王城訪問――契約と謎の報告書
### 11-5 王城訪問――契約と謎の報告書
◆異界|ミユキ ──
王城の北翼には、会議に使う中型の部屋が並んでいる。
ミユキはその一室に通された。窓の外に王都の屋根が見え、午前の光が石床に斜めに落ちている。調度品は王城の基準では地味な部類に入るけれど、ヴェルナー侯爵家の屋敷と比べれば十分に豪華だ。
隣にセオドアが座っている。今日は彼に同席してもらった。魔法陣技術の説明には研究者の視点が必要で、第三者であること、そして「記録を取る人間がいる」という事実が、交渉の場では有利に働くだろう。
十分ほど待つと、騎士団の幹部たちが入ってきた。
首席は騎士団第二士官長、ヴァルター・フォン・クレスという人物だった。五十代、角張った顎、短く刈った白髪。入室の所作から正確な軍人だとわかる。背後に副官と書記が二名。
「お時間をいただき、感謝します」とミユキは言った。
「こちらこそ」とヴァルターは言った。声は平坦だった。好意的でも敵意があるわけでもなく、ただ評価のために来た、という顔だった。
◇
協議は四十分で終わった。
ミユキが提案したのは、プログラマブル魔法陣の技術移転だ。通信用魔導機器への応用と、緊急時の補給経路管理。まずは仕組みの共有と人材育成から入り、段階的に王国側の自走体制を作る。
ヴァルターが机上の資料を閉じて、直球で聞いてきた。
「この技術は、あやつら、オメガとやらに本当に有効か」
「有効性は二つあります」とミユキは答えた。「一つは通信の分散化。単一経路を狙う妨害に対して、複数経路で機能を維持できます。もう一つは敵魔法陣の解析です。攻撃術式の癖を拾い、対処を早められます」
細い目の騎士が口を挟んだ。
「外来知識への依存が進めば、いずれ王国は足場を失う」
「その懸念はあります」とミユキは即答した。「ですので、段階移転にします。理論を共有し、王国側で再現できる段階まで育成する。私がいなくても残る形にすることが前提です」
短い沈黙の後、ヴァルターは頷いた。
「了解した。契約文面の検討に入る」
「文書に残してほしいです。口約束ではなく」
「……わかった。法務官に伝えよう」
そのやり取りを、セオドアが手帳に書き留めていた。
ヴァルターが資料を閉じる手を止めた。
「一点確認しておきたい。先の学園事案——あの術式展開の設計はあなたか」
「はい」
「記録には残っていないが、王城の評価では『A』だ」静かな声だった。「今日の申し出に問題がないとすれば、それが理由の一つでもある」
ミユキはセオドアとほんの一瞬だけ目を合わせた。
◇
午後の早い時間、協議の書類整理のために記録室に寄った。
王城の記録室は北翼の地下に近い場所にある。管理員が常駐し、出入りには登録が必要だ。今日の協議内容の控えをセオドアが保管する手続きのために、ミユキも同行した。
厚い石の壁、並ぶ棚、分類された文書の束。羊皮紙の匂いがする。
管理員が書棚の整理をしていた。ミユキは待つ間、セオドアの手続きを横目で見ながら、棚に並ぶ文書のラベルを何気なく眺めていた。
「防衛関連」「王城警備」「外部協力者記録」
記録は細かく分類されている。
セオドアが申請票を確認しながら、小さく言った。
「ミユキ君、外部協力者記録の棚だけ、君の目でも見てくれるか。契約条項の整合確認で参照すべき前例が紛れているかもしれない」
「わかった。見てみる」
ミユキは棚の見出しを順に追った。年代別の束、担当部署別の束、臨時記録。
協議に関係する記録を拾うつもりで、外部協力者の区画に足を止める。
目が、ふと止まった。
「外部協力者記録」の棚の、見えやすい位置に差されている一冊。表紙に日付と題名がある。
題名は「王城防衛における外部協力者の支援記録」。
日付は、三ヶ月前だ。
『なぜ三ヶ月前の記録が、こんな目立つ場所にあるんだろう』
引っかかりを無視できなかった。管理員の方を見ると、手続きに集中している。ミユキは棚から一冊を取り出した。
数十ページの薄い冊子だった。開くと、羊皮紙に整った字で記録が並んでいる。内容に目を通す。
読んだ言葉が、頭の中で固まった。
「王城防衛における実験体01の支援詳細・作戦記録」
実験体01。
文字列を認識した瞬間、喉の奥がわずかに詰まった。息が半拍遅れる。
紙端をつまむ指先に、わずかな力が入る。
ミユキは感情を押し込めて次の行へ目を落とした。
それは自分のコードだ。オメガがミユキをそう呼んでいると、ユリウスから聞いていた。だが、なぜ王城の記録にそれが書かれている?
ミユキはページをめくった。内容は、王城の防衛計画における特定人物の関与と、その詳細だ。名前は「ミユキ・フォン・ヴェルナー」。魔法陣による防衛ラインの構築支援、作戦への参加記録。
そして最後のページに、署名があった。
ミユキ・フォン・ヴェルナー。
自分の、署名だ。
「セオドア」
声が、思ったより低かった。
セオドアが振り返った。ミユキの顔色を見て、すぐに手続きを中断して近づいてきた。
「どうした?」
「これを見て」
冊子を渡した。セオドアはページをめくり、最後の署名のところで手を止めた。
しばらく黙って、それからミユキを見た。
「……ミユキ。この日付、三ヶ月前だ。その時期、君は王城に来ていたか?」
「来てない」
「それは……確かか?」
「確かです。三ヶ月前の日付は、学園の授業期間中で、外出の記録もないはず」
セオドアはもう一度署名を見た。
指先が署名の上で静止した。何かを感じ取っているような間があった。
「……この署名の魔力紋は」
セオドアが静かに言った。
「確かに、君のものだ」
その言葉が、静かな記録室に落ちた。
すぐには誰も口を開かなかった。石床の冷えが靴底越しに伝わり、古いインクと紙の匂いだけが、薄い空気の中に残っていた。
ミユキは自分が混乱しているのが自分でわかり、あえて答えを急がないことにした。息を整えて、頭の中で可能性を並べる。
『じゃあ、私は書いて忘れたの? それとも、誰かが私を使って書かせた?』
記憶の欠落という可能性。夢の途切れ方と「外部信号仮説」の存在。兄さんが何かをしている時に夢が途切れるという仮説。
もう一つの可能性。内通者が、ミユキの魔力紋を何らかの方法で複製して偽造した。
どちらが正しいか。今の段階でなにもはわからない。しかし、何かが起きている。絶対に。
「これの写しを、取れますか?」
ミユキは管理員に伝える。
「……正式な申請が必要ですが、可能です。もちろん、今日の日付で申請記録が残りますよ」
「当然です。構いません」
管理員が申請書を持ってきた。ミユキは自分の名前を書き込みながら、ページの内容を頭の中に刻んでいた。
日付。内容。署名のある位置。
これは、後で調べる。一人でではなく、適切な人間と一緒に。
「セオドア」
「何だ」
「この件は、今日はまだ他の人に話さないで。私が整理してから、必要な人に伝えるから」
「……わかった」
セオドアは何も問わなかった。問わなくても、ミユキが「考える時間が必要だ」という段階にいることを察しているのだろう。
写しを丸めて筒に入れてもらい、ミユキはそれを鞄に収めた。
記録室を出ると、廊下に王城の午後の光が差していた。
静かな廊下だった。足音が石床に跳ねる。
ミユキは歩きながら、今日の協議の話ではなく、あの署名のことを考えていた。
『自分の字だ。自分の魔力紋だ。でも私は書いていない——書いた記憶がない』
記憶のない行動。
しかし、それはきっと欠落ではない。欠落だったら、「何かが消えた」という感触がある。記憶はつながっている。だから、欠落じゃない。あれはきっと、最初からなかったものだ。
プログラマーとして考えるなら、「存在するはずのない実行ログがシステムに残っている」という状況だ。
バグか。
あるいは、外部から挿入され書き加えられたログか。
どちらにしても、調べなければならない。
急に自分を含むこの世界があやふやなものに思えてくる。自分の記憶も、行動も、すべてが「本当に自分のものか」と疑わしくなる。
ミユキは鞄のストラップを握り直し、感触をたしかめてから、王城の出口へ向かった。




