表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はデバッグしたい ~転生したら作りかけの乙女ゲームの悪役令嬢だったので、前世の知識で世界をデバッグすることにしました~  作者: 神楽坂らせん
第十章:時界潜行

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

88/89

帰還の代償――欠落と執念

### 10-7 帰還の代償――欠落と執念


 ◆異界|隼人 ──

(越境当日・帰還直前)


 路地を三つ折れた先、崩れた礼拝堂の前に淡い円環が浮かんでいた。


 帰還窓。


 光は弱い。縁が時々欠ける。安定しているとは言い難い。


 背後からデルタ試験体が追ってくる気配。隼人は左腕を押さえたまま、最後の加速を使った。視界が狭まり、心臓の音だけがやけに大きい。


 円環に飛び込む直前、刃が背中の装甲を掠める。火花が散る。痛みは遅れて来た。


「帰れ――!」


 隼人はほとんど叫ぶように自分へ命じ、光の中へ体をねじ込んだ。


 ◇ ◇ ◇


 ◆地球|隼人 ──


 帰還した隼人は、時間の神殿の床へ膝から落ちた。


 胃が裏返るような吐き気。耳鳴り。視界の明滅。左腕の傷から血が滴り、透明な床に赤い点を作る。


「帰還確認」


 クロノスの声が、いつもより近く聞こえた。


「潜行時間、二十九分五十四秒」


 ぎりぎりだった。


 隼人は荒い息を整えようとし、ふと違和感に襲われる。


 何かが、抜けている。


 大切なものの輪郭が、手の中で崩れていくような感覚。


「隼人、応答しろ」


「……してる」


「自己同一性の確認を行う。名を言え」


「志藤隼人」


「目的は」


「妹を……取り戻す」


 そこまでは言えた。


 しかし次の確認で、喉が詰まった。


「妹の名は」


「しど……」


 言葉が霧散する。


 顔は浮かぶ。笑った時に目尻が下がることも覚えている。怒った時、早口になることも。なのに、声だけが遠い。呼びかけられた音の高さ、語尾の癖、その記憶が濁っている。


『兄さん』


 その一語だけ、割れたガラスの欠片みたいに残っていた。


 隼人は唇を噛み、ノートを取り出す。震える手で書いた。


 ――帰還。左腕負傷。

 ――記憶欠落:美幸の声が曖昧。


 書き終えるまで、指の震えは止まらなかった。


 ◇


 痛みはある。恐怖もある。記憶が欠ける感覚は、正直に言って怖い。


『怖いから止まるのか?』


 止まれば、何も届かない。


 神々が口を開く前に、隼人は立ち上がった。左腕を押さえたまま、先に言う。


第二次潜行セカンドダイブを要求する。次の窓で行く」


 セラフィエルが息を呑む気配がした。止めようとした言葉が、宣言に出し抜かれた形だった。


『止められないだろう。わかってるはずだ』


 隼人は内心でそう思いながら、二柱を順番に見た。怒りではなく、静かな確認として。


「損耗は観測されている。しかし、窓を閉じれば敵に主導権を渡す」


 クロノスが返す。セラフィエルは、しばらく沈黙した。


「あなたは、妹の声を失いかけている」


「だから取り戻す。顔も声も、全部」


 今度の沈黙は長かった。


 最初に口を開いたのはクロノスだった。


「準備だけは進めよう。最終判断は保留する」


「クロノス……」


「時間は待たない、セラフィエル」


 セラフィエルは何も言わなかった。


 隼人は静かにノートを閉じた。


 ◇ ◇ ◇


 ◆異界|ミユキ ──


 同じ時刻。


 王立学園の寮では、夜の巡回鐘が鳴っていた。


 ミユキは机に向かい、魔法陣の演算式を清書していた。羽ペンの先に青いインクが溜まり、紙に小さな点を落とす。


 その瞬間だった。


 胸の奥が、誰かが掴んだように痛んだ。


「……っ」


 ペンが指から滑り落ちる。呼吸が浅くなる。理由はわからない。どこかを打ったわけでも、魔力を暴発させたわけでもない。


 ただ、喪失感だけが急に押し寄せた。


 何を失ったのかはわからない。なのに、確かに「何かが減った」と体が知っている。


『今……』


 ミユキは胸に手を当てた。


『今、兄さんが、何かを失った』


 根拠はない。論理もない。プログラマーだった頃の自分なら、この感覚をバグ扱いして切り捨てただろう。


 でも今は違う。


 見えなくても、届くものがある。


 ミユキは落とした羽ペンを拾い上げ、震える指でインク瓶の蓋を閉めた。小さな音が、静かな部屋にひどく大きく響く。


 研究ノートの余白に、短く書く。


 ――欠落。原因不明。再発監視。


 文字を書き終えても、胸の奥の空白だけは消えなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ