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ルパーティア(改正前)  作者: OHISUN
エラグレア・アカデミー編

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13/14

第十三章 消された名とエルティアの花

ルミナリア大聖堂。


セヴァリオ=クロウゼルは、大聖堂の天井を見上げていた。


高い天井に描かれたステンドグラス。


朝の光を受け、色硝子の影が礼拝堂の床に淡く揺れている。


その中心には、一輪の白い花が描かれていた。


涙のような花弁を持つ、不思議な花。


「……」


セヴァリオは、その花をじっと見つめていた。


いつもの軽い笑みはない。


ただ、遠いものを見ているような目をしていた。


その背後から、低く落ち着いた声がかかる。


「セヴァリオ教皇」


マティアス=ロウシェル枢機卿だった。


「また何もされずに一日を過ごすおつもりですか?」


セヴァリオは振り返らない。


「マティアス枢機卿」


「はい」


「知っているかい? あの花の名を」


マティアスは少しだけ視線を上げた。


「エルティアの花のことですか?」


「ああ」


セヴァリオは小さく頷いた。


「エルティアの花だ」


その声は、いつもの彼とは少し違っていた。


「エルティアの花言葉には、“返り咲く”という意味が込められている」


「そうなのですか」


マティアスは、あまり興味がなさそうに答える。


セヴァリオは構わず続けた。


「風が吹けば、涙のように揺れる。踏みつぶされても、時をかけて、より美しく咲く」


「……」


「美しい花だよ」


セヴァリオは、天井に咲く硝子の花を見上げたまま言う。


「けれど私はね、ソルメルリアの記録の中で、実際にエルティアの花を見たという確かな記述を見つけたことがない」


マティアスは黙っていた。


「見た者はいない。場所もわからない。いつ咲いたのかも定かではない」


セヴァリオは小さく笑う。


「それなのに、人々は皆、この花を知っている」


「伝承とは、そういうものでしょう」


マティアスが答える。


「ええ。人々は見たことのないものにも祈ります。形のないものにも意味を与えます」


「そうだね」


セヴァリオは静かに頷いた。


「だが、伝承として残るものと、歴史から消されるものの違いは何だと思う?」


マティアスは少し眉を寄せる。


「どういう意味ですか」


「歴史は、ただ過去を残すものではない」


セヴァリオの声が、少し低くなる。


「残すべきものを選び、残してはいけないものを葬る。そういう顔も持っている」


礼拝堂に、静かな空気が落ちた。


「正義の名のもとに勝った者たちは、自分たちに都合の悪いものを消していく」


セヴァリオはステンドグラスを見上げ続ける。


「名前を消し、思想を消し、祈りを消し、誰かがそこにいたという痕跡さえ消していく」


「……」


「だが、花は消されなかった」


マティアスの目が、わずかに動く。


セヴァリオは続ける。


「エルティアの花は残った。伝承として、美しいものとして、人々の祈りの中に」


彼の口元に、薄い笑みが浮かぶ。


「たかが花だからだ」


「たかが、ですか」


「ああ」


セヴァリオは静かに言う。


「たかが花に、国を揺るがす力はない。たかが花に、正義を脅かす思想はない。たかが花に、消すほどの罪はない」


そこで一度、言葉を切った。


「だから残された」


マティアスは、セヴァリオの横顔を見つめた。


いつもの軽薄な教皇とは違う。


まるで、その“消された側”を知っているような声だった。


セヴァリオは続ける。


「人々は、その花に奇跡を望む。救いを望む。美しい伝承だと信じる」


ステンドグラスの光が、彼の瞳に映る。


「けれど、その花が何を見てきたのかは知らない」


「……」


「どんな名が消され、どんな祈りが潰され、どんな涙の上にその花が咲いたのかも」


マティアスは、少しだけ表情を硬くした。


「教皇。今日は妙に詩的ですね」


セヴァリオはようやく振り返る。


その顔には、いつもの笑みが戻っていた。


「ひどいなぁ、マティアス。私はいつでも詩的だろう?」


「いいえ」


「即答かい」


「事実ですので」


セヴァリオは肩をすくめる。


「相変わらず手厳しいなぁ」


マティアスはため息をつき、手にしていた書類を差し出した。


「そんなことより、先ほどグランルミア城から手紙が届いております」


「城から?」


「オルディン陛下より、緊急の話があるとのことです。王城へ出向くよう指示があります」


セヴァリオは少しも驚かなかった。


面倒そうに手をひらひらと振る。


「マティアス枢機卿。君に任せたよ」


「……はい?」


「私は忙しいと伝えておいて」


マティアスの眉間に皺が寄る。


「王からの勅令ですよ」


「うん」


「うん、ではありません」



「私は忙しい」


セヴァリオは軽く笑っていた。


「そう伝えておいてくれ」



だが、その目は笑っていなかった。


礼拝堂の空気が、ほんの少しだけ重くなる。


マティアスは言葉を飲み込んだ。


「……」


セヴァリオはそれ以上何も言わず、踵を返す。


「では、頼んだよ。マティアス」


そう言い残し、礼拝堂の奥へ歩いていく。


ステンドグラスの光が、彼の背中に落ちる。


エルティアの花の影が、床に揺れていた。


マティアスは、その背中を見つめたまま呟く。


「……本当に、何を考えているのですか」


返事はなかった。


ただ、大聖堂の奥へ消えていく足音だけが、静かに響いていた。


___

__

_


グランルミア城。


白く輝く石柱が並ぶ謁見の間は、いつになく慌ただしかった。


王都で起きた黒いグラセルの襲撃。



若者たちの失踪。



そして、街中に出された避難警告。


それらの報せを受け、城には貴族や重臣たちが集められていた。


玉座には、ソルメルリア国王オルディン=セレディア。



その傍らには、宰相クラウス=アウグストと軍務大臣ガレス=フォルガンの姿がある。


集まった貴族たちの中には、失踪した若者の親であるビレイム伯爵の姿もあった。


その空気は重い。


誰もが、次に告げられる言葉を恐れていた。


やがて、謁見の間の中央へ一人の騎士が進み出る。


銀髪を揺らし、白銀の鎧をまとった女性。


グランシエル騎士団団長、セイラ=アルヴェイン。


セイラは玉座の前で片膝をつき、深く頭を下げた。


「昨日発生した六体の灰装グラセルの鎮圧、すべて完了いたしました」


その言葉に、謁見の間に小さなざわめきが走る。


オルディンは重々しく頷いた。


「迅速な対応に感謝する、アルヴェイン団長」


「恐れ入ります」


セイラは顔を上げる。


その表情は険しかった。


「陛下。数点、報告がございます」


「申せ」


「まず、ミュゼ=カルミアよりすでに報告が入っているかと思いますが、現在発生している若者失踪事件についてです」


クラウスが静かに口を開いた。


「狙われているのは、グラス・レーヴ前の若者たちだそうだな」


「はい」


セイラは頷く。


「確認できている共通点はそこです。十五歳で、まだグラス・レーヴを終えていない者たちが狙われています」


謁見の間がざわつく。


貴族たちの顔に、不安が広がっていった。


ガレスが腕を組み、低い声で言う。


「昨日の灰装グラセルとの関係は?」


セイラは一瞬だけ間を置いた。


「……おそらく、昨日出現した灰装グラセルたちは、誘拐された若者たちを生み主としていた可能性があります」


その言葉に、空気が凍った。


ビレイム伯爵が、息を呑む。


「な……」


クラウスが静かに尋ねた。


「根拠は?」


セイラは答える。


「昨日出現した六体のグラセルについて、騎士団の戸籍記録、グラセル登録記録、入国記録を照合しました」


ガレスが先に察したように言う。


「登録されていないグラセルだった、ということか」


「はい」


セイラは頷いた。


「少なくとも、国内に正式登録されたグラセルではありません。入国記録にも該当するものはありませんでした」


「つまり、昨日まで存在を確認されていなかったグラセルが、突然六体現れたということか」


クラウスの声は重かった。


「その通りです」


オルディンの表情が険しくなる。


「続けよ」


セイラは、ほんのわずかに唇を引き結んだ。


「考えたくはありませんが……誘拐された十名のうち、少なくとも六名は、すでに命を落としている可能性があります」


謁見の間に、悲鳴に近いざわめきが広がった。


ビレイム伯爵の顔が、真っ青になる。


「ま、待ってくれ……」


彼の声は震えていた。


「それは……それは、私の息子も……」


セイラは何も言えなかった。


今この場で、生存を断言することも、死を告げることもできない。


ただ、深く頭を下げることしかできなかった。


「十年前、ヴァスレインで同様の黒いグラセルの襲撃記録がありました」


セイラは声を抑えながら続ける。


「その記録では、体内に埋め込まれた赫灰を破壊した後、グラセルは元の姿に戻り、生み主も生存していたとされています」


クラウスが、すぐに言葉の意味を理解する。


「だが今回は、戻らなかった」


「はい」


セイラの声が沈む。


「赫灰を破壊した後、六体とも形を保てず、黒い硝石晶の破片となって崩れました」


沈黙。


重い沈黙が、謁見の間を覆った。


セイラは強く拳を握る。


「彼らを救うことができず、申し訳ございません」


悔しさが、その声に滲んでいた。


オルディンは静かに首を横に振る。


「よい」


「しかし――」


「昨日の襲撃は唐突であった。対応が遅れた責は、騎士団だけにあるものではない。我々、王城側にも責任がある」


オルディンの声には、王としての重さがあった。


「遺族の心中を思えば、胸が痛む」


ビレイム伯爵は俯いたまま震えていた。


オルディンは続ける。


「だが、今は立ち止まる時ではない。一刻も早く、残る者たちを探し出さねばならぬ」


「はい」


セイラは深く頷いた。


「もう一点、報告がございます」


「申せ」


「昨日、エラグレア・アカデミーの生徒二名が襲撃されました」


クラウスの目が細くなる。


「生徒が?」


「はい。襲撃者は、ヴェルナ=ロウガルドと名乗る女です」


セイラは続ける。


「彼女は赫灰を用いて灰装グラセル二体を呼び出しました。そして彼女の目的は――」


セイラは一度、息を整える。


「ルパーティアです」


その言葉に、謁見の間が一気にざわめいた。


「ルパーティアだと?」


「なぜ今になって……」


「まさか、あの伝承の硝石晶を……」


オルディンの目が鋭くなる。


「静まれ」


王の一言で、ざわめきはすぐに収まった。


しかし、空気はさらに重くなっていた。


オルディンは低く呟く。


「灰装グラセルに、ルパーティア……」


そして、ゆっくりと口にした。


「カリヴァンか」


その名に、ガレスが目を見開いた。


「カリヴァンですと?」


クラウスも表情を曇らせる。


謁見の間にいる貴族たちの中には、その名を知らぬ者も多かった。



だが、国の中枢にいる者たちは違う。


カリヴァン。


二百年前の戦争に突如現れた、第五の勢力。



灰装グラセルを使い、多くの人々を殺した組織。


四大国が協力してこれを討ったことが、現在の平和へと繋がった。


その目的のすべては、今なお明らかではない。



だが、彼らがルパーティアを求めていたことだけは、記録に残っている。


ガレスは険しい顔で言う。


「カリヴァンは二百年前に滅亡したはずです」


オルディンは答えなかった。


ただ、玉座の肘掛けに置いた手に力を込める。


「滅んだはずの名が、今また形を持って現れたのかもしれぬ」


その時だった。


謁見の間の扉が開く。


一人の女性が、一人の男を伴って入ってきた。


眼鏡をかけ、おさげ髪を揺らす女性。


信仰大臣、セラフィナ=ロウシェル。


その隣にいるのは、ルミナリア大聖堂の枢機卿、マティアス=ロウシェルだった。


二人は玉座の前へ進み、片膝をつく。


セラフィナが口を開いた。


「陛下。ルミナリア大聖堂より、マティアス枢機卿をお連れいたしました」


マティアスも頭を下げる。


「マティアス=ロウシェルです」


オルディンは二人を見下ろす。


「セヴァリオ教皇はどうした」


マティアスは一瞬だけ沈黙した。


そして、淡々と答える。


「……多忙とのことで、こちらへは来られませんでした」


謁見の間に、わずかなざわめきが走る。


王からの呼び出しに、教皇が来ない。


それは軽いことではない。


オルディンはしばらく黙っていたが、やがて短く言った。


「……まあよい」


その声は穏やかだったが、奥には明らかな不満があった。


「枢機卿。まずは、ルミナリア大聖堂の管轄区域の捜索協力に感謝を述べる」


「恐れ入ります」


マティアスは頭を下げる。


オルディンは続けた。


「だが、それでもまだ捜索ができていない場所がある」


マティアスはすぐに察した。


「祈りの場でしょうか」


「そうだ」


オルディンは真っ直ぐに言う。


「礼拝堂を調べさせてほしい」


空気が止まる。


セラフィナも、わずかに視線を落とした。


マティアスは静かに答えた。


「……できません」


「理由を聞こう」


「教皇の言葉を、私の立場で安易に曲げることはできません」


オルディンはマティアスを見つめる。


マティアスも、目を逸らさなかった。


彼の表情は硬い。


セヴァリオに疑問を抱いていないわけではない。

だが、それでも大聖堂の秩序を守る立場にある。


今この場で、自分の判断だけで教皇の決定を覆すことはできなかった。


「……」


オルディンは沈黙した。


クラウスも、ガレスも、何も言わない。


マティアスは静かに尋ねる。


「他に、何かございますか」


しばらくの沈黙の後、オルディンは答えた。


「ない」


「では、失礼いたします」


マティアスは一礼し、立ち上がる。


セラフィナもまた、王へ深く頭を下げた。


二人が謁見の間を出ていく。


その背中を見送りながら、クラウスが低く呟いた。


「礼拝堂だけが、今なお空白のままですか」


ガレスが腕を組む。


「そこに何もないと良いがな」


オルディンは玉座に座したまま、静かに目を細めた。


「何もないならば、それでよい」


そして、重く続ける。


「だが、何かあるならば……時間は残されておらぬ」


謁見の間に、再び沈黙が落ちた。


___

__

_


謁見の間を出て、しばらく歩いたところで、背後から声が飛んだ。


「待って! マティアス!」


セラフィナ=ロウシェルが、足早に追いかけてくる。


マティアスは立ち止まった。


だが、振り返らない。


「あなた、どういうつもり?」


セラフィナの声には、隠しきれない怒りと焦りが混じっていた。


「……」


「なぜ協力してくれないの?」


マティアスは答えなかった。


セラフィナはさらに一歩近づく。


「今、若者たちがさらわれているのよ。灰装グラセルまで現れている。なのに、なぜ礼拝堂の調査を拒むの?」


マティアスは、ようやく振り返った。


その顔は、謁見の間にいた時とは違っていた。


冷静で、硬く、そして真剣だった。


「教皇は、何か隠している」


セラフィナは息を呑んだ。


「え?」


マティアスは周囲に人がいないことを確認し、声を落とす。


「何もないと信じたい自分もいる。だが、最近……いや、考えてみれば最初からかもしれない」


「マティアス?」


「教壇の地下に何かあるかもしれない」


セラフィナの表情が強張った。


「教壇の地下? そんな場所があるの?」


「ああ」


マティアスは頷く。


「本来は、食料や避難物資を置くための保存庫だ」


「保存庫……」


「古くからあるものだ。大聖堂が避難所として使われる時のために作られた場所だが、平和が長く続いたせいで、今は管理が行き届いていない」


セラフィナは眉を寄せる。


「それが、教皇とどう関係しているの?」


マティアスは少しだけ沈黙した。


「少し前、夜に一度だけ、教皇がその保存庫に出入りするところを見た」


「夜に?」


「ああ」


「それで?」


「その時、私は教皇が何かを隠しているのではないかと思った。だから、教皇が去った後に保存庫を覗きに行った」


セラフィナは緊張した声で尋ねる。


「中はどうだったの?」


「保存庫だった」


「……え?」


「食料や古い物資が置かれていた。見た限りでは、何もおかしなものはなかった」


セラフィナは一瞬、困惑したように目を瞬かせる。


「だったら、何もないということでは?」


「そう思いたかった」


マティアスの声が低くなる。


「だが、不気味なほど綺麗だった」


「綺麗?」


「ああ。数年はまともに使われていない空間だったはずだ。にもかかわらず、埃も少なく、蜘蛛の巣一つなかった」


セラフィナは黙った。


「その時は、教皇が自ら掃除したのだと思った」


マティアスは自嘲するように、わずかに口元を歪める。


「今思えば、ありえない」


「なぜ?」


「教皇は掃除などしない」


「……それは、まあ」


セラフィナは思わず納得しかけて、すぐに表情を戻した。


マティアスは続ける。


「それに、掃除をした形跡もなかった。道具を使った跡も、物を動かした跡もない。ただ、最初からそうであったかのように整っていた」


「……」


「保存庫としては自然すぎた。だが、放置された地下室としては不自然すぎた」


セラフィナの表情が、少しずつ険しくなっていく。


「それだけ?」


「いや」


マティアスは首を横に振る。


「それ以上に、私が怪しいと思っていることがある」


「何?」


マティアスは、少しだけ声を低くした。


「私は、教皇のグラセルを一度も見たことがない」


セラフィナの目が大きく開かれる。


「……一度も?」


「ああ」


「でも、教皇ほどの立場の者なら、公式行事でも儀礼でも、グラセルを伴う機会はあるはずよ」


「その通りだ」


マティアスの声は硬い。


「この国では、グラセルは心の証であり、生き方の象徴でもある。ましてやルミナリア大聖堂の頂点に立つ者が、自らのグラセルを一度も見せないなど、本来ありえない」


「隠している……ということ?」


「わからない」


マティアスは視線を落とす。


「だが、見せない理由があるのは確かだ」


セラフィナは、しばらく言葉を失っていた。


王の前では、マティアスは礼拝堂の調査を拒んだ。


だが、それは教皇を守るためではない。


迂闊に踏み込めば、何かが動く。


そう判断したのだ。


「だから、王の前では拒んだの?」


セラフィナが静かに尋ねる。


マティアスは頷いた。


「今、正面から礼拝堂を調べようとすれば、教皇は必ず気づく」


「……」


「そして、もし本当に何かを隠しているのなら、証拠を消される可能性がある」


セラフィナは息を呑む。


マティアスはまっすぐ彼女を見た。


「だから、表向きは拒む必要があった」


「では、どうするつもり?」


「私が調べる」


「一人で?」


「大聖堂の内部で動けるのは、私だ」


「危険よ」


「わかっている」


マティアスの声に迷いはなかった。


「だが、もし教皇が本当に何かを隠しているのなら、止めなければならない」


その時だった。


静かな廊下に、鎧の小さな音が響いた。


二人は同時に振り返る。


柱の影から姿を現したのは、セイラ=アルヴェインだった。


白銀の鎧をまとい、静かに二人を見つめている。


「……話は聞かせてもらいました」


マティアスの表情がわずかに強張る。


「アルヴェイン団長」


セラフィナも驚いたように目を見開く。


「アルヴェイン団長、いつから……」


「礼拝堂の調査を拒まれた理由を確認しようと、後を追っていました」


セイラは隠すことなく答えた。


「途中からです。ですが、必要なことは聞こえました」


マティアスは少し警戒するように言う。


「盗み聞きとは、騎士団らしくありませんね」


「申し訳ありません」


セイラは素直に頭を下げた。


「ですが、今は礼を欠いてでも確認すべきことがあります」


彼女の目は真剣だった。


「教皇が教壇の地下に何かを隠している可能性がある。さらに、教皇のグラセルを一度も見た者がいない」


マティアスは黙る。


セイラは続けた。


「その情報を、騎士団として無視することはできません」


セラフィナが不安そうに言う。


「でも、王の許可なく大聖堂へ踏み込むことは……」


「しません」


セイラは即答した。


「正面から踏み込めば、教皇に気づかれる。それは枢機卿の判断が正しいと思います」


マティアスはわずかに目を細めた。


「では、どうするつもりですか」


「内部から調べるあなたを、外から支援します」


「外から?」


「大聖堂周辺の巡回を強化します。名目は、若者失踪事件と灰装グラセル襲撃後の警備強化。これなら不自然ではありません」


セラフィナは頷く。


「確かに、それなら大聖堂に圧をかけすぎず、周囲を固められるわ」


セイラはマティアスを見る。


「枢機卿が内部で異変を見つけた場合、すぐに騎士団へ伝えてください。私が動きます」


マティアスはしばらく沈黙した。


「……教皇を疑うことになります」


「はい」


セイラは目を逸らさない。


「ですが、若者たちの命がかかっています」


その言葉に、マティアスの表情が少しだけ揺れた。


セイラは続ける。


「私は昨日、六体の灰装グラセルを破壊しました」


廊下の空気が重くなる。


「救えるかもしれないと思って、赫灰を狙いました。十年前の記録通りなら戻るはずだった」


セイラは拳を握る。


「ですが、戻りませんでした」


「……」


「もう、遅れてから後悔したくありません」


マティアスはその言葉を聞き、静かに目を伏せた。


セラフィナも何も言わない。


しばらくして、マティアスは小さく息を吐いた。


「……わかりました」


セイラがわずかに頷く。


「協力します」


マティアスは言った。


「ただし、私が動くのは大聖堂内部のみです。教皇に気づかれれば、すべてが終わる」


「承知しています」


セラフィナも前に出る。


「私も協力するわ。信仰大臣として、大聖堂に出入りする理由は作れる」


マティアスは少しだけ困ったようにセラフィナを見る。


「危険だと言ったはずだ」


「あなた一人に背負わせる気はないと言ったはずよ」


セイラは二人を見て、静かに言った。


「では、三者で動きましょう」


「枢機卿は内部確認。信仰大臣は大聖堂へ出入りする名目作りと王城への連絡。騎士団は外周警備と緊急時の突入準備」


セラフィナは頷いた。


「それなら、表向きは自然ね」


マティアスも、覚悟を決めたように頷く。


「ただし、まだ教皇が関わっていると決まったわけではありません」


「もちろんです」


セイラは静かに答えた。


「疑いだけで裁くつもりはありません」


そして、少しだけ声を低くする。


「ですが、もし本当に若者たちが大聖堂にいるなら、必ず救い出します」


マティアスは遠くに見える大聖堂の尖塔を見つめた。


「どうか、私の思い過ごしであってほしい」


セラフィナは何も言わず、その横顔を見ていた。


セイラもまた、大聖堂の方角へ視線を向ける。


白く輝く祈りの塔。


その足元に、何が隠されているのか。


まだ誰も知らない。


だが、三人は同じ方向を見ていた。


救うために。


そして、真実を確かめるために。





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