なぞの転校生——ユリウス・シュトラーゼ
### 8-11 なぞの転校生——ユリウス・シュトラーゼ
部室に戻ると、トビアスが言った通り紅茶が待っていた。
幾度も茶葉を入れて煮だされ渋みを増した紅茶はもはやこの部の定番になっている。トビアスは、ミユキが部室に入る前から紅茶を用意していたのだろう。
「顔色、悪いぞ。まじで」
「わかってる」
「どのくらい魔力使ったんだ」
「……それなりに」
トビアスがカップを両手で持たせてくれた。温かい。ミユキは椅子に深く沈んで、一口飲んだ。ちゃんと甘くしてある。
「糖分入ってる」
「倒れてほしくないんでな」
正直な先輩だ。ミユキは少し笑った。
窓の外に夕日が落ち始めていた。広場の騒ぎは、もう届かない。でも部室の空気はどこかぴりついていた——或いはそれはミユキ自身の内側から来ているのかもしれない。
バイクが床の上に静かに立っている。さっきまで懸架装置の角度がどうとか言っていた。遠い話みたいだった。
「ヴェルナー」
「うん?」
「今日のこと……学園側に話を通した方がいいと思う」
トビアスがいつになく真剣な顔で言った。
「空間が裂けたのは、ただの魔法陣の誤作動じゃないだろ。ヴェルナーの魔法で縫合できたとはいえ、また起きたら今度は人が巻き込まれるかもしれない」
「そうだね」
ミユキは甘くて渋い紅茶を飲み干した。
「先生方に話を通すわ。それと——セオドア先輩と一緒に調べてることも」
「ヴェルナー以外にも動いてる人がいるのか」
「うん。あと今日、カイル・ヴァルトハイム様にも声をかけた。騎士団側の情報がもらえればと思って」
「……ヴェルナー、大丈夫か」
「疲れてるけど大丈夫」
「そうじゃなくて」
トビアスが少し言い淀んだ。
「……今日ちゃんと食べたか」
思わぬ方向から来た問いに、ミユキは少し考えた。
「朝は食べたよ」
「昼は?」
「……食べてない」
「やっぱり」
トビアスが静かにため息をついた。
「動けてる間は気づかないんだよ。で、突然ガタッとくる」
「……気をつける」
「ヴェルナーがそれ言う時、あんまり信用できないんだよな」
ミユキは返す言葉がなかった。今世では根を詰めすぎないようにしたいのだが、つい熱中してしまうのは変わらない。
「じゃあ俺は機材の片付け終わらせたら上がる。ヴェルナーも早めに寮に戻れよ」
「うん」
ミユキは立ち上がった。バイクのシートの上に置いておいた上着を手に取る。手袋はもう外していた。工具箱は片付いている。
部室の扉を出るとき、後ろでトビアスが「お疲れさん」と言った。
廊下に出ると、石造りの床の冷えが靴底からじわりと伝わってきた。
◇
セオドアは、歪みの件を学園側に話を上げてくれていたようだ。ミユキが寮に向かう途中の廊下で待ち構えていたのか話しかけてきた。
「今日のことは学園長に話を上げた。あの歪みの記録、取れたか?」
「構造式の特徴は覚えてる。後で書き出します」
「頼む。騎士団からの記録と照合したい」
言葉は少ない。でも、そのぶん無駄もない。ミユキにとってはこうしたやり取りのほうが好ましい。
◇
その夜、ミユキはしばらく眠れなかった。
ベッドに横になって目を閉じても、頭の中で映像が繰り返される。黒い裂け目。揺れる縁。Ωの刻印。あの音。
すり潰された声のような、調子の悪い空調のような音だった。
『またあの夢を見そう……』
夢は、ミユキにとって怖いものではなくなっていた。むしろ、見たかった。隼人の声を聞きたかった。
目を閉じるが、なかなか眠りに落ちない。何度も目を開けては、暗い天井を見た。眠れないことに対する焦りと、ぼんやりとした不安が続き、寝返りをうつ。
「ミユキ?」
暗い中でクララの声がした。布を擦る音がして、クララが体を起こしたのが気配で分かった。
「起きてた?」
「うん。なんだか寝れなくて……」
「……今日のこと、やっぱ心配してる?」
「少しね」
「そっか」
しばらく沈黙した。クララが何か言いたそうにしているのは分かった。でも押しつけてはこない。このルームメイトはそういう子だと、もうミユキには分かっていた。
「クララ、あのね」
「なに?」
「また起きると思うんだ。今日みたいなの」
「……うん」
「でも、また対処する。私ならできるから。今日みたいに」
「私でもって言うけど、ミユキ一人でじゃないよね?」
「うん、もちろん、一人でじゃないよ」
「そ。じゃあ、大丈夫」
クララが言い切った。確信のある声だった。
「クララはたまにすごく簡単に言うよね」
「だって本当のことだもん。ミユキが一人じゃないなら、大丈夫だよ」
ミユキは天井を見た。暗い部屋の中に、窓からわずかな光が差してる。
「うん……ありがとう」
「寝よ。明日も授業ある」
「うん」
クララが横になる音がした。ミユキも目を閉じた。今度は少しずつ、眠りに向かった。
◇
翌朝の学園は、予想通りだった。
「昨日の東区画、見た人いる?」
登校の廊下で、声が飛び交っている。
「空が裂けたって本当?」
「ミユキ・フォン・ヴェルナーが修復したんだって」
「あの魔法デバッグの人?」
「そう。空間の裂け目を目の前で消したって、いた人が言ってた」
ミユキは聞こえないふりをして歩いた。隣でクララが「ミユキってば、有名人だね」とこそっと言った。
「有名になりたかったわけじゃないんだけど」
「分かるけど。でも、知られてる方が、次に何か起きたとき動きやすくない?」
クララの言うことはたしかに正論だ。ミユキは「……そうかも」と返した。
教室にたどり着くとちょうど予鈴が鳴った。クラスメートからの視線を感じつつ席につく。
◇
「皆さん、今日から新しい仲間が加わります」
担任がそう言った瞬間、教室のざわめきが少しだけ大きくなった。
転入生。しかも今は学期の途中だ。
扉が開いた。
プラチナブロンドの髪、銀色がかった青い瞳。
背が高く、立ち姿が自然に整っている。制服が着崩れておらず、でも窮屈そうでもない。中性的、という言葉がよく似合う顔立ちだった。クラス中の視線が集まっても、その人物は特に気を変えた様子もなかった。
「隣国リベルナ公国からの留学生、ユリウス・シュトラーゼ君です」
「ユリウス・シュトラーゼです。よろしく」
短く言って、礼をした。余分なことは言わない。
席は——ミユキから三列斜め前に決まった。
着席するとき、ユリウスの視線が一度、ミユキを通った。
ほんの一瞬だった。でも確かに、止まった。
『……』
ミユキは視線を手元に落とした。
『この人……ゲームにいたキャラだ』
——設定した記憶がある。裏ルート専用の、隠し攻略キャラ。条件を満たさないと登場しないはずのキャラだ。この段階の、表のシナリオには一切登場しないはずの人物が、当たり前のように目の前にいる。
『この世界は……本当にどうなっているんだろう。ゲームの設定とは細かいところで食い違っている……』
◇
休憩時間。
ミユキが手帳にメモを書いていたとき、影が差した。
「君が、ミユキ・フォン・ヴェルナーか」
見上げると、ユリウスが立っていた。机の端に軽く手をついて、こちらを見ている。近い距離なのに、さほど圧迫感があるわけではない。不思議な雰囲気だ。ただ、静かな目をしていた。
「はい、そうですが……」
「魔法デバッグという独自の技術を持つ、と聞いた」
「……どこで?」
「噂は早いものだよ」
笑うでもなく、ユリウスは言った。
「昨日の東区画の歪みも、君が修復したそうだね」
「一時的な縫合だけど」
「一時的でも、あの規模のものを個人で修復できる学生は他にいない」
ミユキは少し間を置いた。
『この人、何を探ってる?』
情報収集にしては、踏み込み方が妙に的確だ。転入生が入学初日に得る情報じゃない。
「興味深い技術だ」
ユリウスが続けた。
「魔法を『デバッグ』と呼ぶ。この世界の理論書にはない発想だね」
「独自に研究してきただけです」
いつもの言い訳を口にするミユキ。ユリウスはそれを聞いて、少し考えるように目を細めた。
「そうか」
ユリウスは短く言って、軽く会釈した。
「邪魔したね」
ユリウスは自分の席に戻った。
◇
「ねえ、ミユキ」
ユリウスが離れると、すぐにクララが席を寄せた。声をひそめている。
「あの人、なんか変じゃなかった?」
「変って、どう?」
「転入生なのに、昨日の事件のこと、細かいところまで知ってたでしょ。普通、今日入ってきた人間がそこまで把握してないよ」
「……そうだね」
「それに」
クララは少し眉を寄せた。
「魔力の感じが、他の人と違う。濃い、っていうか……なんか、ふつうの人の魔力じゃない感じ。なんか混じってるっていうか……」
ミユキは内心で引っかかりを覚えた。クララは精霊魔法の感覚が鋭い。
「おかしいわよね」
左斜め前の席から声がした。クラス委員長のアデライーデが、手帳から顔を上げていた。
「私も気になっていたわ。リベルナ公国からの留学生なんて、前例がないはずだもの。それに、入学申請の時期がおかしい——今の時期に新入学を受け付けるのは、特例中の特例よ」
「アデライーデさん、そこまで調べてる?」
「調べたわけじゃないけれど、書類上の話ならクラス委員の私には見える情報もあるから」
ミユキは三列先のユリウスの背中を見た。授業の準備をしているのか、教材を開いている。至って普通の動作だった。
『やっぱり……怪しい。けれど、今は隠しキャラどころじゃない』
ミユキは手帳に視線を戻した。
ページに、昨夜書き出した歪みの構造式のメモがある。セオドアに渡す予定の記録だ。
チャイムが鳴った。次の授業が始まる。ミユキは手帳を閉じた。
◇
放課後、廊下へ出たところで、静かな声が追いかけてきた。
「少しいいか」
振り返ると、ユリウスが立っていた。廊下の賑わいから切り離されたように、その人物だけが静かだった。
「何ですか」
「一つ、確認したいことがある」
ユリウスは、ほんのわずかに間を置いた。
「あの歪みの縁に——何か記号が刻まれていたと証言している人がいる。君は、それを見たか?」
ミユキは答えなかった。
一秒。二秒。
ユリウスは「そうか」とだけ言った。沈黙を読んだのか、答えとして受け取ったのか、判断できなかった。
「……参考になった」
返事を待たずに、廊下へ出ていった。
ミユキはその背中を見送った。
『——あの人は、何を知っている?』
問いを抱えたまま、ミユキも廊下を歩き出した。夕日が石畳の上に長く伸びていた。
**あとがき**
なぞの転校生登場です! 学園ものといえば転校生。転校生といえばなぞ。なぞといえば転校生。
もともと隠しキャラらしいってところも謎めいている彼は一体何を知り、物語はどう動くのでしょうか。
そろそろ急展開しそう? ってところの次回で第八章終わりの予定です。




