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記憶

 腹が減って、死にそうだった。


 森の中で、他の魔獣と縄張り争いになり、俺は負けてしまった。後ろ足を怪我した上に、血が止まらない。なのに、絶えず空腹による腹痛に苦しめられている。


 この森にはもういられないな。せめて、新たな狩り場を探さなければ。


 そして俺は、森を抜けて水車のある小さな村に差し掛かった。


 ゆっくりとその村に近づくと、畑仕事をしている村人を発見した。向こうはまだ、こちらに気づいていないようだ。


 俺が餌を探すために一本踏み出すと、村人がこちらに気づいて……そして、驚いた様子で後退りする。


「ま、魔獣だ……! なぜこんなところに?」


 村人は大声を出して、俺から走って逃げた。


「大きな魔獣が出たぞ! みんな隠れろ!」


 たちまち他の村人たちも、俺から離れていき、やがて村は静かになった。みんな俺を避けるし、みんな俺を怖がる……何故だろう。


 俺は何故か寂しい気持ちになった。


 でも、人間は違う生き物だ。俺のような魔獣とは別の……。


 俺はその村を離れて、近くの森で一人でいた。風で木々が揺れ、葉が音を立てる。聞き慣れすぎて飽きていると思っていたが、今日はなんだか新鮮に感じる。


 腹減ったな……何か食べるものはないか。


 俺は急ぎ足で辺りを駆け回り、獲物を探した。やがて、湖のほとりにある小屋にたどり着いた。ここは人間が支配する空間だ。近寄るわけにはいかないが……。


 しかし、腹は減っている。俺は渋々、小屋の方へと近づいて、小型の魔獣の一匹くらいは住み着いていないかと探してみることにした。


 ────突然、背後から大きな音がしたかと思えば、火魔法の球が飛んできて、俺の体をかすめてすぐ近くの地面に着弾した。

 熱い……なんだ、人間か? 俺は振り返ることもせず、すぐさま森へ逃げようとした……しかし、二発目の火魔法が俺の身体に直撃し、激痛と共に俺は地面を転げ回る。


 熱い、痛い……俺は自身の身体に纏わりついた火を消すために、湖の方へ走った。


 そして、迷わず水の中に飛び込む────。



 溺れていたのだろうか。気がつけば、俺は湖のほとりで眠っていたようだ。ぐっと冷えた身体を起こすと、何か温かいものに触れた。ふと見上げると、そこには人間の少女の姿があった。まだ幼い、金色の髪をした少女だ。

 正確には、俺はその少女の膝の上にいた。


「おはよう。魔獣さん」


 腹が減っていた俺は、すかさず大きく口を空けて、その少女を食べようとした。


 しかし、彼女は抵抗しなかった。それどころか、「食べたいの?」と言って微笑んだ。この少女は他の人間とは違う……なぜ俺を恐れないんだ? なぜ俺を襲わないんだ?


 俺は彼女を食べるのをやめて、また腕に潜り込んだ。


「魔獣さんはお腹が減ってるんだね」


 少女はカバンの中から干し肉を取り出すと、俺に手渡した。恐る恐る噛み付くと、身体中に染み渡る肉の香りで、全身が震えた。

 俺がガツガツと干し肉を食べ進めている間、少女はずっと俺の頭を撫でていた。


「魔獣さん。火傷を治してあげるからちょっと待っててね」


 彼女は俺の身体に手をかざすと、目を瞑った。すると、火傷跡から痛みが消えたのだ。魔法というものは、こんなこともできるのか。同時に、後ろ足の怪我も治してくれた。


 俺は少女のほうを見て、吠えてみる。


「そっか、自己紹介がまだだったよね。私はネル。君は……? って、名前なんかないか」


 俺はまた、彼女の膝の上に体を預けた。


「じゃあ、君はクロ。今日からクロって名前だから!」 


 クロ。なんだそれ。俺の名前、なのか……。

 俺はネルの温もりに包まれながら、もう一度眠った。

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