7 グチとケチの代償
そろそろ雇用期限がくる。
この街は魔法都市などと言いながら、グレアムがいた時代に作られた魔法仕掛けにしがみついているだけ。それもあちこちガタが来ているのに気付きもしない。無限に魔力を発動できる装置でもない限り持ってあと十年、下手すれば五年で街の東側は機能しなくなるだろう。
次に来る魔法使いはそれに気づけるだろうか。権威ある魔法使いが意見したならマニングも少しは効く耳を持つかもしれないが、若く名も知れない小さな女、あの手の男が見下す要素しかない自分では言うだけ無駄。気にならない訳ではないが、自分は去り行く者。この街のことは、この街の住人が決めるしかないのだ。
フレデリカの契約が終了する丁度その日に、特級魔法使いブレントン・グローヴァーが赴任した。
どこかの国で魔法を扱う部署のトップにいたが、訳あって引退し、残りの人生をこの街のメンテナンスをしながら悠々自適に暮らそうという御仁だった。貴族からの口利きで、ルークから聞いたところによると給料もかなりいいらしい。本人も他国ながら貴族籍を持ち、ローブではなく仕立てのいい服を着ていて、指にはめた三つの指輪のうち二つは魔道具だ。
マニングはグローヴァーには丁寧に応対し、何か聞かれるたびに
「さすがでございます。その点につきましては…」
と褒め称える枕詞をつけていた。媚びる姿勢がここまであからさまなのも見事だが、それをうざったく思わないグローヴァーも大したものだ。
今日は魔力注入の仕事はなく、給料をもらいに来ただけだったフレデリカにマニングは
「丁度いい、魔力注入の業務を引き継いでおくように」
と命じた。フレデリカが
「給料をいただいて帰るところですが」
と言うと、
「引継ぎをするまでが仕事だ! 全く最近の若造は…」
と普段以上に荒々しい態度を見せた。少しでも自分を偉く見せようとしているのだろうか。虚しい努力だが、給料をもらうまでは耐えるしかない。
「…じゃあ、これが魔石の位置を書いた地図です」
フレデリカは自分の使っていた地図を渡そうとしたが、
「こんな書き込みだらけの汚いものを! 失敬だろう!! ささ、こちらに新しい地図をご用意しておりますので」
グローヴァーはマニングから差し出された新しい地図を受け取った。
「何分若輩者のため、粗相があるかもしれません。…仕方ない、私も同行しよう」
自分が引き継ぎすればいいのに。
フレデリカは恩着せがましくついてくるマニングをうっとおしく思ったが、円満退職のためぐっと我慢した。
「今いるのは地図のこの場所です。この石を持つと鍵のありかがわかります」
首にかけていた石を外し、壁面にかざそうとすると、
「どれどれ?」
とグローヴァーはニコッと笑って背後からフレデリカの手ごと石をつかんだ。
「なるほど、石と鍵が引き合う訳だ」
肩のあたりに顔が来て、思わず鳥肌が立ち、手の甲から棘上の氷が生えたが、グローヴァーは瞬時に手を離してよけ、さらりと距離を取った。
何もなかったかのようにほほ笑むのはさすが特級魔法使い。ただのセクハラおやじではなさそうだ。
下水道に向かう通路が現れ、カンテラを用意していなかったフレデリカは掌に炎を立ち上げた。
「暗いので気を付けてください」
歩幅もあるだろうが、必要以上に近づいてくるグローヴァーに、フレデリカの掌の中の炎はねっとりと枝分かれしてちぎれ、尻を触ってきた手の甲の上に落ちた。すぐに炎は消されたが、ただの炎ではないのでしばらく痛みは残るだろう。笑顔を崩さないエロおやじに、
『次ハナイゾ』
と古代ロロキソ語をつぶやくと、相手はごくりと唾を飲んだ。ロロキソ語は理解できるらしい。それなら今の炎がロロキソの呪炎と理解しただろうか。炎というよりマグマに近い呪いの火だ。
魔石には魔力がほどよく注入されている。フレデリカの時のようにすっからかんに近い状態で魔力を込めれば、ここがいかに崩壊寸前かがよくわかるだろうが、グローヴァーは魔石の大きさには目を輝かせたが、魔力注入にも、この都市の魔法の仕掛けにもあまり興味はなさそうだった。この仕事は定年後の腰かけくらいにしか思ってないのだろう。魔法都市の命運は尽きた。
「魔石の魔力が東側の上下水道の維持、あとこの街全体の照明設備の維持に使われています。場所によって減りが違うので注意して…」
「まあ、魔力の補充は君たち若者に任せるとして…」
「私は今日で退職ですので、新たに雇われるんでしょうか」
「え、退職なの? どうせ次の仕事決まってないんだろう?」
グローヴァーがさっきの脅しも忘れ、フレデリカをじりじりと壁面に追いやり、壁に手をついた。
「今までの倍の給与を出すから、私の仕事を手伝ってくれないかなぁ。時々プライベートな仕事も…」
反対の手でフレデリカの顎に手をやったが、その手にはさっきつけたはずの焦げ目はなかった。ヒントを与えはしたが、呪炎を振り切るくらいの力はあるらしい。
仕事ではない扱いを前にしても、マニングは見て見ぬふりをして助けようともしない。
それなら。
グイッと顎を引き上げられたところで、フレデリカは通路と下水道の間の防臭の膜を破った。
パンッという音とともに濃厚な汚水の臭いが立ち込め、グローヴァーもマニングもえづきながら自身の口を覆った。
下水道から吹き上げる汚水の風と共に、ものすごいスピードで何かが下水側から駆け上って来る。
フレデリカはニヤリと笑った。
「やっておしまい!」
無数のそれは二人の視界に入るや否や、茶色く濁った液を二人に向けて一斉に吐きかけた。
「ス、スライッ」
素早いスライムの動きに、グローヴァーの魔法壁の発動はわずかに遅れ、二人は消化液…ではなく汚水を全身にかぶることになった。
「ぎゃあああああっ」
「うげええええ!!」
慌てて階段を駆け上る二人を、スライムは容赦なく追いかける。そして地上まで出てなおたっぷりと汚水を二人にぶちまけ、後からゆっくりと昇って来たフレデリカが
「もういいわよ。ありがとう」
とねぎらいの声をかけると、一斉に下水道へと戻っていった。まるで波が引くような速さだ。
フレデリカはどこも濡れてはなく、あの悪臭さえも何も感じないかのようにけろっとしている。
「こ、この、…魔女め、魔物を使役するとは…」
マニングはフレデリカを指さし、ブルブルと震えていた。
「ここの下水道には虫もネズミも住み着いていないの。彼らのおかげでね。スライムたちはこの街の守り神だから、大切にしてあげることをお勧めするわ」
「何が守り神だ! 魔物を下水道に放つなどグレアム様の作った魔法都市を愚弄する行い! 貴様、許さんぞ!」
「元々ここにいたんだけど。…魔法都市? …魔法都市ねえ…。思ったほど大したことなかったわね。魔法で形状をリセットして、無駄な後付けは不調和。経年の対応も不十分で、魔法陣も二流。魔力が足りないくせにを盗まれてても管理もしないなんて論外ね」
「ええい、うるさいうるさいうるさい! 魔法都市の価値もわからんおまえなんぞに払う給料はない! とっととこの街から出て行け!」
「ふぅん?」
フレデリカは冷ややかな笑みを浮かべ、マニングに請求書を見せた。
「では雇用ではなく、私の魔力補給量で計算させてもらうわね。この一か月で私が魔石に注入した魔力、そうね。金貨十七枚と半分、…まあ十七枚に負けてあげるわ」
請求書には十五か所ある魔石それぞれにいつ、どれだけの魔力を注入したかが細かく記載されていた。
「え…、こ、この量は…」
請求書を見たグローヴァーは目を見開いていた。
「嘘をつくな。おまえのような小娘がこれほどの魔力を供給できるわけがない。そ、そんな額、払えるか!」
マニングの返答に、フレデリカは冷ややかな笑顔を見せたまま、指をはじいた。
すると遠くで地鳴りのような音が響き、街の東側の街道が少しづつ崩れ、抜け出せない馬車、慌てて路地に逃げ込む人、周辺の家まで傾き始めた。ゆっくりと、ゆっくりと…。
「な、…な、な、…何だ」
「支払えないなら、差し押さえね? 私が補給した分の魔力を魔石から抜いておいたわ。まあすぐに補充すれば何とかなるでしょ? 特級魔法使いさんがいることだし?」
フレデリカはあのカギになる石をグローヴァーに投げ渡した。
「以上で引き継ぎは終わり。では、ごきげんよう」




