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霧のメサイア  作者: 川端矢次郎
第一章 聖女の手のひら
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13/16

1-12. 負けた気がした

「……じゃ、ひとまずはこんなとこか。協力してくれてありがとな」


 今すぐにでも村の人たちに、森の中の屋敷について聞き込みをしたかった。

 ヨシヤは、椅子から立ち上がりかけた。


「まだ話は終わっていませんよ」


「え?」


 エリナは、ここからが本題だとでも言わんばかりにルドを真っすぐ見つめていた。

 ヨシヤは椅子から浮いた腰をもとに戻すべきか判断しかねた。


「あなた、ナラ教の信者様ですか?」


 ナラ教。

 その名前を初めて聞いた。

 そうだ、エリナは村人たちの信仰する宗教の聖職者なのだ。


 唐突に宗教勧誘が始まったことにヨシヤは動揺した。

 この状況で?

 縛られた盗賊を前に、今から?

 

「え、えと……昔いた村で、巡回の導師様から説教を聞いたりは、まあ……」


「盗賊は、原則として縛り首とされています。しかしナラ教への帰依と奉仕活動の宣誓により刑の減免を受けられる場合があります。自由の身とはいきませんが、死なずに済みます」


 すらすらと述べるエリナ。

 ヨシヤはその口ぶりに、何か手慣れたものを感じた。

 まさかこいつ、言い慣れているな?


 さらに驚いたことに、椅子から立ち上がったエリナは机越しに身を乗り出してルドの肩に手を当てた。


「私が減刑の嘆願書を書きましょう」


 エリナの声は柔らかかった。

 しかし、妙に力があった。


「その代わり……これからは清く正しく、他の人を幸せにしてあげられる人になると約束してください。私は、そのために貴方を助けたのですから」


 ルドはエリナの真っ直ぐな眼差しに、一瞬目を見開いた。

 だが次の瞬間、顔がぐしゃりと歪んだ。

 そしてルドは机の上にボロボロと涙を落としながら、何度も頷いた。


「は、はい……はい……っ」


 それを見てヨシヤは、なんなんだこれは、冗談じゃないぞと思った。


 ついさっきまで、こいつは自分の保身しか考えていなかったはずだ。

 なのに今は、まるで本当に救われた人間みたいな顔をしている。

 これが良いことなのか悪いことなのか、答えが出せそうになかった。



 『……もういい?』


 その一言を口にするのも躊躇われた。

 ルドの様子がようやく落ち着いて、エリナは静かに手を離して立ち上がった。


 やっと終わった……。

 そう思い、エリナの後に続こうとした。

 そのときだった。


「あ、あの」


 ルドが二人を引き留めた。


「どうかなさいましたか?」


 エリナが踵を返してルドに向き直った。


 ルドは、何かを言おうとして、何度も口を開け閉めした。

 まだ迷っていた。

 ヨシヤにもそれが分かった。

 何かを秤にかけている顔だった。


「お、お頭は……炎の魔法を使います」


「魔法?」


「存じ上げています」


 エリナの返事は短かった。

 だが、声がわずかに鋭くなった。


「そ、それでなんですけど……術を撃てるのは1日10発までって言ってました。でも俺、数えてたんすけど……9発までしか撃つとこ見たことなくって……み、見栄張ってるのかも……」


 ルドはそこで一度、怯えたように肩をすくめた。


「で、でも! あの性格なら10発より多いってことはないはずです!」


 聞かれてもいないことをルドは自ら話し始めた。

 ヨシヤは呆気に取られた。 


「お、俺、住んでた村が霧に呑まれて……どこにも行くとこなくて、そこをお頭に拾われて……お頭がいなければ、今頃死んでたかも……」


 ルドの声が、途中から哀れなくらい震え始めた。


「で、でも……俺、もう、人殺したくない……!!」


 なんなんだこれは。

 これじゃまるで、エリナのやり方が尋問としても正しかったみたいじゃないか。

 収まったはずの涙をまた流し始めるルドに、エリナは優しい目で頷いた。


「話してくださって、ありがとうございます」


 エリナは、ルドの肩にもう一度そっと手を置いた。

 その顔はとてもじゃないが、計算づくでルドの心を開かせた策士のものではなかった。


 ただ本気で、目の前の盗賊が良くなることを願っている。

 そのために自分が力を尽くすのが当然だと信じている。

 そういう顔だった。


 おかしなことだが、ヨシヤは、負けたと思った。

 何に負けたのかはよく分からなかった。






「魔法、か」


 礼拝所を出て、森の向こうの霧を眺めた。


 魔法。

 この世界に来て、その名前を初めて聞いた気がした。

 魔物がいる、傷をたちどころに治す奇跡の力がある。

 魔法だってあって不思議じゃない。


「盗賊たちの首領は、炎の術を使います。そのせいで村の方々は太刀打ちができなかった。それをどうするかだけは、根城を突き止めたとしても未だ課題です」


「ああ、それについてなんだけどさ」


 ヨシヤは、ルドの顔を思い出した。

 あの情けないアホ面。

 手足を縛られた姿、全身をめった刺しにされて死にかけた惨めな姿。

 そんな姿ばかり思い出す。

 背丈はどれくらいだったっけ。


 身体の輪郭が内側からずれるような感覚がした。

 鼻を通る息の冷たさが変わる。

 まるで粘土をこね直しているみたいだった。


「こんなのはどうよ?」


「ひっ……!」


 振り返ったヨシヤに顔を見て、エリナはまるで化け物に会ったみたいに怯えた。

 今まで見せなかったような顔だった。


「どお? 似てる?」


 ヨシヤはルドの姿に変身していた。

 エリナは引きつった顔で小さく頷いた。

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