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霧のメサイア  作者: 川端矢次郎
第一章 聖女の手のひら
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1-18. 霧は人の罪

 さて、拘束した盗賊たちを連行して村に戻ると新たな問題が発生した。

 当然といえば当然のことだが、村人たちの中に、こいつらを全員殺してしまうべきだと考える者が出てきた。

 

 

 盗賊どもをこんなにぞろぞろと連れてきて、導師様は私たちの身を危険に晒しているんですよ。

 分かっているんですか。

 村人たちがエリナに向ける目はそう言いたげだった。


 

 はっきり言って、ヨシヤも彼らの意見を真っ向から否定する気にはなれなかった。

 ルドを庇うことができたのは、彼がたった一人で武器も持っていなかったからだ。

 無茶を言っているのはこっちの方なのかもしれない。


 もっと悪いことに、ヨシヤがおもちゃのナイフで突き刺すフリをしてみせたルドの足が無傷であることがバレた。

 それを村人たちは、エリナが治したのだと思ったようだった。


「ルドさんのお世話をこっそりお願いしますと、ハンスさんに頼んでおいたのですが……」


 エリナはそう言った。

 ハンスさん。

 エリナが洞窟の底から救い出した少年、ノエルの父親だった。


 自分に引け目がありそうな者をあえて選ぶあたり、この子も抜け目がないなと思った。

 だが、結局ルドの足のことは隠し通せなかったわけだ。


 

「霧が晴れたら騎士団が来るって……じゃあいつ霧は晴れるんですか」


「ヌシがこの辺をうろついてる以上どうしようもないでしょう?」


「霧払いは来月ですよ? 来月までこいつらと一緒に? 冗談ですよね?」


「導師様……せめて、魔法を使うやつだけでも殺しておくべきなんじゃないんですか」

 

 盗賊たちは礼拝所のそばに集められて拘束された。

 村人たちが複数人、交代で見張りに立つこととなった。

 彼らは先の鋭利な農具や、長い棒の先にナイフを先にくくりつけて槍にしてものを手に携えていた。


 不承不承、彼らはエリナの言いつけを守って盗賊たちに手を出さなかった。

 

「無理を言っていることは理解しております。ですから、私が責任を持って……」


「導師様のそれは信用できないんですよ」


 口さがない者は面と向かってそこまで言った。

 エリナは一瞬だけ悲しそうな目をしたが、小さく頭を下げた。


 ヨシヤは思った。

 盗賊たちにすら慈悲をかけるエリナだからこそ、ここまであなたたちのために身体を張ってるんじゃないのかと。

 それとも、そんなふうに考えるのは自分が当事者ではないからなのか?

 エリナの肩を持つ自分は、ひょっとしたら村人たちに対してひどく無神経なのかもしれない。

 

 そうして、エリナとヨシヤは盗賊たちの見張りの任から解かれることとなった。




 南に位置する村の入り口から礼拝所を挟んで向こう側、村の北の端は、南側よりずっとなだらかな下り坂だった。

 一見すればこちらの方がずっと人の生活に適しているように見える。

 しかし、坂の向こうは南側よりずっとひどい霧に覆われていた。


 地平線の彼方まで、霧が山脈のように連なっている。

 まるで雲海のような様相を呈していた。


 坂上の開けたところに大きな木が立っている。

 ヨシヤとエリナは2人並んで、なんともなしにその木の方へ歩いていた。

 村人たちの中にいるのが気まずかったのだ。

 

 後ろからアンドレアもついてきていた。

 3人で、と言うべきなのかもしれない。


「……ったくよぉ。恩知らずな野郎どもだぜ。俺たちのおかげで人質も助かって盗賊どもは一網打尽、これにて一件落着だぜ? 狂った量の紙吹雪とか撒き散らしながら拍手喝采で出迎えてくれて然るべきだろ」


「……。ごめんなさいね、気を遣わせてしまって」


「……」



 坂上の木の下で、2人の老夫婦が佇んで、霧の海を眺めていた。


「……導師様」


「ダリオさん」


 老夫婦はエリナに向かって顔の前で手を合わせて小さく頭を下げ、また霧の海の方を見た。


「これまた、すごいっすね」


 ヨシヤは素朴な感想を漏らした。

 霧は遠くになるにつれて高いところまで濃くなっていき、地平線の方までいくとほとんど雲と見分けがつかなかった。

 その地平を眺めていると、なんだか足元から力が抜けて後ろへひっくり返りそうになってくる。


「年々、近付いてきていますね。そろそろ私たちもよそに引っ越すべきなのかも」


「そんなことを言うもんじゃない」


 ダリオが妻の言葉をたしなめた。

 物憂げな顔で霧の中を眺め、枯れ木のような指でそちらを指した。


「私が幼いころ、あのへんまで畑だったんだがなぁ」


「そう、なのですね……」


 エリナは、それがまるで自らの責任であるかのように俯いた。

 それはある意味で、そう受け取るのも無理からぬものだったのかもしれないと、のちにヨシヤは知る。


「そこのお兄さん、見えるかね。あそこに家みたいなものがあるでしょう。……もう家なんかには見えないかな」


「え? あー、言われてみれば確かに」


 ダリオの指差した先には、確かに何か構造物らしきものが立っていた。

 言われなければ家だとも思わなかったかもしれない。

 ほとんど小さな壁みたいなものだった。


「子供の時分はあそこに住んでいたんだ。霧払いの後はほんの少しだけ……あの家を見に帰れる」


 ダリオは何か懐かしい幻影に浸るかのようだった。

 

「今年の霧払いも……どうか、お願いします」


 ダリオはエリナに深々と頭を下げた。

 あまりに切実な祈りを託すかのように。

 

「ええ……必ず」


 エリナは、胸の前で手をきゅっと握り締めた。

 その声には、自らの肩にのしかかったあまりに大きなものを受けて立つような覚悟が込められていた。

 元々責任感の強い子だとは思っていた。

 だが、こんな顔を見るのは出会ってから初めてだとヨシヤは思った。

 

「霧払いってなに?」


 ヨシヤは、場違いを承知でそう尋ねる。

 老夫婦はとても信じられないという顔をした。


 霧だの霧払いだの、よく分からないことだらけだった。

 そろそろ説明を受けなければならないと思ったのだ。

 

「……一年に一度、寺院のある街では大きな祭典があります。そのとき、導師の力で霧を払うんです。世界の果てからやってくる霧を、この痣の力で」


 エリナが右腕の袖を捲ると、まるで太い杭で穿たれたような真っ赤な痣が現れた。

 ヨシヤはそれを痛々しく思って、あまりまじまじと見るのも気が引けた。

 老夫婦は、そのとき全く違うことを感じていたみたいだった。

 2人は、痣が露わになる前からすでに手を合わせてエリナに向かって祈っていた。


「ここは私たちが住む世界の北の端です。今は霧払い前ですから、こんなことに……」

 

「その上にヌシが近づいてきてると来たもんだ」


「……ふだんは霧の中をさまよっているヌシが、ときおり霧から出てくることがあります。すると、霧がヌシについてくるのです。霧は低いところに流れます。ですから、高所にある村より先に、街道に霧が流れ込んで塞がってしまうことがあります。まさに今回がその一例です」


「ふーん……じゃあ、そのヌシっていうのをぶっ倒すか追い返すかすれば道が開けるわけだ?」


「ヌシは死にません」


「え?」

 

 さっきから聞きたいことが山ほどあった。

 一体どこから聞くべきかと思った。


「ヌシってなんなの?」


「罪人の末路だよ」


 エリナより先にダリオが答えた。

 空が青いのは空気による光の反射だよとか、風邪は微生物が身体の中で悪さしているんだよとか、そういうことを語るのと同じような口調だった。


「だから霧の中なんかをさまようことになるんだ」


「……人を襲う異形です。身体を切り離されるとその断片が魔物に変わり、本体はたちどころに治ってしまいます」


「マジの化け物じゃん……」


 ヌシと別に魔物というのがいるのか?

 ヨシヤが最初に出会った大トカゲ、あれがヌシから生まれた魔物ということになるのだろうか。


「ですが、必ず身体のどこかに、等身大の人間の身体らしきものがついています。死なないとは言いましたが……その部分に導師が直接触れて、癒しの祝福をかけることでのみ滅びるのだそうです」


 エリナは自分の手のひらを見ながらそう言った。

 まるで自分の手に宿った力を確かめるような仕草。


 ……滅びるのだそうです。

 自分でやったことはないという口ぶりだった。


「霧は人の罪だよ。人が自ら悔い改めないから、代わりに霧が世界を包んだんだ。ヌシは導師様の手によってのみ救われる、哀れな罪人たちだよ」


 ダリオは顔をしかめた。


「ああはなっちゃいかん」


 ダリオは、ヌシは人間がなる存在だと当然に受け入れているようだった。


 ダリオの妻は、先ほどからずっと霧の中の一点を見つめていた。

 何かを見つけてしまったようでもあった。


「ねえあなた、あそこにいるのもヌシじゃないのかしら?」


「やめないか!」


 ダリオは、妻が指差すために上げた腕を掴んで下ろした。

 ヨシヤは彼女が指差した方に目を細めた。

 はるか遠く、深い霧の中から顔を出した稜線の上に、何かの影がうごめいている。

 あれがヌシなのか?



 それより、もっと根本的な疑問があった。

 そもそもの話と言っていい。


「あのさ……霧に入ると何かあるの? なんか、霧がかかってるせいで騎士団が来られないって話だったけど……でもエリナは来られたんだろ」


 老夫婦の肩が目に見えて強張った。


「……霧は、罪あるものを裁く」


 ダリオは、震えた唇からそんな抽象的と言っていい言葉を紡いだ。

 すると、彼らはヨシヤが何か聞く前にどこかへ行ってしまった。

 ヌシの話はできても、霧の話はできないとでもいうかのようだった。


「……え、なんか俺いけないこと言っちゃった感じ?」


「……」

 

「な、なに? 入ったら死ぬわけ?」


「いえ、そういうわけでは……」


「じゃあ毒なの?」


「いえ、そうでもありません。ただ……あまりいい気分のするものではありませんよ」


 エリナはそれ以上話そうとしなかった。




 

「霧に? ……………………いいや? 入ったことねえな」


「ちょっと、分かんないかなぁ」


「どっか行ってくれないか。忙しいんだ」


「ああ……ちょっとだけ入っちゃったことあるけど。なんか? よく分かんなかったわ。え、霧の中に? やめた方がいいんじゃない?」


 ヨシヤは、村の者たちに霧がなんなのかについて聞いて回った。

 どいつもこいつも、明らかに何かを隠していた。

 みんなで同じように霧を恐れながら、その誰もがそれを言うまいと口を噤んでいるのだ。

 

 

「なんでだよ……なんで教えてくれねえんだよ」

 

 あまりいい気分のするものではありませんよ。

 エリナはそう言った。


 ……気分が悪い。

 その程度のことなのか?

 

 だとしたら、なぜこの村の者たちはあんな顔をするのだ。

 なぜ騎士団は道が開けるまで来られないという話になるのだろう。

 人の命がかかっているというのに。



「気になっちゃうじゃん……」


 ヨシヤはこっそりと南の坂道から森の方へ降りた。

 今、霧の前にいた。

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