記憶の骨格
### 9-3 記憶の骨格
街から戻ったのは、午後の遅い時刻だった。
クララと別れて、ミユキは一人で寮の自室に入った。
窓を開けると、夕方の風が入ってくる。外では他の生徒の声がして、それからだんだん遠くなった。
引き出しから覚え書き用の紙を取り出す。インク瓶の蓋を開けて、羽根ペンを持った。
整理しよう——ミユキはそう思った。
頭の中に蓄積されてきた「違和感」を、きちんと言語化して並べてみなければ。曖昧なまま置いておくには、今日の発見が大きすぎた。
◇
ミユキは、知っている事実から順番に書き出していった。
まず、この世界とゲームとの類似について。
王立魔法学園の五人の攻略対象キャラクター——第一王子アルベルト、騎士のカイル、学者のセオドア、商人のマルコ、転入生ユリウス。彼らはゲーム「エターナル・クラウン」の公式設定通りだ。主人公リリアーナの存在も、王国の政治構造も、魔法システムの基礎も、ゲーム本編の設定と一致する。
全体の八割程度がここに相当する。
次に——ゲームには実装されなかった設定について。
エドワード・アーベント。セシリア・ブラントン。それ以外にも、いくつかのイベントや場所が「開発中に検討されたが没になったもの」と一致する気がしていた。
この割合は一割程度か。
そして——今日のエリーゼ。
ゲームの公式設定にも開発会議の資料にも残っていない。ミユキが個人のノートに描いた「宿の看板娘エリーゼ、宿の名前は銀の月亭」という落書きと、完全に一致している。他に知っている人間は——いない。
そこまで書き終えて——ペンを持つ手が、わずかに震えた。
これが残りの一割といったところ。
◇
ミユキは書いた文字を見つめた。
「……公式設定、だけじゃない」
声に出すと、重さが増した。
「私が個人のノートに描いたメモや——頭の中にしかなかったものまで、この世界に存在している」
つまり、どういうことか。
転生の際にセラフィエルが言っていた——悪意ある第三者が地球の魂を強奪し、別の異世界へと強制転送しているのだと。その「別の異世界」が何から作られているかについては、セラフィエルは何も言わなかった。だが今なら、答えが出せる。
地球の創作物を素材に——。
『私の場合は』
私自身が素材になったってこと?
この世界は、私の——ゲーム開発者としての私が生み出したもの、考えたもの、没にしたもの、頭の中にだけあったもの——それらで作られている。
神様は、私の魂だけじゃなくて、記憶ごと持ってきた。
そしてその記憶の中にあった創作物が、この世界の骨格になっているんじゃ……。
◇
ミユキは椅子の背にもたれかかって、天井を仰いだ。
「この世界は……私が作っていたゲームということじゃなくて、私が造った世界ってことか」
言葉にすると——奇妙なほど、腑に落ちた。
だから魔法陣がプログラムに見える。だから構造を読み解ける。バグを見つけられる。デバッグの感覚が分かる。
この世界の根幹にある論理が——開発者として作った構造だから——分かる。
では……。
『オメガは、それを知らずに私をここに転生させたのか?』
オメガが転生者を送り込む目的は——おそらく、この世界を不安定化させることだ。それなのにミユキは歪みをデバッグして安定化させている。計画が思惑通りに機能していないはずだ。
オメガはミユキがゲームの開発者だと知らなかった——だから、計算が外れた。
それとも?
『知っていて、それでも何かを企てている?』
今の段階では、判断できない。
そして——まだ気づいていない要素が、あるかもしれない。八割・一割・一割という整理は、まだ完全ではないかもしれない。
◇
ミユキは机に戻って、紙の上に書いた文字をもう一度読んだ。
公式設定、没設定、私的な落書き。
エリーゼが宿の看板を磨きながら鼻歌を歌っていた。
セシリアが中庭で魔法陣の図を広げ、何かを熱心に試していた。
エドワードが訓練場で木剣を肩に担ぎながら仲間と笑い声を上げていた。
彼らは今、この世界で生きている。笑っている。怒ったり、悩んだり、夢を持ったりしている。「素材」として作られた存在かもしれないが、それでも今は——確かに生きている人間だ。
エリーゼの鼻歌が、まだ耳に残っている。
守らなければならない——という話じゃ、ない。気づいたら、そう思っていた。
「私が作った世界だから、なんて関係ないよ」
口に出してみると、腑に落ちた。
「ここで生きている人たちを——失いたくないから、守るんだ」
決意の言葉が、静かな部屋に満ちる。
それでも——ひとりで背負い込もうとは思わない。前にクララに言われたことを思い出す。
そうだ、兄も私を探してくれている。
確認のとれた情報があるわけではない。ただ、夢の中で見えたあの背中が——あの声が——根拠とは呼べないほど薄い何かが、確信に変わりつつある。
夢の中に見えた背中。エンジンの音。
いつか、一緒に戦える日が来る——はずだ。
それまで——この世界を壊させるわけにはいかない。
◇
その夜、夢を見た。
始まりは——看板の揺れる光景だった。銀の月亭。エリーゼの笑顔。それから靄が晴れるように切り替わって——
鮮明だった。前回よりも——ずっと。
エンジンの音が聞こえる。空気を震わせる低い振動。
煙と光の向こうに、見覚えのある背中があった。銀色の装甲が夜の中で輝いている。その背中は、ミユキが知っている——よく知っている——背中だった。
隼人の声が届いた。
『美幸……もう少しだ。待っていろ』
夢の中で、ミユキは返事をしようとした。
『お兄ちゃん、私もここで頑張ってる』
声が届いたかどうかはわからなかった。
夢が途切れた。
目が覚めた。
頬が濡れていた。
ミユキは空の天井を見上げて、しばらく動かなかった。
窓の外が、明け方前の暗い青色に染まっていた。
「……お兄ちゃん」
一言だけ言って、それから静かに目を閉じた。
眠りに落ちるまでの短い時間、ミユキは胸の中で繰り返していた。
こちらも、ちゃんと頑張っているよ。




