1-8. 彼女は異世界人を知っている
村の中に戻ると、石造りの建物の近くの開けた場所で村の人たちが焚火を用意してくれていた。
村の入り口にあったのとちょうど同じ木柵が建物の周りを円周状にぐるりと囲っていて、ちょっとした陣地のようだ。
狭い隙間を抜けて焚火へと向かった。
建物は村の礼拝所らしく、エリナは濡れた服を脱ぎに建物の中へ入っていった。
ヨシヤは上下を脱いで、村の人から渡された布で身体を拭いた。
それから借り物の服を着せられて焚火の前に腰かけた。
火の熱が、冷え切った身体にじわじわ染みてくる。
真っ白になった指先に少しずつ感覚が戻ってくるのを感じた。
「フィ~~~ッ……死ぬかと思った……」
「おじさん、お手柄じゃん!」
ジナが預けておいたコートとレジ袋を手渡してきた。
びしょ濡れの身体で5万円もしたコートを汚したくないもんだから、今までずっと持っておいてもらったのである。
「こら、ガキども! 失礼だよ」
「わぁっ! マーサ!」
先ほどの中年女性──マーサが、ジナとラッカの頭を後ろからメシメシと掴んだ。
「ったく、まだ19だっつーの」
「19はおじさんじゃん!」
「なんだとガキ~~~」
ヨシヤが大袈裟に身を乗り出すと、ジナとラッカはキャイキャイと笑ってマーサの手の中でもがいた。
すると、背後から足音がした。
その品のある足取りが、見なくても目に浮かんでくるような足音だった。
マーサの目がそちらへ動く。
すると彼女は慌てたようにジナとラッカの頭から手を離し、襟元を正した。
「ふふ。では私もおばさんかしら?」
エリナだった。
彼女は焚火の明かりの中に静かに入ってくると、綿の上に腰を下ろすみたいに、ヨシヤのそばに座った。
最初、下着姿のエリナが出てきたものかと思ってヨシヤはぎょっとした。
だが、彼女はしっかりと黒い僧衣で身を包んでいた。
焚火のそばに立てた竿を見る。
ヨシヤのタートルネックと綿パンツの横に、同じ型の濡れた僧衣がかけられていた。
「替えの服あったんだ」
「ええ。生活用品一式は街から馬車に乗せてきましたので」
「ずりぃー」
村の人から貸してもらった服は裏地がチクチクして落ち着かなかった。
ゴランから言われた「良い身なりをしている」という言葉が、ヨシヤの中で実感を伴い始めていた。
改めて、エリナの顔をまじまじと見た。
灰色の瞳に焚火の炎の色が揺れていた。
綺麗な子だと思った。
それは物腰や言葉遣いまで含めてのことだった。
そして、やはり有為子とは別の人なのではないかとも。
こんなふうにまじまじと見るのも失礼ではないかと思っていた矢先、エリナはこちらへ振り向いた。
「そんなに妹さんに似ていますか?」
「え? ……ああいや、よく見るとそれほどでもないかなと思って」
ヨシヤは咄嗟に否定した。
嘘だった。
顔だけで言うなら未だに彼女は有為子と生き写しとしか思えなかった。
その一方で、有為子と似ても似つかないなという実感が芽生えつつあったのも、紛れもない事実だった。
エリナの仕草をひとつひとつ見るほど、人は案外、顔だけでその人にならないものだと、そう思えてきていたのだ。
「いっや、なんでそんなに似てるって思ったんだろな……」
妹と似ている。
そう言ってしまったのを、エリナの前では一刻も早く取り消さなければならない。
何故かヨシヤはそんなふうに焦っていた。
一体何を焦ることがあるんだ?
微笑みかけてくるエリナの柔らかい笑顔にヨシヤは胸がきゅっとなった。
「……村の入り口のやつ。きみが作ったんだって?」
「え?」
とっさに話を逸らすと、エリナは目を瞬かせた。
「ほら、あの柵とか堀とかさ」
「あ……ええ。昔、軍務に就いていた知り合いがいたんです。その方から聞きかじったことを、見様見真似で。ただ、私はやり方を教示しただけで……ほとんどは村の方の手で」
「導師様が来てくださるまで、アタシたちは奴らにやられっぱなしだったんだよ」
マーサが遮るように入ってきた。
そうだ、ずっとその話がしたくて仕方なかったんだ、とでも言わんばかりだった。
「盗賊どもさ」
その目には、焚火の赤い光に紛れないほどの怒りが込められているように見えた。
「盗賊……」
「あいつら、いきなりやってきて好き放題さ。食い物も金目のものも持っていく、ヘルマンの娘さんなんか人質に取られちまって未だ帰らない……アタシらは悔しくて悔しくて……それでも命が惜しくって従うしかなかった」
マーサの拳がぎゅっと握られた。
「それを初めてぶちのめしてやったのが今朝のことさ。こんな清々しい気持ちは生まれて初めてだよ。それもこれも全部導師様のおかげってわけさ」
こんな華奢でお淑やかそうな子が?
とても現実味のない話──などとは、もう言い切れなかった。
ヨシヤは彼女のざらついた両手を思い出した。
綺麗なだけの手ではなかった。
「けれど、問題はまだ解決していません。まだ彼らの根城も分かっていないのですから……攫われた子だって早く助けてあげないと」
それは、ことさら謙遜して言っているようではなかった。
ただ平然とマーサの言葉を受け止め、包み隠さない意思を語っているふうだった。
エリナは真っ直ぐな目で、その手をきゅっと握りしめた。
「ところでマーサさん」
エリナが、ふと声の調子を変えた。
「少しヨシヤさんと二人きりにしていただけませんか? お話しなければいけないことがあります」
「え?」
驚いたのはヨシヤの方だった。
お話? 一体何を?
緊張感に喉が締まった。
「え、ええ……ジナ、ラッカ。行くよ」
「ええー? おじちゃん、またねー」
「クソガキ~~~~~」
マーサに引っ張られてジナとラッカが去っていく。
双子は何度も振り返って手を振った。
ヨシヤが恐る恐る振り向くと、エリナは二人に向かって小さく手を振っていた。
その顔は優しく穏やかに微笑んでいた。
それがヨシヤにはかえって怖かった。
焚火のまばらに弾ける音だけが残る。
アンドレアと呼ばれた男だけが焚火のそばに立っていて、その甲冑に炎の色が映った。
しばらく沈黙があったのち、エリナは口火を切った。
「ヨシヤさんが元いらした場所について、詳しく聞かせていただきたいんです」
その言葉が、何か重大な核心を突いてくる言葉のように聞こえて、ヨシヤは思わず唾をのみ込んだ。
詰問されているようでもあった。
同時に、ヨシヤが知りたかったことの手がかりがここで得られるないか──そんな予感が走った。
「霧のない場所からいらしたって、本当?」
「あ、ああ……あんなふうに景色全部霧っていうのは、見たことないかな」
「差し支えなければ、この村までどうやって来たのかを教えていただいても?」
その質問は、核心の外周を触れずになぞっているように聞こえた。
要するにこれは、「あなたは異世界から来たのですか?」そう問われているんじゃないのか?
背筋にぞくりとしたものが走る。
「気付いたらここにいた……って言ったら、信じる?」
ヨシヤは開けっ広げに覚えているそのままを答えた。
それこそが、エリナの求めている答えのように思えたから。
するとエリナは、いったん息を吸うと、見えない原稿を読み上げるかのように形式ばった文言を並べた。
「……霧のない世界から来た者、異なる世界から来たと言う者があるとき、その者を捕え、導師に引き渡さなければならない。導師はその者に、二つの秘密の問いをもって真偽を確かめること」
「え?」
「寺院小法第66条1項に定められた規定です」
エリナは静かに言った。
「ですが……私も本当にこの問いをするのは初めてです」
そう言って、エリナは立ち上がった。
彼女は焚火の周りを少し歩き回り、地面に落ちている小枝を拾っていく。
拾っては見て、捨てたり手元に残したり、それを繰り返した。
戻ってきたエリナは、ヨシヤの手に小枝の全てを手渡した。
小枝を確認したヨシヤは、彼女ができるだけ真っすぐな形をした小枝を選んでいたのだと察しがついた。
小枝は6本あった。
「ひとつ目の問いです」
エリナの声は、さっきまでより少しだけ硬かった。
「……6本のうち、好きな数の枝を用いなさい。そして、あなたのいた場所で最も名の知られた聖者の象徴となる図形を作りなさい」




