収束する不安
### 11-7 収束する不安
◆ログ|記録 ⋯ [改ざん確認中]
[OPERATION-DELTA: 準備完了確認]
対象エリア:エルデリア大陸・王立魔法学園
任務区分:長期潜入・情報収集・標的の信頼獲得
潜入形式:学園転入(人間名義)
人間名義:デリア・クロムウェル
接触方針:友好関係の優先・攻撃的行動は段階後半まで禁止
[COMMUNICATION-LOG]
プライム→デルタ:「転入名義の発行を完了した。任務を開始せよ」
デルタ→プライム:「了解」
[C-UNIT STATUS]
近傍待機C班:学園外・宿場町にて待機継続
標的:CODE-U(離脱エージェント)
状態:行動待機中
制約:DELTA-ENTRYシーケンス完了まで直接接触を延期
◆地球|隼人 ──
午前八時、蓮からのメッセージが来た。
「移設開始。断絶に入る。草案、確認した。放流」
それだけだった。
隼人はスマートフォンを机の上に置いた。
静かな部屋だ。いつも静かではあるが、今日の静けさは少し違う手触りをしている。
「問題ない」と隼人は口に出して言った。
予定通り48時間の断絶に入った。向こうは、こちらの状況を観測できない。こちらも、向こうの状況を観測できない。
「それでいい……」
◇
夕方になって、隼人はノートを開いた。
美幸の口癖一覧は、去年の夏から書き始めたページだ。几帳面に、箇条書きで並んでいる。
電話の最初に言う言葉。電話を切る前に言う言葉。何か失敗した時に言う言葉。眠い時に言う言葉。バイクの話をする時によく言うフレーズ。
隼人は一行一行、目で追った。
文字はある。意味もわかる。書いた時のことも覚えている。
でも、声で再生されないページが、また一つ増えていた。
前回は一ページ目の一番上だった。今回は三ページ目の途中だ。欠落の位置がページを越えて広がっている。
隼人は欠落したページの欄外に、今日の日付を書き込んだ。記録するだけだ。嘆くのに使う時間はない。
ノートを閉じる前に、開き癖のついているいつものページを開いた。
そこだけは、まだ声が聞こえる。妹が昔、電話を切る前に毎回必ず言っていた一言だ。理由を聞いたことはなかった。単純な習慣だったのか、それとも確認の意味があったのか、今となってはわからない。
文字を見た瞬間、声が来た。
妹の声で、再生された。
隼人はノートを閉じた。
「まだここにある」
また声に出して言った。
次の潜行窓まで、こうして数えて待つしかない。
◇ ◇ ◇
◆異界|ミユキ ──
時間になっても、渡り廊下に人影は現れなかった。
あの謎の人物が姿を消してから今日で三日目だ。
気づかれたと感知して引いたのか、役目を終えたのか——どちらにしても、パターンが変化した。ルーティンが止まることも、情報ではある。
走行会のあと、カイルとユリウスを呼んで対応内容を整理した。暗号片の解析はセオドアが継続している。結論はまだ出ていない。
ミユキは窓際の机で、研究ノートを開く。
ページの端に書き込んでいた仮説の断片が並んでいる。一週間前から始めた「夢の途切れ時刻」の記録も、そこにある。三日間で一方向に前倒しになっていた周期が、走行会の日を境に変化している。前倒しの速度が変わった。
『兄さんが何かを変えた? それとも、向こう側の何かが変わった?』
わからない。でもここにも変化があった。変化は情報だ。
ミユキはページをめくり新しい見出しを書いた。
「外部信号仮説:第一結論」
前の方のページには、一週間前に書いた「廊下の人物――確認中」の一行がまだ残っている。まだ確認できていない。仮説の整理は進めることができるが、結論はまだ出せない。第一としたのは、まだ途中だからだ。
見出しの下に、確認したことを箇条書きで並べる。
一、夢の途切れ時刻に三日単位の周期性がある。
二、周期の前倒しは、外部からの定期干渉と仮定すると説明できる。
三、走行会後から周期の速度が変化した。何らかの外部イベントが干渉に影響した可能性がある。
そして最後に書いた。
『周期は三日。欠落は兄さんの状況と同期している可能性がある』
書いてから、しばらくその一行を見た。
推測である。根拠は弱い。しかし、「偶然の一致」で済ませるには、一致の数が多くなってきていた。
ミユキはペンを置いて、窓の外を見る。
夕暮れが始まっていた。学園の庭に長い影が伸びている。
◇
夕食後、掲示板の前を通った。
学園事務の掲示板は、授業変更や行事案内が貼り出される場所だ。転入生の案内もここに貼られる。
非常警戒下でも、王立学園は王都周辺の貴族子女を保護名目で受け入れている。建前は「学籍の継続と安全確保」。実際には、情勢悪化時の緊急避難的措置だ。
ミユキは足を止めた。
「転入生のお知らせ」という紙が、新しく貼られていた。
掲示の端には、更新時刻を示す小さな印が押されている。今日の午前、ちょうどミユキが昼食を終える少し前だ。
来週から転入する生徒の名前と学年が記載されている。高等部二年、三名。高等部一年、一名。
ミユキは一覧を目で追った。
名前を認識していく。見覚えのない名前が並んでいる。
ユリウスの『先遣エージェント』という言葉が頭をよぎった。
最後の一行に目が止まる。
「高等部一年・デリア・クロムウェル」
その一行だけが、やけに新しく見えた。
見覚えはなく、前世の記憶にもない。
だから安心できる、とは思わなかった。見覚えがないこと自体が、いまのミユキには警戒理由になる。
『ただの転入生かもしれない。けど、確認しないなんて選択肢はないよね』
ミユキは掲示板から離れて、部屋へ向かった。
歩きながら、頭の中でさっきの名前をもう一度反芻する。
『名簿照合と出身地の確認を、明日カイルに頼もう』
◇
夜、研究ノートの続きを書いた。
廊下の謎の人物の記録。「有るはずのない報告書」の写しを持ち帰ったこと。走行会の暗号片がオメガ規格と異なること。そして「外部信号仮説の第一結論」。
ミユキはそこで一度ペンを止めた。
「有るはずのない報告書」の脚注にあった「北塔第三結界・同期誤差補正済み」の文言は、夢の断片メモに残った語句と一致していた。別件ではない。
『……これは、前から続いている何かだ』
何もない場所。情報の虚空。触れることができない空間に空いた穴。しかし、同じ穴の境界に接している感触が、ようやく名前を持ち始める。
バグが積み重なっていた。
一つひとつは小さい。「偶然かもしれない」と言えるレベルのものもある。しかし積み重なった数が、閾値を超えてきた。
前世でゲームのデバッグをしていた時も、こういう段階があった。
小さなバグを直していると、ある時点で「これらは全部、ひとつの原因から派生している」という感覚になるときがある。その手前、個別のバグが、実は同じ根に繋がっているという感覚が、ようやく芽生え始める段階。
今がそこだと思った。
ミユキはノートに書いた。
『渡り廊下の人物、有るはずのない報告書、走行会での暗号片。全部が「外から入ってきた何か」に関係している。
敵は外から来るだけじゃない。じゃあ、隣にいるのは誰?』
ペンを止めた。
その問いは、答えを書くためではなかった。問いとして記録しておくためだった。
来週から転入生が来る。
走行会で何者かがデータを収集した。
廊下の人物は姿を消した。
ミユキは書きかけの仮説ノートを見た。
文字が並んでいる。整理されている。パターンは見えている。
どれもがオメガ由来に思えるが、しかし、決定的な情報はまだない。
まだ「何が起きているか」の全体図が組み上がっていない。
ピースが足りていないのだ。
あるいは——見えているピースの中に、まだ確認していないものがある。
ミユキは最後の一行を書いた。
『もしかして――もう、来ている?』
ノートを閉じた。
消灯の鐘が遠くで鳴った。
今は、学園は静かだった。
** あとがき **
【お詫びと訂正】
前の章の最後に、次の章でこそ「兄と妹が邂逅する予定」と言っておきながら、結局まだ出会えませんでした。
お詫びして訂正させていただきます。(ぺこり
実はそこらへんもとある仕掛けの一部だったりもする……、かもなのですが、種明かしできるかどうかはまだ未定です。
そんなわけで、とりあえず11章はここまで。
ただいま今後に必要な情報を整理中ですが。12章が仕上がるまでに接続でもうちょいおまけを書くかもです。




