。
「はあ? お前、自分で言ったことも覚えてねえのか? バジリスクは『帝国から貰った』って言ってたろ。となれば、何もなしに取引は成立しねえよな? おそらく、お前らがドレイク狙う理由は港だ。帝国は陸路での侵略を諦め、海路に切り替えたってことだろ」
ザラクの推測は的を得ていた。明らかな図星──そのことを裏づけるように、アザハルは口をポカンと呆気に取られていた。
「どうする……僕だけでもドレイクに戻るか……」
今ドレイクにいるのは、二人の魔猟師と力なき民たちのみだろう。多くの騎士は城内に留まっており、たとえ救出に出ていたとしてもごく僅かのはずだ。現実は非情で、そんな状況に牙を剥いて襲いかかってくる。押し寄せる帝国の影が、クラウスを含め、この場の者達の脳裏にもちらついていた。
「さあてどうする? 今ならまだ間に合うやも知れぬぞ? それともここに残って私とバジリスク相手に戦いを続けるのか?」
ここぞとばかりに、アザハルはクラウスらに選択を迫る。この場に残り、アザハル一人を捕えることを優先するのか、それとも、急いでドレイクに戻って帝国相手に応戦するのか──。
(たとえ一人戻ったところで、帝国騎士相手では無謀だ。おそらく敵は大軍勢。戻るなら全員……モーランドさんやアーリナ様の力がなければ守り切るのは絶対に無理だ……)
クラウスが肩を震わせ、モーランドにザラクも険しい表情をみせる。それに奥ではアーリナとバジコも息せき切って戦いを繰り広げていた。
身動きが取れない彼らを前にして、アザハルは静かに落ちていた剣を拾った。そのまま剣先を床に滑らせて円を描き、淵に沿って文字を刻み込んだ。
「さてはて、どちらを取るべきか決めかねておるようだが、もう悩まずともよい。私はそろそろ失礼させていただくことにしよう。感謝するがいい。残りの選択はドレイクに向かうことだけだ」
「何を勝手なことを言って……んなっ?! あれは転移魔法!」
クラウスたちは思案のあまり、アザハルの動きを見落としてしまっていた。魔法陣が光を発し、アザハルの全身を包みかけたそのときだった。光は魔法陣ごと一瞬にして凍てつき、氷柱が天井へと突き刺さった。
「くぅっ! 次から次へと一体何なのだ! 希少な魔石を無駄にしおってからにい」
間一髪のところで逃れたのか、アザハルが憤怒の声を上げる。それに答えるかのように、少女の声が地下に響いた。
「あれを避けるのですか。さすがは腐ろうとも、王国騎士団副団長様にございますわね。ねえミサラ、後は貴方に任せてもよろしいでしょうか?」
突如として現れたのは、クルーセル家次期領主であるリアナとその従者、光の魔剣士ミサラ・グレイシアスであった。
「はい、リアナ様。このような機会を与えていただき感謝いたします。あの者は必ず、私の剣で裁きを下します」




