2.火の手(2/42)
週明けに異変が起こった。
マリエルが俺の日報に赤を入れかえしてきたのだ。
生意気な後輩君へ
試薬の数のことは、チェックしてくれてありがとね!
けど「余計な情報を付け加えるより報告は正確にしてください」は、ちょっとライン超えだよ!
どうせ教授だってちゃんと見てない日報なんだし、君も楽しんだらいいんじゃない?
だそうだ。
正直、変な奴だと思う。
加えて最後の一文にこうあった。
わかったら返事書いてね!
やれやれ。無視しても良いのだが、トラブルは出来るだけ起こしたくない。
俺はただ、大学の四年間を平穏無事にやり過ごして、兄達に負けず劣らず、かといって越えず見下されない程度の、ほどほど優秀な成績を修めて卒業したいのだ。
さて――
返事か。
自分のことで書ける面白い話は微塵も無いが、マリエルの日常に対して一言二言、感想を述べることにした。
日報を介してのやりとりが一ヶ月ほど続いた。
マリエルの故郷は西方の山岳地帯にひっそりある村だった。いわゆるド田舎の出身で、一念発起して王都にやってきたのだとか。
王立魔法大学の入試に挑み、無事合格。
専攻は生命魔法学だった。学年も学部も違うため、俺とマリエルが顔を合わせることは無いだろう。
一方、こちらの情報は既に周知されていること(世間じゃ名門で通るノーティス家の四男)だけにとどめている。
あくまで俺達は文字だけの関係性だ。
時々思う。
本当にマリエルなんて学生は存在するのだろうか?
実はガゼット教授が俺をからかうために、マリエルのふりをしている可能性だってある。
女子学生を装って日報を通じ、新入生とコミュニケーションをとろうとするなんて、いったいどういう了見だ?
だとすれば教授は屈折しすぎである。
ある日のこと――
ガゼットに片付けを頼まれた俺が、いつものごとく共用研究室で資料整理をしていると……研究室のはす向かいにある建物から火の手が上がった。
第七実験棟だ。何に引火したのか見当もつかないが、あっという間に建物が炎に包まれた。
緊急避難の放送が流れ、俺は共用研究室を飛び出し外へ。
第七実験棟前には学生の人だかりができている。
建物では炎が渦巻き黒煙が上がる。
煤で汚れた一団がいた。火事に巻き込まれた連中か。
皆、浮き足立っている。状況を整理したい。
逃げてきたであろう女子学生の一人に声をかけた。
「大丈夫か?」
「は、はい。ケッフケッフ……」
「中にいたのはこれで全員か?」
「ええと、あれ……一人足りません!」
火事場に取り残された人間がいるだって!?
「それは本当なんだな?」
ほかの学生達も互いを見て確認するようにうなずいた。
「逃げ遅れたやつがどこにいるかわかるか?」
「きっと一階の奥、103教室……って、そんなこと聞いてどうするんですか!?」
女子学生は信じられないという顔をした。
助けに行くのは危険だ。
素直に消防隊や救急隊を待つべきだろう。
俺は英雄じゃない。末裔の末端の枝の先の一枚の葉だ。
そもそもトラブルなんてまっぴらごめんだった。
それでも――
迷えば救出の可能性は低くなる。
「水魔法展開」
俺の頭上にバケツ一杯分の水が発生した。それを頭から被る。気休めだ。
「続いて風魔法展開。酸素を呼吸に集中」
体の周囲に風の魔法力をまとわせる。
「再び水魔法を同時展開」
二つの力を合成し、即席の防火結界を自身を中心に展開完了。途端に野次馬達から「おおぉ」と感嘆の声が上がった。
こと魔法の制御において、俺は父親にも三人の兄達にも負けない自信がある。
というか、これくらいなのだ。俺の取柄は。
長男の予備の予備の予備。誰からも期待をかけられず育った俺は、ガキの頃から魔法に傾倒しまくった。
合成魔法は独学だ。
こんな時に役に立つとはな。
さて――
行くか。
今更やってきた大学の職員らが「君! 何をしてるんだ!」と声を上げた。が、説明している時間は無い。
俺の魔法力で作成した防火結界なら、九十秒は安全を確保できる。
「一分で戻ります」
水と空気の衣をまとい、燃え盛る炎と黒煙の中に俺は単身、飛び込んだ。
揺らめく炎に負けることなく、防火結界は安定動作している。
風が黒煙を遠ざけ、水の加護が熱から身を守った。
急がなければ。103教室に向かう。
開け放たれた扉の奥。教室の隅で一人、倒れていた。
俺は人影の元に急ぐ。
女子学生だった。炎の中にあってもきらめく金髪が、熱を受けてふわりと広がる。
床に寝そべっていたおかげで、余計な煙を吸わなかったのは不幸中の幸いだ。
「おい! しっかりしろ!」
防火結界の範囲を拡大して抱き上げる。こんなことでもなければ、一生することなどなかっただろう、お姫様抱っこだ。
よいしょっと。
見た目より重い。が、許容範囲内。
俺の腕の中で、女子学生は「ん……」と小さな声を上げた。生きているなら問題ない。
なぜ彼女が置いてけぼりになったのか、先に避難した連中に問い詰める必要があるな。
すでに一分が経過。残り三十秒。
来た道を戻る。玄関口につながる廊下をまっすぐ進む。
外まであと十メートル。五メートル。
瞬間――
廊下の天井が崩落した。頭上から燃え盛る材木が降り注ぐ。
腕の中の彼女を守らなければ。
防火結界ではふせぎきれず、俺は背中を焼かれた。
「グアアアアアアアアアアアアアアアアア! チックショオオオオオオ! 何やってんだ俺はあああああ!」
自分に対する抗議の声を上げる。
感情が高ぶり、ここまで冷静に制御してきた防火結界の魔法が……爆発した。
これだから魔法というのは度し難い。ままならない。感情によって制御を失い、しばしば暴走暴発する。
が、今回ばかりはそれが良かった。
水気を帯びた突風が瓦礫を吹き飛ばし、俺の身体を腕の中の女子学生ごと、燃え落ちる建物から押し出した。
記憶はそこで途切れた。




