何も覚えていない
その日、俺はネルと待ち合わせのために日時計のある広場まで来ていた。彼女と夕飯を一緒に食べる予定なので楽しみではあるが、一つ気になることがあった。
本当に偶然、今朝クラスの名前も知らない女子に話しかけられて「放課後、よければ広場まで来てくれない?」と言われた。俺はもちろん断ったのだが、その後ネルに言われてここに来てしまった。
その女子は何か俺に用があったのだろうか。実はレオ・ファミリーで、弟子入りを申し込みにきた……とか? 厄介な奴じゃないといいが。というか、一度断ったから広場に来たりしないよな……?
しかし、それは安易な考えだった。背後から話しかけられて振り返ると、今朝会った彼女がそこにはいた。
「クロードくん、来てくれたんだね!」
「いや、これは……」
「嬉しいな、ごめんねわざわざ来てもらって」
「……」
彼女は本当に俺が呼ばれて来たと勘違いしているみたいだ。ここで弁明してもいいが、ネルが来るまできっと時間がある。なんの要件だったのかだけ聞いておこう。
「で、その。俺に何の用が?」
「えっとね……それは、その。えっと」
「どうした?」
「以前、クロードくんがさ。魔法の授業で私が怪我したときに治療してくれたよね?」
「そうだったか?」
「そうだったよ! 本当、助かったんだから!」
似たような出来事が多すぎて全然思い出せないな。彼女の名前すら知らないのに……というか同級生であることも、存在すらも今日認識した。
「それで、俺に用事ってのは?」
「あ、うん……その、単刀直入に言うとね」
「あぁ」
「私と、その……えっと。付き合ってほしい!」
彼女は赤面しながら、俺に必死に頼み込んだ。付き合ってほしいということは、俺の事が好きということか? しかし、俺は別に彼女のことが好きではないからな。
それに、俺は魔獣だし。
「いや、やめておくよ」
「えっ! そ、そっか……そうだよね」
「すまんな」
「ううん……クロードくんは悪くないよ」
彼女はとうとう泣き出してしまった。これはマズいことを言ってしまったか……いや、でも本当に付き合う気なんてないし。というか、急過ぎるし……。
「あの、悪かったよ」
「ううん……ごめんね」
「俺の方こそ、ごめん」
人間の心は、非常に繊細だなといつも思う。彼女が泣いている理由だって、俺にはあまり理解できない。今まで接点が無かったような俺に、付き合うことを拒否されただけだぞ……この学園には魔獣ではなくちゃんとした人間が他にもいるから大丈夫だって。
「ねぇクロードくん……」
「なんだ?」
「さ、最後にこれだけ……受け取って」
彼女はカバンから手紙を取り出し、俺に渡した。俺がしっかりと受け取ったのを確認すると、彼女はその場から走り去っていった。
なんだこの手紙は……俺はすぐさま開封し、中身を見た。しかし、その内容はさっきの彼女の言っていた「好きだから付き合ってほしい」というものだった。他にも、以前俺に何度か助けられたことなども書かれていた。
しかし、何故断られた後にこの手紙を渡したのだろうか。人間の心というのはやはり難しい……それも恋愛に関することは特に。
仕方ない、この手紙は一応持って帰ろう。後はそうだな。ネルを待つか……なんならこのことをネルに相談でもするか。彼女と約束したからな。「人間のことを教えてくれる」と。
◇
広場にやってきたネルは、少し息切れしていた。
「ごめん、クロード! 遅れちゃった……用事が長引いてさ」
「だからって走って来なくてもよかったのに」
「待たせるの嫌だったから……」
彼女はしばらくベンチで休み、息を整えていた。その間に、俺も先ほどの出来事についてネルに話すことにした。
「なぁ、ネル」
「どうしたの?」
「さっき、同級生の女子に『付き合ってくれ』と言われたんだが」
「えっ! そうなの!?」
「それで悩んでてな。手紙も受け取ってしまった」
「そっか、手紙も! ……へ、へぇー」
ネルは複雑そうにしていた。他人のこんな話は聞きたくなかったのか? 確かに、冷静に考えればもう断ったんだし気にするようなことでもないか。しかし、彼女の助言も聞いておきたい気もするな。
「ネルはどう思う?」
「う、うーん……? そうだね、いいんじゃない? その、うん」
ネルはよそ見したまま、いつもより変わった声色で答えた。彼女らしくないオドオドした様子に、少し違和感を覚えた。やはり、こういった話は聞きたくなかったのだろうか。それとも、俺がそんなことをわざわざ報告したことに驚いているのか。
とにかく、この話は一旦終わっておこう。
「じゃあネル、食堂に行こうか。今日の日替わり定食が気になってきたし」
「あ、うんとね! それに関してだけど……今日はその、今から用事があってさ」
「え? わざわざ走ってきたのにか?」
「あ、それはね……その用事があって一緒には行けないことを言いに来たんだ」
「えっ……」
ネルは立ち上がると、急いだ様子でその場を去ってしまった。彼女の背中を目で追いながら、少し……いやかなり残念な気持ちで一杯だった。今日はずっと、彼女と食べる夕飯を楽しみにしていた。薬草学の授業のときも、知らない女子の誘いを断ったときも、ずっと夕飯のことを考えていた。
まぁ、仕方ないか。用事があったのなら……でも、彼女は走ってここまで来てくれたのに。というか用事って何だ?
珍しく、心の中がモヤモヤした。何か言いたいことがある気がするのに、誰にも何も言えない感覚……胸のあたりが濁っていく感覚。
俺は仕方なく、一人で食堂に向かった。
しかし、そのとき食べた日替わり定食は多分ハズレだった。証拠に、味も内容も、何も覚えていない。




