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霧のメサイア  作者: 川端矢次郎
第一章 聖女の手のひら
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1-10. 正義は血の色

「何を、なさっているのですか」


 エリナの一言で、群がっていた村人たちが道を開けた。

 おびただしい量の血にまみれた男が、みっともなく身体をくねらせて土を引っ掻いていた。


「盗賊の一味ですよ、導師様。全員逃げたと思ってたら、蔵の中に隠れてやがった」


 引き裂けたシャツ。

 胸元から首にかけて無数の刺し傷が見え、右の頬が裂けていた。


 エリナは男のそのすぐそばに駆け寄り、迷いなくその手を取った。

 自分の手が血で汚れることも厭わずに。


「ど、導師、様……導師様ぁ……!!」


 男は口から泡立った血を吐き出して目の前の小さな少女に縋り付いた。

 人間はここまで哀れになれるのか、とヨシヤが思うほどの有り様だった。


「慈しみ深き聖者ナラカよ。あなたが私を愛すように、私もこの者を愛します。その深き愛によって、この者を罪の痛みからお救いください」


 エリナは低い声で一息に唱えた。


「オアッ……!!」


 男がうめき声をあげ、一瞬だけ身体を跳ねさせた。

 するとどうだろう。

 男の全身はまだ血で汚れていた。

 しかし、無数にあった傷はひとつ残らず消え去っていた。


「あ、あああッ……!?」


 まるで信じられない奇跡を目にしたように、男は自分の身体を見た。

 何度も何度も、身体のあちこちを手で叩くように触った。

 歓喜に涙を流さんばかりだった。


 


「導師様……?」


 声をかけたのは、先の尖った鋤を手に携えたマーサだった。

 鋤の先端からは血の雫が滴っていた。


「なにやってるんですか」


 別の村人が問いかけた。

 素朴な言葉の裏に、言い知れぬ怒りを孕んでいるようにヨシヤには聞こえた。


 あんた、自分が何をやっているのか分かっているのか。

 そう問いただすようだった。


 エリナは、彼らが自分にどんな感情を向けるかなど百も承知というふうだった。

 一歩も引かぬ姿勢をあからさまに示すような凛々しく真っすぐな視線で、ゆっくりと村人たちの方へ顔を上げた。


「……彼は、私が責任を持って拘束します。霧が晴れ、騎士団が到着し次第、身柄を引き渡します。公正な裁きを受けていただくつもりです。くれぐれも誤解なきよう……」


「公正な!?」


 村人のうち若い男が前に躍り出た。


「そいつを治してやることが公正だってんですか!?」


「……丸腰の相手を一方的にいたぶり殺すようなことは看過しかねます」


「俺たちだって丸腰だったんですよ!!」


 彼はエリナが言い返すのを待っていたかのようだった。

 エリナの何倍だって、彼らには言いたいことが山ほどあったのだ。

 気兼ねなくぶちまけるそのきっかけを欲していたふうだった。


「うちの親父は逆らった見せしめに腕を切り落とされた!! 親父は治してくれなかったくせにそいつは助けるっていうんですか!?」


「ジナとラッカはまだ8歳なんですよ、それがこいつらのせいで……」


 彼らの言葉に、エリナは胸の奥がずきんと痛んだような顔をした。


「お気持ちはごもっともです。しかし……」


「知ったようなことを!!」


「そいつが逃げ出してまた誰かを殺したらどう責任取ってくれるんですか!?」


 言った後からその村人は、上手い口実を思いついたものだというような顔をした。

 きっとその男をめった刺しにしてやる理由になればなんでもよかったのだ。


「そ、それは……」


 村人たちの怒りがみるみるエスカレートしていっているのが目に見えた。

 盗賊たちへの怒りが、エリナにまで向こうとしていた。

 農具を持つ彼らの手がみるみる力んでいくようだった。




「あのさあ」


 ヨシヤの声に、みなが静まり返った。


 咄嗟のことだった。

 口を挟まずにはいられなかったのだ。


 数えきれない視線がこちらを向いて、俺は何をやっているんだと思った。

 今にでも「なんでもないです」と言って逃げ出してしまいたくなった。

 ヨシヤは唾を飲み込んだ。


「そいつがさあ……万が一逃げ出して悪さしたらまずいって、そういう話なんだよな?」


「そ、そうだよ……」


 ヨシヤは村人たちと盗賊の間に割って入った。

 エリナはヨシヤを、この男は一体何をやるつもりなのだと恐る恐る見ていた。


「じゃあさ、こうすりゃいいじゃん」


 ヨシヤはコートの胸元からナイフを取り出した。

 そしてそれを、思い切り男の足に突き立てた。


 男は目を見開いた。

 一体何が起こったのか分からないというふうに。


 そして理解したとたん、痛ましい悲鳴を上げた。


「ウッ……ァアアアア!?」


 ヨシヤは、自分でやっておいて、男のあまりの声の大きさに肩をびくつかせた。

 ナイフの柄から伝わる感触に血の気が引いた。


 村人たちの顔を見ると……彼らはヨシヤの行動にドン引きしていた。

 おいおい、お前らがやったのと同じことだろうが。

 ヨシヤはそう言いたくてしかたなかった。


 どうやら、同じ残酷なことをするのでも、集団の熱狂のうちでやるのと涼しい顔してやるのでは、見え方というものが全然違うようだった。

 恨みもない相手に平然とナイフを突き立てる、部外者の青年。

 その訳のわからなさに、彼らは困惑しているようだった。


 エリナも同じ顔でヨシヤを見た。

 困惑と、そして静かな怒りを滲ませた顔で。

 それを見てヨシヤはほんの少し胸が痛んだ。


「ヒッ……ヒッ……」


 盗賊の男もそうだった。

 ──こいつは俺を助けようとしているのか?殺そうとしているのか?

 分からない。

 分からないから、なんだったら一番にヨシヤに恐怖していた。


 つとめて平静を装いつつ、ヨシヤは立ち上がった。


「片足だけじゃ不安か? ああ、両腕もいっとく?」

 

「ひいっ!?」


 男は情けなくエリナの僧衣の裾にしがみついた。


「……つーかさ。まだこいつらの根城の位置も分かってないんだろ? 人質もいるって聞いたぞ。殺すにしたって聞くこと聞いてからでしょ。もっと真面目にやろうぜ」


 村人たちを見回す。

 腹に変な力が入っている。

 息が詰まって、上手く喋れているのか自分でも不安で仕方なかった。


「な?」


 大袈裟に腕を広げるヨシヤを前に、村人たちはもはや農具を持つ手に力が入っていなかった。


 自らの残酷さを悔いたわけでもない。

 迂闊な行いを恥じたわけでもない。

 ただ、冷や水をぶっかけられて熱狂が冷めてしまったのだ。


 一拍置いて、ヨシヤは少しだけ声を落とし、ゆっくりと語りかけた。


「……マーサさん。こいつは部外者の俺とエリナが責任持って尋問するよ。あんたらじゃ……こいつを前に、冷静じゃいられないだろ」


 つとめて、彼らの痛みに寄り添うような声で語りかけた。

 マーサは唇を噛むと、目を伏せて頷いた。


 それを見た村人たちは、その首肯が自分たち全員分の同意を代表したように感じたみたいだった。

 掲げていた農具を下げ、ある者はやり切れないため息と共に肩を落とし、ある者はこの場を立ち去ったりした。


 去り際、若い男が何か言いたげにヨシヤを睨んだ。

 だが、何も言わなかった。




 盗賊の男に、ヨシヤとエリナの二人で肩を貸してやった。

 礼拝所まで連れて行って、そこで尋問することになった。


 男はあからさまにヨシヤに恐怖していた。

 ……助かった。でもこいつに身を任せていいのか?

 肩にかかった彼の腕にはそんな強張りを感じた。


「……ヨシヤさん」


 小さく落ち着いた、そして真剣な声でエリナが呼んだ。


「ん?」


「村の方々を説得する方便と理解しています。ですから止めませんでした。……ですが、礼拝所に運び込んだら即刻この方の足を治させていただきます。止めないでくださいますね?」


「ああ、そうしてやってくれよ」


 村の奴らに聞かれていないか、ヨシヤはそれだけが気になった。

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