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百八拾壱 安太郎さんの手記(6)

 椅子ごと床に倒れた私を見下ろしながら、井脇は吐き捨てるように言った。


「今や国民一丸となってだな、銃後の守りを固めんと必死になっている。いや少国民でさえ、軍人援護に協力してくれているというのに、貴様は何だ? ふー。これから出征しようという者の意気を消沈させるようなことばかりを、抜かしておるではないか。ふー。この売国奴め!」


 そう言いながら、靴のかかとで私の鼻をぎりぎりと捻るように踏みしめた。あたかも、道端に捨てた煙草の火を揉み消しでもするかのように――。鼻血がまた、だらだらと流れ出し、床を汚してゆく。


「おやおや、大変だ」

 (わざ)とらしくそう言うと、片膝を突き、私の頬をぱちぱちと叩いた。

「変な強情を張るのもいい加減にして、そろそろ白状したらどうかな? 貴様は革命のために徒党を組み、この国で争乱を起こそうと目論んだ。違うか? 国難に乗じ、大衆を(そそのか)してな」


 革命のために徒党を組み、この国で争乱を起こそうと目論んだ――? そもそもそんなことをやってきたのは、軍人たちじゃないか。この男は、本当にそんなことも知らないのだろうか。


 我知らず反抗的な目付きでもしていたのであろう。

「この野郎」

 井脇はいきなり拳を振り上げ、私の腹部に叩き込んだ。強烈な一撃に息が止まりそうになる。

 更に容赦なく、顔面に向かってペッと唾を吐きかけられた。


「代わりましょう。井脇さんは休んでいてください」

 と夏川が言った。

 私を椅子ごと抱え起こすと、竹刀を手にする。


「そうかい。ふー。じゃあ、そうすることにしようか。ふー。せいぜい可愛がってやるんだな」

 井脇は元の椅子に戻ると、机に両足を上げ、目を閉じた。


 夏川は竹刀を大上段に振りかぶったが、すぐには打ってこなかった。静かに呼吸を整えながら、すり足で間合いをはかったり、詰めたりしているかと思えば、八相の構えを取ったりする。


 いつまでも静かだったので、井脇が不審に思ったのか、ぱちりと目を開けた。

「何だ、その構えは。遊んでいるのか?」


「近いうちに試合がありましてね。こいつを仮想の敵に見立てて、練習をしているんですよ」

 夏川は、竹刀の先からこちらを正眼に見据えたまま、上司のほうを振り向くこともなく、そう答えた。


「仮想の敵だと? こいつは日本国民全体の敵だ。ふー。だったら、仮想ではなく正真正銘の敵だろうが」


 すると夏川は突然、「ヤー!」という掛け声とともに、私の腿に向けて竹刀を振り下ろした。バシンという大きな音がしたが、その割に骨にまでは響かなかった。微妙に昨日とは違う位置を狙っている。


「私の妹は、B29の絨毯爆撃で死にました。まだほんの幼い子供だったのに……。だから、私の本当の敵は鬼畜米英ですよ」

 そう言って、また竹刀を腿に振り下ろす。しかし、その衝撃は矢張り骨に到達するのではなく、皮膚の表面を伝って拡散していくだけのものだった。


 井脇はニヤリと笑って立ち上がると、ゆっくりこちらに近付いてきた。

 部下から竹刀を取り上げると、こちらに向かっていきなり、「キャー!」という奇声を発した。声と同時に、首の付け根に竹刀が叩き込まれていた。


 ずしんという重い衝撃が、肩から脳天を貫いてゆく。危うく気を失いそうになるのを、何とか持ちこたえた。


「いいか? 試合があるなら覚えておけ。ふー。相手がどう出ようが、こちらがどういう構えだろうが、そんなことはどうでもいい。ふー。そんなことは一切考えずにだな、兎に角(とにかく)打ち込め。一撃一殺だ。ふー。分かったな」

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