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霧のメサイア  作者: 川端矢次郎
第一章 聖女の手のひら
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1-16. 叶えられた祈り

「……ミンタさん? ミンタさんっ!! 大丈夫ですかミンタさん!?」


 ヨシヤが床に転がった盗賊どもの衣服からナイフなど、縄を切れそうなものをあらかた没収していると、二階からエリナの切羽詰まった声が聞こえた。



 人質の少女──ミンタは、二階廊下を進んだ一番奥の部屋に捕らわれていた。

 ヨシヤが部屋に駆け込むと、エリナがその少女をひしっと抱きしめているところだった。


 6歳とかそこらだろうか?

 エリナの肩越しに見えるミンタは明らかに顔色が悪かった。

 小さな足首に細い縄が雑に巻かれており、それがベッドのフレームまで伸びて繋がっていた。


「……罪の苦しみからお救いください」


 震えた小さな声で、エリナが聖句を唱え終えたところだった。

 ミンタが薄く目を開く。

 エリナは抱き寄せたミンタの背中から手を離し、肩に手を当ててそっと顔を覗き込んだ。


「導師……様……?」


「よかった……!! ミンタさん、もう大丈夫ですからね? 悪い人たちは……お兄さんがみんなやっつけてくれましたから」


 エリナはまるで、自分の声の大きさひとつで衰弱したミンタを苦しめてしまわないか怯えているみたいに、本当に小さな声でミンタに話しかけ続けた。


 床に置いた大きな鞄へ手を伸ばし、皮袋を取り出した。

 袋には飲み口のようなものが付いていて、揺らすとちゃぷちゃぷという水音が鳴った。


「喉は渇きませんか……?」


 ミンタは開いたはずの目をいつの間にかまた閉じていた。

 そのまま弱々しく、こくこくと頷いた。


「ゆっくり飲んでくださいね。少しずつで大丈夫ですから」


「……エリナ、支えるよ」


 ヨシヤは今にも倒れてしまいそうなミンタの背中に手を当てて支えると、エリナは皮袋の飲み口をミンタの口に添えてゆっくりと傾けた。

 ミンタは意識があるのかどうかも怪しかった。

 だが、口に水が触れると、小さく喉を上下させた。

 ヨシヤもそれをハラハラして見ていた。


「ミンタさん、しょっぱいものは欲しくないかしら? 塩も持ってきているんですよ。どう?」


 ミンタが頷いたので、エリナは白い粉の入った瓶に小さな匙を突っ込んから、ミンタの唇に当てがった。

 小さな舌の先っちょが匙をちろちろと舐める。


「……栄養失調による衰弱は、癒しの祝福も効果が限定的です。傷や病気と違って、身体に必要なものが足りていない状態は、ちゃんと食事を取らせてあげないと元気に戻らないんです」


 ミンタの舌の動きが止まった。

 エリナは匙を離すと、またミンタの顔を覗き込む。

 先ほどまで慌てた様子を隠せなかったエリナも、ミンタが水と塩を口にしたことで少しだけ落ち着きを取り戻してきたようだ。


「お水とお塩、次はどっちがほしいかしら?」


 ミンタは、ひときわ大きく頭をうなだれさせた。


「……お肉、食べたい……」


 ヨシヤはエリナと顔を見合わせた。


「なんだ元気そうじゃん」


「ヨシヤさん。笑いごとじゃありません」


 そう言いながらも、エリナの目元からはほんの少しだけ強張りが抜けていた。


 ヨシヤは盗賊たちから取り上げたナイフでミンタの足を繋いだ縄を切ってやった。




 結局、全てが落ち着く頃には日が落ちてしまった。

 エリナが蝋燭とランタンを持ってきていたものの、盗賊たち全員を連行して村まで戻るには心許ない。

 まして、衰弱したミンタを連れて夜の森を進むことになる。


「ここに放置じゃダメなの? 騎士団? だったっけ。そいつらが来るまでここで死なない程度に面倒見ればいいじゃん」


 ヨシヤは素朴な疑問を口にした。

 すると、エリナの答えはこうだった。


「時期が今でなければそれも考えました……ですが、ここがいつ霧に呑まれるかも分かりませんから」


 夜は更けていた。


 寝室に燭台の淡い光が浮かんでいる。

 外の風に、一時だけ窓枠がカタカタと揺れた。


 エリナはミンタをベッドに寝かせ、そのすぐ横に寄り添って優しく少女の肩を撫でていた。

 撫でてあげているうちにだんだんとエリナ自身もまどろんできているように見えた。


 ヨシヤは椅子に腰掛けてそれを見ていた。


「……ヨシヤさん」


 寝息をたてるミンタを起こさないように、囁くように呼ぶ声。

 その声が妙にくすぐったく感じた。


「ん?」

 

「どうして、ここまでしてくださるんですか?」


 言った後で、エリナはすぐに、自分でも気が緩んでおかしなことを聞いてしまったと思ったみたいだった。


「なに? 俺って従者として就職したつもりでいたんだけど」


「……そういうことではなくって、です」


 エリナの言うことは分からないでもなかった。

 いくらなんでも身体を張りすぎだ、とでも言いたいのだろう。

 でも、それはエリナだって同じことなんじゃないのか。


「それを言うなら、エリナこそだろ」


 ヨシヤはほとんど思ったままを口にした。

 代わりに、他の本音を隠した。


 きみのことが気になっていて、いいところを見せたかっただなんてどうして言えよう。


「私は……導師ですから」


「答えになってねー」


「ふふ」


 エリナは薄く目を細めた。

 なんだかそのまま眠ってしまいそうなくらいに表情が緩んでいた。


「ミンタさんのご両親は……きっと、私を恨んでいます」


「なんだって?」


 エリナの唐突な告白が、ヨシヤの意識を叩き起こした。

 この子が誰かから恨まれる筋合いがあるだなんて話は、何かの摂理に反しているように感じられた。


「村の方々はね……今朝、初めて盗賊に逆らったんです。私が、戦う手段を与えてしまったから」


「あ……」


 ヨシヤは思い出した。

 村の入り口や礼拝所の周囲に敷かれた防衛線の数々を。

 丸太を組んだ柵。

 地面に掘られた堀。

 全てエリナが村人たちにやり方を教えたものだった。


「村じゅうから丸太を集めてもらって、柵を作りました。地面を掘ってもらって、みんなで崖の上から石を投げる練習をして、それから実際の配置を考えて……。そんな私たちの様子を、ヘルマンさんとエルザさんは……ミンタさんのご両親です……お二人は、ずっと冷たい目で見ていた。後になってから私は、娘さんが人質に取られていたことを知りました」


「…………」


「でもね、私……最初からミンタさんのことを知っていたら、一体どうしたのかしら……」


 そう言いながら、エリナはもう一度ミンタの額を愛おしげに撫でた。


「本当に、無事でよかった」


 潤んだ目に蝋燭のオレンジ色の光が揺れていた。

 そして、ゆっくりとその顔をベッドに埋めていった。


「ヨシヤさん……本当に、ありがとうございます」


 エリナの肩から、まるで萎むみたいにしなしなと力が抜けていく。

 不意に彼女がヨシヤの目に、聖女などではなく、ただの年頃の少女のように見えた。


 ヨシヤは愕然とした。

 ルドに化けているときに聞いた、オズの言葉を思い出す。


『死体で返してやろうかと思ったが……』


 そうだ。

 ミンタが今生きているのは盗賊どもの気まぐれにすぎないじゃないか。

 エリナは村人たちに感謝されながらずっと、ミンタのことで気を張り続けていたのだ。


 盗賊どもを追い返してやったぞ。

 導師様のおかげだ。

 熱狂する村人たちの中にいながら、もしミンタの身に何かあれば自分が殺したようなものじゃないかと、一人ずっと責め苛まれていたのだ。


 エリナの気の抜けた表情は、身を切るような祈りの果てにやっと訪れた安堵だと思えば全くもって腑に落ちた。


 エリナはベッドに顔を伏せたまま動かなかった。

 眠ってしまったのかもしれない。


 ヨシヤは不意に思った。

 この子は、守ってあげたいなどと言うのもおこがましいほど強い子だ。

 けれどせめて、この子が一時でも気の抜けた顔を見せられるように助けになってあげたい。

 そう思った。

 

 そうしてこの子に「ありがとう」と言ってもらえることはどんなに素晴らしいだろうと。


 ヨシヤは、自分のあまりにも綺麗な手の甲を見下ろした。

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