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クロ

 ネルの家族が失踪してから、ディアンタの家に住むことになった俺たちは、あの小屋の数倍の大きさの豪邸で、快適な生活ができた。

 ただし、街に魔獣が住みついていると、噂になってしまっては困るとのことで、俺は当分外には出られないそうだ。


 大きく変化した日々の中で、俺はずっと人間という生き物について考えていた。


 彼らは、それが他人であろうと助けようとする。彼らは、たとえそれが家族でも傷つけようとする。そういった難しい習性があるようだ。


 そして俺は、「人間になりたい」と強く思うようになった。人間になれば、ネルと同じ言葉で話せるのに。



 ある夜、俺はネルと同じベッドに寝転びながら、いつものように彼女の言葉に耳を傾けていた。今日のネルは、いつにも増して暗い声色をしていた。


「あのね、クロ。私、実は気づいてるんだ。私の家族は、呪いの治療でここを離れたわけじゃないんだ。家を去る前の日に、お母さんが言ってたの。『私達は大きな街に行って、商人として成功するつもりだ』って」


 ということは、ディアンタのあの発言は嘘だったということになる。恐らく、ネルを傷つけないためだろう。


「それでね、私はその話を聞いて言ったの。『この街に残りたい』って。そしたら本当に、私だけ置いて行っちゃったんだ……」


 ネルは涙をこぼすと、そのまま俺を抱きかかえてベッドに倒れた。


「でも、私にはクロがいるから……」


 その言葉に「俺がいるから大丈夫だ」と答えたかった。徐々に鮮明になってきた人間の言葉、感情……それらはとても儚く、そしてやけに美しかった。


 突然、彼女はすっと起き上がり、言った。


「魔法だよ、もっと魔法が使えるようになりたい」


 魔法? 前に俺を治療してくれた能力だな。


「魔法があれば、きっと私は生きていける! たとえ家族に捨てられたって、生きていけるんだ!」


 ネルは涙を拭う。


「そうと決まれば明日、ディアンタさんに本を借りることができないか頼んでみるね!」


 彼女の目はキラキラと輝いていた。俺は魔法というものがどういった可能性を秘めているのかはわからないが、きっと素晴らしいものなのだろう。

 俺は、興奮で眠れない様子のネルに寄り添いながら考えた。


 俺がもし人間だったら、ネルと同じように魔法を学ぶことができたのだろうか。



 ネルが魔法を学ぶと決めてから、二年の月日が経った。

 彼女は図書館にこもり、毎日のように魔法に関する本を読み漁っていた。背は随分と伸び、回復魔法の腕前はどんどん上達していった。そして、ついにディアンタからとある提案をされることになった。


 その日、夕食をとりながらいつものように三人で話していると、突然ディアンタが言う。


「ネル、魔法の勉強は好きですか?」

「えっ? 魔法の勉強……? うん。好きだよ。魔法のおかげで毎日が楽しい」

「では、そうですね。あなたに言ってなかったことがあります」

「言ってなかったこと?」

「私は、この街の市長でありながら、魔法学園の校長でもあるのです」


 魔法学園。ネルは何度かそのことについて話していた。確か、魔法や魔道具について学ぶことができる大きな学校らしい。この街のすぐ近くにある大きな建物が、晴れていればこの家からでも見えるのだ。

 ネルはずっと、それに憧れていた。


「ディアンタさんが校長……? 魔法学園の?」

「ええ。ネルが魔法学園に入学できる歳になるまでしっかり勉強を続けていれば、入学させてあげようと思っていたのですよ」

「本当!? いいの?」

「はい。あなたは魔法学園で沢山勉強し、偉大な魔法使いになることでしょう」


 ネルは目を輝かせて言った。


「魔法学園に、私が魔法使いに……! 本当に? 嬉しいな……」



 その日の夜。彼女は随分と落ち込んでいた。どうやら、ネルが魔法学園に行く際に、俺はついていくことができないらしい。当然だ。魔法学園は人間のための学校なのだから。


「どうしよう、クロ……私、魔法学園に行くのやめようかな。クロがいなきゃ私……」


 俺はネルの腕からそっと離れると、ベッドの縁から降りて、床に寝転んだ。

 俺はネルと離れ離れになることを恐れていた。しかし、それ以上に彼女の夢が叶わないことへの恐怖があった。俺なんかどうでもいいから、ネルは夢を叶えてくれ。そのために勉強してきたんだろ。


 そしてふと、胸の奥にあった小さな感情が、突然炎のように熱くこみ上げてきた。


 ────俺が人間だったら。


 俺が人間だったら、ネルと魔法学園に行けたのか。俺が人間だったら、ネルにこの気持ちを伝えることができたはず。俺が人間だったら。


 俺が人間だったら……。

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