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霧のメサイア  作者: 川端矢次郎
第一章 聖女の手のひら
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1-1. ハリボテの英雄

 ヨシヤは春休み中の大学生だった。

 一年ぶりに帰る生まれ故郷の砂浜で、アホみたいに口を開けたままいい感じの気分に浸っている真っ最中だった。


 そしたら、いきなり空の色がおかしくなってきた。

 びっくりしているうちにこんな陰気な森の中にいたわけである。



 

「さっっっっむ……!!」

 

 森の中は嫌な肌寒さに包まれていた。

 ヨシヤは自分の腕を抱えた。


 灰色の雲がかかって空は薄暗い。

 木々の向こうには、微かに霧が立ち込めているようにすら見えた。


 

 突如、巨大なものがぶつかり合うような衝撃音がして、木々の枝葉が騒がしく揺れた。

 またしても鳴り響く不気味な咆哮。

 声の主を確かめたい気持ちの一方で、とっとと逃げ出すべきか?とヨシヤは身構えてもいた。

 いやしかし、逃げるったって一体どこへ。

 

 ……すると、木々の隙間から小さく可愛らしい二つの影が飛び出した。

 


「ウワーン! だから村から出ない方がいいって言ったのにー!」


「仕方ないだろぉ!? ヌシがこの辺にいるの見たんだから!」


「結局いなかったじゃん! 代わりに魔物連れてきちゃっただけじゃん!」


 キャイキャイとした甲高い声。

 子供だった。


 双子だろうか?お互い見分けがつかないくらい似ている。

 どちらも金色の髪をした小学生ぐらいの子供だ。

 

 そしてなによりヨシヤの目を引いたのは、その頭に盛り上がった猫のような耳と、尻から伸びた尻尾だった。


 二人はヨシヤの姿に驚いて派手にスライディングした。


「ひ、人ぉ!?」


「え? あっはい、人です……」


 双子たちは興味深げな顔でヨシヤの頭から足元までまじまじと見回す。

 ヨシヤはというと、その頭の上でヒクヒクと動いている猫耳から目が離せなかった。

 



 木々がバキバキとへし折れる音がして、一斉にそちらへ振り向いた。

 先ほどからの轟音の主が、森の陰からようやく姿を現した。

 ヨシヤは、猫耳の子供を見たときよりも増して自らの目を疑った。


 ちょっとしたダンプカーぐらいある、巨大なトカゲだった。


「シャアアア……」


 鉤爪のついた太い腕。

 それが木々をへし折るように押しのけた。

 鱗に覆われた巨体が木々の隙間から這い出てくる。

 ヨシヤは口をあんぐりと開け、腰を抜かしそうになった。


「こ、これって……」


 ……話にだけは聞いたことがあった。

 ヨシヤの頭の中には、ひとつのろくでもない可能性が浮かんだ。



 

「……異世界召喚ってやつ……!?」


「なんて!?」


「うっわ……マジか! マジかよ! こういうのAmaz〇nプライムビデオでめっちゃ見たよ……! マジか……!」


「おじさん! なに言ってんのか分かんないけど逃げた方がいいよ!」


 失礼にも、おじさん呼ばわりだった。

 猫耳のクソガキどもはヨシヤのキャメルコートの裾を小さな手でグイグイと引っ張った。


「オイ!! 引っ張んな!! 5万円もしたんだぞ!!」


 大きな足音がした。

 ヨシヤはまた大トカゲの方を見やった。


 縦に裂けた瞳孔。

 邪悪な意思を宿した瞳が睨みつける。

 牙の隙間からこぼれたヨダレが、土の上にボタボタと落ちては湯気を立てた。



 それは突然のことだった

 ヨシヤは、頭の中がぐにゃりとするのを感じた。

 前触れもない不思議な感覚。


 目に映るのは、一歩また一歩とにじり寄る大トカゲ。

 その姿が何か異様な解像度で再解釈されていくような、未だかつて体感したことのない手触りが頭の中に根を張りだした。



 

 ──俺は、あいつの姿になれる?


 突拍子もない直感だった。

 例えるなら、自分の手が思い通りに動くことなど疑いようもないみたいな……。

 ちょうどそれと同じような感覚が、まるで最初からあったみたいにヨシヤの中に居座っているのを感じたのだ。


 思ったとたん、変化は起こった。


 まず真っ先に、地面がみるみる遠ざかっていくのを見た。

 そうして隣にいたはずの獣耳の双子の姿は、どこへやら見えなくなった。

 大トカゲの視線は、いつの間にかこちらを見上げていた。

 


 

 ヨシヤは、大トカゲに変身していた。

 それも、向こうより一回り大きな姿になった。


「ウワーーーーーーッ!?」


 双子は声を合わせて大絶叫し、完全に腰を抜かした。


「おいおいビビんなって……安心しなガキども。このバケモノは俺がなんとかしてやるぜ」


「ウワーーーーーーッ!?」


「うるせえなぁ!!」


 人間の言葉で喋りかける大トカゲもといヨシヤに、クソガキどもは余計にビビり散らかした。

 小便を漏らしていても不思議じゃない顔だった。


 

 大トカゲに向き直り、こちらからも一歩前に出る。

 向こうは明らかにヨシヤより体格で劣っていた。


 ──好きな姿に変身する能力。

 さしずめ、ヨシヤが異世界召喚にあたって授けられたチート能力とでもいったところか?


「最強じゃん……」


 姿形を自由に変えられる……つまり、何にでもなれるということだ。

 虎になって速く走れる。

 鳥になって空も飛べる。

 ドラゴンなんてものがいるならその姿になっちまえばいい。


 戦うにも逃げるにもこれ以上の能力はないように思えた。

 ヨシヤは笑いが漏れそうになった。


「ゴォオオオオオオオ!!」


「うおおおおおお!!」


 咆哮とともに突進を仕掛ける大トカゲ。

 迎え撃つはヨシヤ。

 強大な力と力が火花を散らし激突する──




 ──ことはなかった。

 

 大トカゲの撫でるような優しいパンチが、ヨシヤの鼻っ柱を抉るように打ち上げた。


「ほげぇえええっ!?」


 ヨシヤはきりもみ回転しながら吹っ飛んだ。

 空と地面をそれぞれ三回ほど見た後、双子たちの真ん前まで盛大に転がった。

 それから、花が萎れるかのように、元の人の姿に戻った。


「ゴフッ……ゴッフォ……!!」


 このときヨシヤが脈絡もなく思い出したのは、小学校の下校中に原チャリにはねられてアスファルトの上を5mほど転がされた日のことだった。

 巨大な質量の衝撃になすすべなく身体ごと吹っ飛ばされる、あの忘れ難い感覚。


 夏の日差しに熱くなったアスファルト、やけに近く聞こえる自分の咳払いの音、視線の先の小さな雑草……。



 

「み、見掛け倒し……ってコト!?」


 巨体のわりに、地面を踏みしめる感覚が妙に軽いな。

 そんなことを考えないわけではなかった。

 そのまさかである。


 好きな姿になれる力。

 ただし、見掛け倒し。

 どうやらそういうことだった。


「うわぁ」


 双子はこの世で最も哀れなものを見るみたいな目でヨシヤを見下ろしていた。

 ヨシヤはプルプルと震える手で土まみれのコートを丁寧に払いながら立ち上がった。




「ガキども!!!!!逃げるぞ!!!!!」


「なんだコイツーーーー!?情けないぞ!?」 

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