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悪役令嬢はデバッグしたい ~転生したら作りかけの乙女ゲームの悪役令嬢だったので、前世の知識で世界をデバッグすることにしました~  作者: 神楽坂らせん
第八章:暗躍する影——世界の歪みと真実

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街、空の裂け目

### 8-10 街、空の裂け目


 翌日の放課後、ミユキは学園の西門を出て、商業区へ向かった。


 マルコ商会の倉庫は、学園から十分ほど歩いた場所にある。アグスが帰り際に念を押していた——「着いたら他人がいじる前に必ず受け取れ」と。


「ヴェルナーお嬢さま、お待ちしておりました」


 扉を開けると、番頭らしき若い男が出てきた。奥へ案内される。


 倉庫の奥に、布をかぶった大きな輪郭があった。


 番頭が布を引いた。


 黒と銀の機体が、そこにあった。


 工房で見たときと同じ機体だ。なのに、薄暗い倉庫の中で見ると印象が違った——装甲の黒はより深く沈み、銀はより冷たく光る。厚みのある前面装甲。フレームに刻まれた魔法陣。右サイドに収まった魔導砲のグリップ。


 ミユキは機体に触れる。


 振動した。魔法陣が呼応する。領地の工房でも感じた感覚だ。自分の魔力を、もう覚えていた。


『……黒と銀』


 夢の中の隼人の姿が、ふと浮かんだ。


 あの夢で何度か見た——黒と銀の装甲をまとったあの姿。この機体の色と、どこか重なった。工房で見たときも、なんとなくそう思っていた。


 ジルバーヴィントは銀の風だ。自由のためのバイク。どこへでも走っていく、柔らかい風。


 でも、こちらは違う。


 守るための機体だ。戦うために作られた。夜の色をしている。


 夜の風。


「ナハトヴィント、か。うん、キミの名前はナハトヴィントだ」


 名前をつけてあげる。声に出したら、少し照れた。


 でも、しっくりきた。


「学園の部室棟へ届けてもらえますか。魔導機関研究会の方へ」


「かしこまりました」


 商会の人に頼み、ミユキは学園にもどることにした。部室のほうに受け入れ準備もしておかなくては。


 ◇


 翌日。早々に授業を切り上げ、部室でナハトヴィントの魔法陣調整を始める。


 魔力の滲む熱が、指先に微かに伝わってくる。


 ミユキは作業台の前に座り、機体のサイドパネルを開けて魔導核心部を覗き込んでいた。解析用の魔力ペンを走らせながら、接続式の異常を探っている。指先には薄く光るインクの跡がついていた。


「右出力コアの接続式、少し位相がずれてる」


「ほんとだ。輸送中に揺れたのかな」


 トビアスが椅子を引き寄せて、隣に腰を落とした。羊皮紙に展開式を書き写す手つきは、ここ数ヶ月で大分板についてきた。


「これ、本当に領地から持ってきたのか」


「アグスさんが直接設計した新型ね。ジルバーヴィントとは別物だよ」


「ジルバーヴィント、あの銀色のバイクか」


 トビアスが機体のフレームを眺めた。刻まれた魔法陣が、ゆっくりと呼応するように光る。


「どう違うんだ」


「ジルバーは走るためのバイク。でもナハトは戦闘用に設計されてる。魔導砲との出力配分から、加速と制動の魔法陣の連動まで——構成が全然違う」


「実戦仕様なんだ……」


「乗りこなすのに、慣れが必要だと思う。ほんと、アグスさんってば凝り性なんだから……」


「ヴェルナーも負けていないとおもうがな」


 二人して笑った。部室の空気に魔力の熱と秋の冷えが混じっている。作業台の上には紅茶のポットが置いてあって、湯気がゆっくり上がっていた。


「ヴェルナー」


 紅茶の湯気をじっと見て、トビアスが言った。


「最近、魔力の流れ、おかしくないか」


 ミユキは手を動かしながら答えた。


「やっぱり、気づいてましたか」


「魔導機関の出力が安定しないんだ。このバイクもアイドリングの魔力消費が設計値より高くないか? 数値がずれてて、そのうえ安定していないように見えるな。これはきっと、環境魔力の乱れの影響が出てる……」


「環境魔力の? そこまでわかるんですか?」


「学園内だけじゃなくて、街でも同じ現象が報告されてる。先輩から聞いた話だと、地方領地でも——」


 そのとき、廊下の方から走る足音が聞こえた。


 ドアが勢いよく開く。


「先輩っ! 大変です!」


 部員の一人——中等部三年生のレムケが、肩で息をしながら飛び込んできた。顔が青白い。


「何があった」


 トビアスが立ち上がった。


「東区画の広場に……! まるで、空が裂けたみたいな……! 人が集まって、でも近づけなくて——」


「案内して」


 ミユキは工具を置きながら言った。


 ◇


 東区画へ向かう道は、逆向きの人の流れの濁流だった。


 市民たちが広場から離れる方向に流れてくる。子どもを抱えた母親、荷物を引きずった商人、何かを叫びながら走る男。


「逃げろ! 何か変なものが出てる!」


「騎士団を呼べ!」


 ミユキとトビアスは流れに逆らって走った。


「ヴェルナー、危険じゃないか」


「放っておけないです!」


 走りながら横目で確認すると、トビアスはすでに隣で走っていた。


 広場の手前で、人垣が見えてきた。二十人ほどが、円を作るように立っている。誰も逃げてはいない。でも、近づこうともしない。みんな同じ方向——広場の中心を、遠巻きに見ていた。


 ミユキは人垣の隙間を抜けた。


 見た。


 空中に、黒い。


 裂け目が、あった。


 ◇


 高さは三メートルほど。幅は大人二人分くらいだろうか。


 たしかに裂け目だった。「亀裂」と形容するのが一番近い——でも、それは石や壁に入ったものではない。空間そのものが、引き裂かれていた。表面がわずかに揺れている。内側は暗く、こちら側の光を飲み込んで、何も映さない。


 その縁に沿って、魔法陣の残滓が明滅している。安定せず、不規則に点滅を繰り返す。


 周囲の噴水の魔法陣も、街灯の魔導器も、全部が誤動作していた。


 そして——


『……何の音?』


 微かな音がした。


 妙に懐かしい機械音だ。


 電子機器の、あの低い唸り。地球で毎日聞いていた、サーバールームの空調に似た音。この世界にそんな音が存在するはずがない。


『これは、地球の音』


 ミユキは裂け目の縁を見る。


 そこには、Ωのシンボルが刻まれていた。


「……オメガ」


 声が出た。


 隣でトビアスが「え?」と聞き返したが、ミユキは答えられなかった。


 ◇


「ヴェルナー嬢……! ここで何を——」


 声とほぼ同時に、鎧の足音が近づいてきた。


 騎士服姿のカイル・ヴァルトハイムが、部下を三人連れて広場に入ってくる。剣の柄に手を置いたまま、歪みを見た。その眼が、即座にミユキに向く。


「これは一体? 何が起きている?」


「わかりません。来たときにはすでに——」


「君は近づくな」


「魔法で対処できるかもしれません」


 カイルが一瞬、言葉を止めた。


「危険だ」


「待っていたら拡大するかもしれない」


 ミユキは返事を聞く前に歩き出した。カイルが声を上げかけるのが聞こえたが、足を止めなかった。


 裂け目の前、三メートルの距離に立つ。


 ここまで来ると、機械音がもう少しはっきり聞こえた。空気が違う——かすかなオゾン臭。冷たい、でも乾いた空気が。歪みの表面から滲み出している。


『まずは構造を確認しないと……』


 ミユキはデバッグ魔法を展開した。


 魔法陣の光が広がって、裂け目の輪郭に沿って流れる。解析が始まる。エラーコードが次々と浮かんでくる。


 内部を読む。


『……これは、次元の膜が破られている。物理的な修復じゃない——外側から縫合する形なら……』


 ミユキは集中した。


 裂け目の縁に沿って、補修式を走らせる。断面の輪郭を整えて、膜の内側にある「張力」——世界の自己修復機能に相当するもの——を見極めて、方向性を整える。


 光が、裂け目の縁から内側へ向かって広がっていく。


 揺れていた表面が、少しずつ収まる。


 機械音が遠くなる。


 Ωの刻印が、砂のように崩れ——。


 ぱっ、と、光が収まった。


 裂け目は消えていた。


 広場の魔法陣が一斉に安定し直す。噴水が正常に流れ始める。空気の温度が元に戻る。


 周囲にいた人々の間から、低い声がどよめきのように広がった。


「……消えた」


「あの嬢ちゃん、なんかした!」


「魔法で直したのか!?」


 ミユキはゆっくり立ち上がった。膝が少し震えていた。大量の魔力を短時間で扱ったあとの、いつもの疲労感だ。


 後ろから足音。


「……見事だ」


 カイルの声だった。


 ミユキが振り返ると、彼は剣から手を離していた。さっきとは違う目で、歪みのあった場所を見ている。


「君の魔法は……本当に特別だ」


「縫合しただけです」


 ミユキは息を整えながら言った。


 カイルは少しの間、黙った。


 その表情に、ミユキは見慣れない何かを感じた。困惑、というほどでもない。でも、「いつもの騎士の顔」ではなかった。


「騎士団すら市民を遠ざけることしかできなかった。君は……根本から解決しようとした」


「私も縫合しかできなかったので、大差ないです」


「いや」


 カイルははっきりと否定した。


「君が対処しようとしたのは、歪みそのものだ。俺は、それを守るための壁を作ることしか考えていなかった。……同じじゃない。それに、空間を縫合するなんて聞いたことがない」


 ミユキは返事に迷った。


 カイルが言いたいことはわかる。でも、何と答えればいいか分からない。ごまかしは通用しそうにない。


 少し考えてから、ミユキは言った。


「一緒に、調べていただけますか」


「……ん?」


「この歪みがどこから来ているのか。学園と街で同じ現象が起きているので、情報を共有できた方が早いと思います。騎士団で情報収集できれば——」


「……ああ」


 カイルの声が、ほんの少し変わった。


「俺にできることがあれば、何でも言ってくれ」


 ミユキは頷いた。


 人垣の中からトビアスが駆け寄ってきた。


「大丈夫か!? すごかった! 本当に消えた!」


「うん。でも、疲れたな」


「顔色悪いぞ!? 戻ろう、部室に、そうだな、お茶がある——」


「紅茶、あるよね?」


「あるさ!」


 トビアスが安堵したように笑った。ミユキも少し笑った。


 ◇


 部室に戻る途中、ミユキは広場を一度振り返った。


 歪みはもう見えない。石畳に秋の光が落ちている。噴水が静かに鳴っている。


 でも、あのΩの刻印は見た。確かに見た。


『図書館の古文書と、同じ紋章だ』


 書物の中の三百年前の記録が、今日の現実に繋がった。


 図書館でのセオドアの声が頭の中で再生された——「排除されたが、脅威は完全には消えていない」。


 消えていなかった。


 今ここに、あった。


『縫合しただけだ。応急処置。根を断てない——まだ、断てない』


 縫合はした。でも、原因は何も変わっていない。自分にできることの乏しさが、じりじりと焦りへ変わった。どこかで、誰かが——この世界の膜を、意図的に引き裂こうとしている。


 なぜ。


 なんのために。


 マルコへの連絡も入れなければ、とミユキは思った。商会の情報ルートが動けば、学園や騎士団が把握していない目撃情報も集まってくるはずだ。


 足が進む。建物の影に入る。もう「偶然」や「気のせい」の話ではない。


 ミユキは道具袋を肩にかけ直した。指先には、まだ魔力インクの跡が薄く残っている。さっきまでの作業が、ずっと遠い昔のことみたいに感じた。



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