暗い森
いつものように、あの森までやってきた。しかし、いつもと違い二人で、だ。
少しずつ血が高ぶるのを感じる。ここに来ると、本能がくすぐられて五感が鋭くなるのだ。耳を澄ますと、ネルの少し速くなった心臓の音すらもよく聞こえた。
「ネル、やっぱり怖いのか?」
「え? なんでそう思ったの?」
「心臓の音が速くなってる」
「ええっ! 聞こえてるの? なんで!?」
「魔獣の聴覚ってやつか」
ネルは俺から少し距離を置いて、目を逸らした。鼓動のスピードが変化するのは当たり前のことだ。別に恥じることはないのだが。
「なぁ、ネル。今から魔獣の姿になるが……その、何度も言っているが他言無用で頼む」
「今までだってそうしてきたよ。大丈夫だから」
「後は、なるべく遠くにいて欲しいのと……それと」
「それと?」
「嫌いにならないでほしい」
「……! なるわけないってば!」
ネルは首を横に振って、その後大きく頷いた。
「私から頼んだんだから、尚更ね」
「ならいいが」
「それにしても……クロードにもそんな感情があったんだね。なんだか、その。良かった」
「そんなに意外だったか?」
「うん」
せっかく友達と呼べる存在ができたんだ。これから人間について学ぶためにも、彼女に嫌われてしまっては困る。
「じゃあネル、少し離れてくれ」
「わかった」
俺は本能に身を委ね、空腹を〝味わった〟……すると、身体が自然と形を変えていく。やがて、月明かりに晒された俺の手は魔獣のそれになっていた。ふと、ネルの方を見ると、彼女はしっかりとこちらを見ていた。
あまり見ないでくれと言ったのだが……。
俺はそのまま四つ足で地面を這うような体勢になり、茂みの中へと駆け出した。周囲に漂う臭いや音を頼りに、餌になりそうな魔獣を探す。
そして、一匹の小さな魔獣を捕まえることができた。こいつは小動物のような体躯をしているが、牙や爪は鋭く、何匹もが束になると俺でも苦戦するような魔獣である。
俺はまだ抵抗している魔獣の喉元めがけて、牙を剥き出した。
「すまんな」
噛みついた瞬間、俺の中の飢えが満たされていく感覚を覚えた。魔獣である俺の意識が少しずつ薄れ、食べ終わる頃にはまた、俺は人間になっていた。
そして、口元をハンカチで拭うと、ネルの元へ戻ることにした。
────その瞬間、ネルの声でハッとした。
「クロード!」
俺はすぐさま、声のする方へと走った。やはり人間の状態では魔獣のときほど速くは走れない。俺は珍しく血の気が引く感覚を覚えていた。
「ネル、どうした!」
「魔獣が……!」
見ると、ネルは一匹の小さな魔獣に襲われていた。地面に倒れ込んで、必死にそいつを振り払おうとして暴れている。
俺は、手に魔力を込めて、小さな火の玉を放った。それが、弧を描いて魔獣に着弾し、そいつはその勢いで数メートル先まで飛ばされた。
そのまま、魔獣は森の奥へと逃げていく。
「ネル! 大丈夫か!」
「うん、多分……」
ネルは転んだ衝撃で膝を、魔獣に噛まれたのか腕を怪我していた。特に腕のほうからは、だらりと血が流れている。俺は慌ててヒールの魔法を使い、傷口を塞いだ。これも、学園で学んだものだ。
「すまない、俺が離れていてくれなんて言わなければ……」
「大丈夫だって、怪我くらいヒールすれば治るんだからさ」
「いやでも、その。怖かっただろ?」
「まぁ、ちょっとね。でもクロードが助けてくれたし」
ネルは起き上がろうとして地面に手を付くが、よろけてまた倒れてしまう。
「どうした?」
「分からないけど……ふらふらするんだよね」
「傷口を見せてみろ」
ネルの腕を見ると、先ほどの魔獣に噛まれた部分が変色していた。間違いない、あいつの牙には毒があったんだ。しかし、俺もネルも、まだ解毒の魔法は習っていない。
「ネル、急いでシーナ先生のところへ行くぞ」
「そっか、うん……じゃあ、起き上がるのだけ手伝ってくれる?」
「そんな状態で歩かせるわけないだろ」
俺はネルの足と背に手を添えて、そのまま持ち上げた。彼女の身体はやけに軽く、少し心配になるほどだった。しかし、今はそれのおかげで助かる。急いで医務室へ連れて行こう……今は夜だが、シーナ先生は住み込みだからいつでも医務室に来て良いと言っていたはずだ。
「クロード……これ、その。お姫様抱っこってやつじゃ!」
「なんだそれ? とにかく、走って医務室へ行くから振り落とされないようにしろよ」
「え? うん……」
「何かあったら言え」
「わ、わかった」
俺はネルを抱えたまま、急いで森を出た。




