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悪役令嬢はデバッグしたい ~転生したら作りかけの乙女ゲームの悪役令嬢だったので、前世の知識で世界をデバッグすることにしました~  作者: 神楽坂らせん
第十章:時界潜行

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時間の神殿――削れていくもの

### 10-2 時間の神殿――削れていくもの


 ◆俯瞰|── ⋯


 時間の神殿は、場所というより「現在の裏側」に貼りついた層だ。


 天井は見えず、透明な床の下を無数の時間が光の川のように流れている。見続けると感覚がずれる。隼人は最初の訓練でそれを痛感して以来、必要な時以外は足元を見ない。


 ◆地球|隼人 ──

(越境数日前・訓練)


「集中しろ」


 クロノスの声が、空間に均等に響いた。


 神殿の中央で、隼人は両腕を下げて立っていた。腰のベルト状機構――クロノスの言う「時流制御機」は、隼人の意思を時間へ通すための補助具だ。


「加速から始める。やってみろ」


 神殿の中央から十メートルほど先に、光の球体が浮かんでいた。直径が二十センチほどの、穏やかに揺れる塊。


 隼人は頷いた。まずは加速だけ。制限がある以上、その中で最適解を拾うしかない。


 隼人は光の球体を見た。目の前の球体を、加速させる。イメージを作る。風が前を向いて走るような感覚。自分が流れに乗るのではなく、流れを押し出す感覚。


 ベルトが、かすかに熱を持った。


 次の瞬間、光の球体が射出されたように十メートル先の標的板に到達した。破裂音とともに、板に光の痕跡が残る。


「良い。制御は粗いが、出力は安定してきた」


 クロノスが評した。批評は的確で過剰ではない。隼人はそれを気に入っている。


 訓練は続いた。加速で押し出し、遅延で受け流し、局所停止で止める。失敗するたびに、必要最小限の補足だけが飛んだ。


 最も危険だったのは局所停止だ。最初の試みで、隼人は適用範囲を広げすぎ、自分の心拍まで止めかけた。クロノスの介入が一瞬遅れていたら終わっていた。


「死んだかと思った」


「死にかけた。次はそうならないように」


 クロノスは言った。感情は薄いが、嘘はつかない。その性質も、隼人は信頼していた。


 ◇


 模擬戦が始まったのは、訓練も後半に入った頃だった。


 相手は光で作られた人型の構造体だ。痛みはないが速い。現実の人間より一割ほど速く設定されている。


「能力で制圧しろ。局所停止は一回だけだ」


 隼人は両腕を構えた。


 相手が動く。隼人は遅延を選んだ。相手の動きを半速に落とす。その隙に回り込み、背後から制圧を試みる。しかし相手は遅延の及ばない方向に動いた。適用範囲の限界だ。


 距離を取り直す。相手が跳ぶ。今度は加速で先回りする。標的の着地点に先に立ち、制圧態勢をとる。相手が着地した瞬間に押さえ込む。


 手応えがあった。


 しかし押さえ込みが不完全で、相手が抜け出す。それを繰り返すこと数分。隼人は局所停止を使うタイミングを計っていた。


 七分が経過した頃、相手が一瞬だけ動きを止めた。隼人はその瞬間に局所停止を発動した。


 光の人型が、空中で固定される。隼人はその間に距離を詰め、接触点を確保した。


 クロノスが「終了」と言った。


 模擬戦は、勝利で終わった。


 隼人は呼吸を整えながら、自分の状態を確認した。体には異常がない。ベルトの熱は収まっている。記憶は……


 そこで、手が止まった。


『昨日、何を食べた?』


 思い出せない。


 昨日の夕食。それが、ない。訓練の後に何かを食べたはずだ。蓮が来る前に何かを電子レンジで温めた気がする。でも何を温めたかが、するりと消えている。


 些細なことだ。本当に、些細な。


 でも空白は確かに存在している。昨日の食事という記憶があったはずの場所に、何もない。


 少しの間、動けなかった。


 頭では「記録しろ」とわかっている。それでも手が動かない。空白の感触が、言葉にする前に広がっていく。どのくらいの時間が経ったか、わからなかった。ただ、神殿の光の川が静かに流れ続けるだけだった。


 隼人はポケットからメモを取り出した。今日の日付と、今気づいたことを書いた。「昨日の食事:記憶なし」。


「記録しているか」


 クロノスの声だった。


「してる」


「それでいい」


「止めた方がいい」


 別の声がした。セラフィエルだ。穏やかだが、珍しく緊張を帯びた声だ。


「能力を使うたびに記憶に欠損が生じる。今日は食事だった。次は名前かもしれない。その次は……」


「止めない」


「失っていい記憶と、失ってはいけない記憶がある。今のところ、後者はノートの中にある。管理できてる」


「しかし」


「セラフィエル」


 隼人はメモをポケットに戻した。


「俺が失うのは俺の問題だ。それで美幸の近くに行けるなら、惜しまない」


 返答はなかった。


 クロノスは何も言わなかった。セラフィエルも、それ以上は続けなかった。ただ、神殿の光の川が静かに流れ続けるだけだった。


 隼人は足元の光の川を一度だけ見た。無数の時の流れが、どこへ向かうともなく走っている。どこかに美幸がいる。その流れのどこかに、彼女はいる。


 隼人は次の訓練開始を待った。



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