人間
ネルが魔法学園に入学する前日、ディアンタの家には客人が訪れていた。客人の名はシーナといい、世界中を旅している魔法使いらしい。シーナはネルに、魔法についての色々なことを教えてあげていた。
入学が目前まで迫っていたネルは、寝室に戻った後、シーナにもらった本を読みながら言う。
「クロ……明日からお別れなんだね。長い休みが入ったら、きっと帰ってくるから。それまではディアンタさんがお世話してくれるって」
ネルはずっと、泣くのを我慢しているように見えた。俺がそっと彼女にすり寄ると、頭上からぽつりと、一粒の涙がこぼれた。それが、俺の顔にかかった途端────。
「クロ……? ねぇ、大丈夫!?」
急に、うまく息ができなくなってしまった。身体が熱くなり、心臓の音が加速していく。まるで身体が燃えているようだ……。
「クロ!」
その声を聞きつけたディアンタとシーナが、リビングから寝室にやってきた。
「ディアンタさん! クロの様子がおかしい!」
すると、シーナが俺の元に駆け寄ってきて、身体を触った。
「この子は? ディアンタが言っていた魔獣ですね」
「シーナさん! この子、きっと病気にかかっちゃったんだよ、治してくれる?」
「試してます。私もこう見えて回復魔法には自信がありますから」
そう言って俺に魔法をかけるが、俺の体調は良くなるどころか悪化する一方だった。
ネルは泣きながら、シーナと一緒に俺に回復魔法をかけていた。が、もちろん変化はない。
すると、シーナがぽつりと言った。
「なんでしょう。この魔獣から感じる魔力は……まさか!」
「シーナさん、クロはどうなっちゃうの?」
「そうですね……その、私もまだ信じられてはいないのですが」
────この子は、人間になろうとしていますね。
その言葉で確信した。俺は確かに、人間になりたいと思っていた。ずっと、ずっと……ネルと離れ離れになることが怖くて、ずっと一緒にいたくて。
しかし、それがまさか身体に影響を及ぼすなんて……。
すると、ネルがシーナに言った。
「クロは人間になるの?」
「いえ、このままだと、身体がその負荷に耐えきれなくて……その」
「嫌だ! クロは死なないよ!」
「ええ、ですが……」
「嫌だ!」
ネルは俺に抱きついて、必死に回復魔法をかけた。その姿を見たシーナが、ネルに言う。
「回復魔法は無駄です」
「でも……!」
「聞いてください、ネル。私にひとつ提案があります」
「えっ……?」
「私とディアンタの力があれば、もしかするとこの子を人間にする手伝いができるかもしれません」
すると、ディアンタが顔をしかめた。
「呪いですね……しかし、リスクが大きいのでは?」
「ですが、このままではこの魔獣は本当に死んでしまいますよ」
「その判断はネルに委ねましょう」
シーナはネルのほうを見て言った。
「この魔獣が人間になるために、ある呪いを試してみようと思うのですが……それには代償があります」
「代償……?」
「この魔獣が完全に人間になれるまで、約三年かかると思うのですが……その間、あなたとこの子が共に過ごしていた記憶は全て消えます」
「えっ? 私とクロが過ごした時間はどうなるの?」
「この子が人間になるまでは、あなた達は赤の他人ということになりますね」
ネルは俺のほうを見て言った。
「でも、人間になりたいんだもんね?」
「決断しましたか?」
「わかった! 私、少しの間だけクロのことを忘れてもいいから、この子を人間にして!」
「わかりました。その覚悟、受け取りましたよ」
シーナは袖をまくって、言った。
「では、今からこの子に呪いをかけます。ディアンタ、できますか?」
すると、ネルがつけていたペンダントを外すと、俺の前足の上にそっと置いた。
「離れ離れになっても、お互いのことを忘れたとしても、ずっと一緒にいようね。それで、このペンダントが私たちの関係を取り戻す鍵にしよう」
すると、ディアンタが言った。
「ですが、代償として記憶が消えてしまうことをお忘れなく。恐らく、今この瞬間に起きたことすらも忘れてしまうでしょう」
「それは、もちろんネルもわかっているはずです。君もそうですよね?」
シーナが俺を見る。俺はコクリと頷いた。
「では、呪いの準備が整いました。ディアンタも大丈夫ですか?」
「はい、やってみせましょう────」




