40.魔王(40/42)
灰色の魔王。金色の瞳が俺を舐めるように吟味した。
スッと腕を上げ、俺を指さす。
俺は光の防壁を展開。魔族の奇襲はこれで防いできた。
が、何も指先からは発せられない。
魔王オルディナードが目を丸くする。
「何者だ?」
「俺は……ログ・ノーティス。勇者ログ・ノーティスだ!」
魔王は腕組みをすると首を傾げた。
「ふむ……話が違うではないかマリアベル・ルミナスよ。汝の子孫が我に挑んで来るという約束だったろうに」
話が見えない。が、強烈な重圧感だけは皮膚で感じていた。
「お前が魔王……なんだよな?」
「いかにも。我こそは魔王オルディナード。して……汝は勇者を名乗っておるが……マリアベルとは似ても似つかぬ。金髪碧眼の美しい女の子孫が、黒髪黒目とはな。人間とはこうも変容するものか」
魔王というからには、もっと苛烈で人間に対して憎悪だの虫けら扱いだのしてくると思っていたのに、会話が成立している。
が、それもここまでだった。
「しかし……よくもまた我が完全に力を取り戻す前に復活させよったな。人間が注ぎ込んだ魔法力としてはなかなかのものであったが、これではまるで足りぬ。マリアベルの足下にも及ばぬわ。これでは最低限の力しか発揮できぬではないか」
復活には魔法力が必要……そして、最低限の力で復活……させたんだ。
それもガゼットの狙いだとすれば……後を俺に託したってことか。
無責任にもほどがあるな、我が恩師殿は。
オルディナードは腕をぐるぐると回すようにした。
「まあ良い。では、始めるとしよう」
「待ってくれ。マリアベルっていうのは……勇者の名か?」
「しかり。美しく強い、実に素晴らしい相手であった」
魔王は懐かしむように目を細める。
「お前を倒そうとした人間なんだろ? なんで……そんな顔ができるんだよ」
オルディナードは灰色の手のひらに、自身の拳を軽く打ち付けパァンと鳴らす。
「強者と戦うことこそ、我が目的だ。あれから幾ばくの時が流れたか……小僧、教えろ」
本当に封印されていたんだな。
「百数十年……詳しいことは言い伝えられていない。勇者が王国中の人々から記憶を奪ってお前を封じたからな」
魔王はにぃっと白い歯を覗かせた。
「間違っているぞ。勇者が封じたのではなく、我が眠りについたのだ。勇者は我に敗北したのだからな」
「嘘だ。敗北したなら……」
勇者の血筋は途絶えているはずだ。それに魔王は実際、この遺跡に封印されていた。
人差し指を立てて、小さく左右に振るとオルディナードは笑う。
「ハッハッハ! これは我とマリアベルの間で交わされた契約なのだ。我に勝てぬと悟ったマリアベルは、自身の子孫なら必ず我を倒せると豪語しおった。人間は短命だが、成長も早い。そこで我はしばらく眠ることにしたのだ」
そんな……歴史の真実を当事者に語られては、ぐうの音も出ない。もちろん魔王が嘘を吐いている可能性もあるのだが……。
目覚めて俺と言葉を交わした時、魔王は勇者の末裔……マナと再会できると思っていたように見えた。
「なぜそんなことを? お前が勝ったなら……人間を滅ぼせば良かったんじゃないか?」
「滅ぼしてしまっては楽しくない。我は魔族の頂点に立った。もはや我に勝てる者などいないとなれば、人間に楽しませてもらわねばなるまい」
戦うことを目的にしているのか。
これまで魔族を数え切れないほど倒してきたが、連中は人間を娯楽の一つくらいに考えている節がある。
魔王も例に漏れずということだ。
オルディナードは拳法のように身構えた。その両方の拳に蒼い炎が灯る。強烈な……魔法力だ。触れたもの全てを焼き尽くす業火だった。
「我が眠っている間は、他の魔族達から魔王が現れなかったであろう。我には魔族にルールを強いる権限がある。人間の集落を襲わぬようにも我が制約し、人間を相手にする時は独りで戦うようにもした。人間が減りすぎては楽しみが減るのでな」
だからか。魔王が封印された状態で、魔族の行動が限定的だったのは。
ある意味で、人間は魔王によって他の魔族から守られていたような形だったのだ。
この百数十年の平和は、勇者マリアベルと魔王オルディナードの密約の上に成り立っていた。
世界がひっくり返りそうな真実だな。
「ベラベラとよく喋るんだな、魔王ってのは」
「久しぶりに身体を動かすのだ。人間がどれほどのものになったか、楽しみでもある。口も回るであろう。楽しませてもらう汝には特別に教えてやることにしたのだ。死出の旅路の手向けとして受け取るが良い」
来る――
俺は……短杖に光の刃を纏わせた。
オルディナードが「ほぅ」と感心したような声を上げた。
「ふむ。マリアベルしか使えぬと思っていたが、我が見込んだ通り人間の魔法も進歩しているではないか……これは、マリアベルの子孫と戦うのも楽しみになってきたな」
瞬間――
俺は地を蹴り踏み込むとオルディナードに斬りかかっていた。
身体が勝手に、咄嗟に動いた。
こいつを解き放てば、マナが危険だ。
倒す。今、ここで全てに決着をつける。
光刃を振り下ろす……が。
「遅い……」
蒼炎に包まれた左手で俺の一閃はがっしりと掴まれた。刃が通らない。魔族を簡単にバラバラにできる切れ味が、まるで通じない。
魔王の右腕が俺の腹に突き刺さる。寸前で光の魔法防壁を展開したが、紙を破くように拳が腹にめり込み、俺は吹き飛ばされた。
受け身もとれず、倒れる。
この感覚を思い出す。初めて魔族と戦った時の俺だ。
魔王がゆっくりと近づいてくる。
「我はまだ力を十分の一も発揮できぬというのに、なんだ今のナマクラは? マリアベルなら我の前腕ごと真っ二つにできただろうに」
力が……違いすぎる。
本物の勇者じゃない俺じゃ、やっぱりダメなのか?
今の魔王に全盛期の力は無いという。それで、これなのか。
立ち上がり、身構える。が、次の一手が思い浮かばない。
マナ……ごめん。俺は……父親失格だ。
魔王が両腕に込めた蒼炎を凝縮した。
「せめて苦しまぬように逝かせてやろう」
強烈な炎がオルディナードの手の中で渦巻く。
見ただけで、俺の最大限の防御魔法でも防ぎ切れないと理解させられた。
恐怖心は無かった。それほどまでに、圧倒的な差だ。たった一度のやりとりで、俺では勝てないと思い知らされた。
マナを……俺がこれまでに世話になった人達を……もう思い出せなくなってしまったみんなを……助けられない。
これが人間の限界なんだ。
「復活後の最初の獲物として、その名を覚えておこう。ログ・ノーティス。あの世でマリアベルにあったらよろしく伝えるがいい」
炎の渦が俺に向かう。
『ログッ!』
その刹那――
ザックの中から小さな影が飛び出すと、蒼い炎の渦と俺との間に割り込んだ。
「ライブラ……お前」
炎は俺の目前で打ち消される。
そして、黒い装丁の影の書……ライブラの全身が炎を纏った。俺の身代わりになるように焼け焦げ、朽ちていく。
「なにやってんだよお前!」
『安心してください。記録は全て光の書にも記されていますから』
「そんなこと……お前……燃えてるんだぞ……」
『死ぬのではありません。私はただのシステムの一部。本ですから燃えてしまうこともあります……ログ。一緒に旅が出来て良かった。最後にこうして、貴方を導くことができて……本当に良かった』
「最後だなんて……」
『魔王を倒してください。そのためには……貴方は真の勇者にならねばなりません。それは貴方にとって死ぬよりもつらいことでしょう。ですが……他に方法はありませんから』
灰になり消えていく。ずっと俺のそばにいてくれた……唯一無二の相棒だった。
『さあ、私の記憶を消却するのです。私はきっと、そのために生まれてきたのですから』
最後に言い残して、ライブラは完全に消滅した。
魔王が不思議そうに首を傾げる。
「はて、今のはなんだ?」
「俺の……相棒だ」
一撃だけ。
もし、この魔王オルディナードを倒せたとしても、別の誰かが魔王になるかもしれない。
結局、世界の理なんて人間のちっぽけな力じゃ変えようがないのかもしれない。
それでも、マナだけは守る。
使うよ。ライブラ。お前と過ごした日々の記憶を。
そして……この数年間の旅の全てを。
マリエルごめん。
俺、もうマリエルの事を……顔だけじゃなく、名前も、ノートにあったすべても、結ばれたことも、死別するまでの一秒一秒も。
消却。
フォート村、消却。
フォレストエッジ、消却。
俺に関わった人々の、俺にまつわる記憶を消却。
消却。消却。消却……。
マナ・ルミナスの記憶も……消却。
最後にログ・ノーティスを……消却。
生み出した魔法力の全てを光の刃に変換。目の前の敵を……斬る。
俺は光刃を振るった。
目の前で光が爆ぜた。ドームの空間一杯に光刃が満ち満ちて、放たれた一撃は……魔王オルディナードを消滅させた。
「ほほぅ……よもや人間がこれほどとはな。新たな勇者として認めよう。ログ・ノーティス」
声だけが最後にドームの中に響くと……。
俺は……何をしていたんだ。
ここはどこで……俺は……誰なんだ。
何か大切なものを守ろうとしていたのだけは、かすかに覚えている。
それが……できたんだろうか。
力が抜ける。
今はただ、静かに眠りたかった。
仰向けに倒れ込む。
自然と右手が胸元に触れた。
何か金属片のようなものの感触を服の下に感じる。チェーンに通された指輪……だろうか。
どうして二つあるんだろう。
不思議だった。
それでも、どことなく、懐かしく思えた。




