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霧のメサイア  作者: 川端矢次郎
第一章 聖女の手のひら
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1-13. 守ってくださいね?

「レンガの家? ああ……子供の時分に遊んだの覚えてるがね」


「あんなところに盗賊どもが? ははあ……」


 ルドの証言した盗賊たちの根城というのは、村人の中で高齢の者にとってはよく知った場所らしかった。

 今では危ないから近付くべからず、というのが村人たちの共通見解らしい。

 なんでも魔物が出やすい、風向きによっては『霧』が流れ込んでくるから、だとか。


 森に出ると、枯れた川の跡がある。

 それに沿って谷の方へ向かっていくと崖に突き当たるから、今度は右手に進むと、森の中ではひときわ目立つ赤い屋敷が見えるということだった。




 エリナは礼拝所の脇に停まった馬車から大きな鞄を取り出してきた。

 馬が顔を寄せてじゃれつき、エリナの耳にかかった短い黒髪がはらりと落ちる。

 エリナはくすぐったそうに笑って馬の首を撫でた。


「ふふ……いい子いい子」


 それを見て、やはりこの子は有為子ではないんだと思った。


 有為子は動物を好かないようだったから。

 なにせ、鼻を擦りつけてくる犬に見向きをしないほどだ。


 エリナは鞄の中から鈍い色の金属の輪を取り出した。

 輪はふたつあって、その間が太い鎖でつながれていた。


「なにこれ?」


黙石(もくせき)の手枷です」


「も、黙石?」


「ご存じではない?」


 ヨシヤは唇を尖らせて頷いた。


「……黙石は、触れた者の霊気(オド)を封じる力があります」


霊気(オド)?」


「人の精神から生まれる見えざる力……魔法の行使に必要な力です」


「……なるほど」


 ヨシヤはだんだんと話が見えてきた。


「魔法を使う奴は……要するに、盗賊の首領だけは、こいつをはめて捕まえる必要があるってわけだ」


「話が早くて助かります」


 エリナは手枷の片方を開いてみせた。

 最初、その手枷そのものが黙石でできているのかとヨシヤは思っていた。

 よく見ると、その金属の輪の中に緑色の石がはめこまれているのが見えた。


「この内側にはめこまれている石が黙石です。ただし、黙石には霊気(オド)に触れたとたんボロボロに崩れるという性質があります。魔術師が防御のために纏った薄い霊気(オド)の層だけでもだめになってしまうほどに……」


「え? じゃあだめじゃん」


「ですから、霊気(オド)を使い切らせたり、気絶させてからこの手枷をはめる必要があるということです」


「ははあん、なるほどね」


 ヨシヤは手枷を手に取り、上に掲げて覗き込んでみたりした。

 その緑色の石に触れてみる。


「…………」


 エリナの顔を見ると、不思議そうに首をかしげた。


「どうか、されましたでしょうか?」


「いいや、なんでもない」


 ヨシヤは手枷をエリナに返し、腕を曲げて力こぶを作ってみせた。

 

「つまりだ。俺がルドの野郎に変身して奴らのアジトに入り込む。で、エリナは外で待機。俺はなんとか捕まった女の子を助け出し、可能なら盗賊どもを全員ボコボコにする! そんときは仕上げに盗賊のボスにその手枷をはめてやればいいわけだ」


「大筋では、そういうことになります。本当ならアンドレアに一人で入って暴れてもらうのが一番いいのですが……人質がいますから」


 ガシャン、ガシャン、と音をたててエリナの後ろに立つアンドレア。

 相変わらず不気味な野郎だ。

 一言でも喋ればいいのに。


 それより、一人で暴れてもらうのがいいって……こいつ、そんなに強いのか?


「ヨシヤさん、一人で大丈夫ですか?」


「じゃあ他にどうすんのよ」


「それは……」


「なんかあったとき逃げること考えたら、俺以外適任いないでしょ。なんなら一番安全まである」


「……ありがとうございます」


 エリナは俯いた。

 ヨシヤには気になることがあった。


 黙石の手枷。

 その力は本物なのだろうと確信した。


 ヨシヤはさきほど、あの緑色の石に触れながら、もう一度ルドの姿に変身してみようと試みたのだ。

 だが、変身できなかった。

 この手枷はヨシヤに対しても脅威になりうるということだった。




 村を出ると、聞いていたとおりの場所にすぐ、その枯れた川の跡というものが見つかった。

 老人の昔の記憶なんてあてになるものかと不安だったヨシヤは拍子抜けする思いだった。


「そういやさ」


「なんでしょう?」


 先を歩くエリナに語り掛けた。


「エリナの力も魔法なの?」


「……正確には、違います。教父様より祝福を受けたナラ教徒のうち、敬虔な者の身体に痣が現れます。痣を持つ者が導師となり、様々な力を得ます。そのうちのひとつが、癒しの祝福です」


「ふうん……」


 ということは、エリナの僧衣の下にはその痣があるということか。

 こんな小さな女の子の身体に、痣が。

 何か、彼女の献身が余計に痛ましいもののように思われた。


「これも作戦上重要なことだから聞いとくんだけど、どこまでの傷なら治せるの?」


「ああ……ええと。これはきちんと説明しておくべきでしたね」


 そう言うと、エリナは何かの準備をするように小さく息を整えた。


「まず、皮下組織に達していない傷はただちに治ります。化膿、感染症は一度祝福をかけると時間をかけてゆっくり快方に向かいます。壊疽も同じ経過をたどりますが、腐ってしまった部分は凹んだような痕が残る場合が多いです。骨折……は、さきほど見ていただいた通りですね。欠損は部位が残っていればくっつく場合が多いです。後から生やすようなことはできません。臓器と神経は特に治癒に時間がかかります。また一度自然に治ってしまった傷については効果が限定的です。亡くなった方は治りません。私自身の身体は治せません。……以上ですが、他にご不明点はありませんか?」


「お、う、うん……」


 信じられないほど流暢に話すその様に、ヨシヤは圧倒された。

 これまで何度も自らの口で説明してきたことは間違いなかった。


 そしてその内容を裏打ちする、これもまた数えきれない血塗られた実証の数々。

 そんな残酷な経歴が、小さな身体にのしかかっているように見えた。


「……ん?自分の身体は治せないの?」


「そうなんです……困りますよね」


 ヨシヤは今までで何より驚いた。

 重大な前提がひっくり返ったように感じたのだ。


 ノエルの傷を癒すために、穴の中に飛び込んできた、あのとき。

 あのときエリナは、最悪自分が怪我をしてもすぐに治せるから危険を省みずに飛び込んできたのだと、そう思っていた。

 それが全くの見当違いだったことを知って、ヨシヤはエリナの背中が遠く見えた。


「ヤバいじゃん……」


「ええ、本当に。ですから、守ってくださいね?」


そうやって笑う彼女の言葉は冗談めいて聞こえた。

この女は、いざとなれば自分から前に突っ込む。

そう確信させるような強い芯を、小さな身体の中に確かに見て取れた。

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