調査開始
### 8-9 調査開始
放課後の廊下を、ミユキはひとりで歩いていた。
頭の中に情報が並んでいる。
領地の森での乱れ。授業中に暴走した魔法陣。クララも感じた「重さ」。街で噂になっている誤作動。
『これ、全部、繋がっている……よね』
プログラム的に考えれば——複数のノードが同時に同じ挙動、同じエラーを起こすとき、原因は単一の上流にある。ランダムな不具合がこれだけ広範囲にそろって出るには、何らかの「意図的な発生源」がないと説明がつかない。
しかも、あのエラーパターンはまずい。
教授の魔法陣に混入していた「外部コード」——あれは、ただの誤作動ではなかった。元の構造式に似せて偽装してあった。つまり、誰かが見つかりにくいように、意図的に仕込んだものだ。
『挙動としてはDDoS攻撃に似ている。大量のリクエストを投げて、システム全体に負荷をかける——ただし、もっと巧妙に』
外部から少しずつ、世界の根幹を書き換えようとしている。
「ミユキ、どうしたの? 難しい顔して」
廊下の曲がり角で、クララの声がした。リリアーナも一緒で、二人とも手にお菓子の包みを持っている。どうやら学食の方から戻ってきたらしい。
「ああ、ごめん。考え事してた」
「見てたら分かるよ。また魔法陣のこと?」
「……そう」
クララは何か言いたそうにして、少し間を置いてから唇を薄く引き結んだ。
「図書館に行くの?」
「うん。調べたいことがあるの」
「だったら、先にお部屋に戻ってるね。お茶、準備しとく。帰ってきたら教えてよ」
「ありがとう、クララ」
リリアーナが小さく頭を下げた。
「ミユキさん、お気をつけて」
二人の足音が遠ざかる。ミユキは向きを変えて、図書館棟へ足を向けた。
◇
図書館の扉を押したとき、入口の脇に人が立っているのに気づいた。
外套の色はネズミ色。袖の端に、学園監察官のバッジが光っている。
年齢は三十代半ば——くらいだろうか。背は高く、腕を組んで石壁に軽く身をあずけていた。特に何かをしているわけでもなく、ただそこにいる、というかんじで。でも、その沈んだ眼差しがミユキの方へ向いた瞬間、ミユキはわずかに足を止めた。
入学してから、何度か見かけたことがある人だ。ヴィクトール・シュヴァルツ先生。学園の監察官で、校内の秩序を守る役割を担っている。
領地でセバスチャンに「影で支えてくれる方」と言われていたのは、この人のことだ。
生徒には厳格なことで知られている。いままであまり関わることはなかった。
目が合う。一拍、静かな間があった。
相手は、小さく頷いた。微笑む、というほどでもない。ただ、会釈に近い、穏やかな承認のようなもの。
ミユキもこくりと頭を下げる。
ヴィクトール先生は何も言わず、ミユキの視線から外れるように、扉の向こうの通路へ消えていった。
『……危険な感じがしないほうの視線は、この人のものだったのね……』
◇
魔法理論棚のひとつ奥、古い文献が集まっているエリア。
そこへ向かう途中、閲覧机の一角に座っている人影に気がついた。
金色の髪。端正な横顔。手元に積み上がった本は、ミユキと同じジャンルだ——異常現象の記録、古代魔法、世界の構造論。
「……セオドア先輩」
相手もほぼ同時に顔を上げた。
「ミユキ君か」
セオドアは、驚いた様子もなくそう言った。本の上に視線をやって、また戻す。
「そろそろ君も来ると思っていた」
「先日の授業、君は魔法陣を修復して『外部コードの混入』と言っていたね。あの表現のしかたは、同じ仮説に辿り着いた人間のものだ」
ミユキは向かいの椅子を引いた。
「先輩も気づいていたんですか」
「ああ。あの魔法陣の構造に違和感があった。私の解析が間に合わず、講義前に警告を出せなかったのは残念だが——教授の展開式としては、コアへの繋ぎ方がわずかにずれていたんだ」
ミユキは手元の本を机に置いた。
「外部からの干渉だと思っています。意図的に、見つかりにくいように偽装して」
「ああ。しかも、単発ではない」
セオドアが人差し指で机を一度叩いた。静かな確認の仕草。
「私が調べた限り、同じような現象は学園内だけでなく、王都各所でも報告がある。街の魔道具屋、広場の公共魔法陣、それから——噂ではあるが——地方領地でも」
「領地でも」
つぶやいたきりに、ミユキは少し止まった。
「……ヴェルナー領でも起きました。休暇中に、森の結界が一時的に誤作動して」
「そこまで広範囲だったか」
セオドアは細く息をついた。反応は冷静だったが、その目の底に、かすかな険しさが走ったのをミユキは見逃さなかった。
「ただの偶然ではない」とミユキが言うより前に、セオドアはそう判断していた。
「それで、原因は?」
「それを調べに来ました」
「同じだな」
二人の間に、奇妙な沈黙が落ちる。いつもの研究ではない、危機へ問いを前にして向き合うのは、また別の感触だった。
『先輩は、感情より先に論理で動く。信頼できる』
セオドアが立ち上がり、棚の方へ歩いていった。
「一つ、見せたいものがある」
◇
彼が手に取ったのは、古びた革装の本だった。本というより、束にされた記録、といった方が近い。羊皮紙が分厚く重ねられ、端がほつれている。インクは色褪せているが、文字はまだ読める。
「王立図書館の禁書庫にあったものだ。複製許可を取って、持ってきた」
ミユキは覗き込んだ。
「『世界の歪みと異界の影』——約三百年前の記録だ」
セオドアがページを開く。古い筆記体で、びっしりと記述が並んでいる。
「読む? それとも、要点を」
「要点を聞かせてください。よろしければ後で自分でも読みます」
セオドアは頷いて、書かれた内容をひとつひとつ拾い上げた。
「かつて、異界からの侵入者がこの世界に現れた——そう書いてある。彼らは特定の紋章を掲げ、世界の法則そのものに介入しようとした。魔法陣が書き換わり、空間が歪み、時の流れが乱れた。最終的には、当時の英雄たちによって排除されたが——脅威は完全には消えていない、と締めくくられている」
ミユキは言葉を返す前に、ページの端を見た。
文字だけではない。小さな挿絵が入っている。
「……これは」
「侵入者が掲げていた紋章だ、と記録にある」
紙の上で、インクが古びて滲んでいた。それでも、その形ははっきりと読み取れた。
ギリシャ文字のΩ。
オメガ。
「!」
ミユキは反射的に立ち上がりかけた。椅子が軽く鳴る。
セオドアが静かに視線を向けた。
「見覚えがあるか?」
「……あの、これは」
言葉が出ない。
頭の中で、記憶が鮮明に踊る。夢の中で何度も見た。バイクを走らせる隼人の周囲に群がっていた黒いスーツの男たち——その胸に、確かにこの紋章があった。
『お兄ちゃんを狙っていた組織。この世界の古文書に——三百年前の記録に、同じ紋章が?』
「ミユキ君? 顔色が悪いが」
セオドアの声で、ミユキは現実に戻った。
「……すみません。驚いて」
「伝説上の組織だと思われていた。だが、今起きていることと妙に一致する。魔法陣の書き換え、世界の法則への介入——古文書の記述通りだ」
セオドアはページを繰ってもう一枚、記述を示した。
「排除された、と書いてある。だが、三百年後に同じことが起きているとすれば——完全には消えていなかったか、あるいは、別の形で再び動き始めたか」
「……そうですね」
ミユキは口の中で返事をしながら、別のことを考えていた。
おかしい。
『私がゲームを開発していたとき——この世界の元になったゲーム設定に、オメガなんて存在しなかったはずだ』
だとすれば、この古文書はどこから来たのか。
この世界には、ミユキが設計していないはずの設定が存在している。
『可能性は、ふたつ?』
ひとつ——過去に別の転生者がいて、その人物の知識がこの世界に混入した。
もうひとつ——オメガは三百年前に、すでにこの世界に接触していた。つまり、ミユキが設定したよりずっと長い歴史が、この組織にはある。
どちらも、証拠はない。でも、どちらかが正しいなら——この世界は、ミユキが思っていたよりずっと複雑な構造をしている。
「ミユキ君」
セオドアがもう一度呼んだ。
「君の魔法デバッグ技術を、貸してほしい」
静かな、まっすぐな声だった。
「この異変の原因を突き止めなければ、世界が危険だ。君の見立てを聞いていると、私よりずっと根本に近い場所を見ている気がする」
「……私も、真相を知りたいです」
「では、魔法陣の研究だけでなく、本件の共同調査を提案する。情報は共有、定期的に擦り合わせる。それでいいか」
「はい」
二人は向かい合った。
セオドアはしばらく、ミユキの顔を見ていた。何かを測っているような目だったが、悪い種類の目ではなかった。
「……一つ、聞いていいか」
「なんですか?」
「君の発想は、どこから来ているんだ」
ミユキは少し間を置いた。
「『外部コード』とか、『プログラム』とか——この世界の魔法使いならまず使わない語彙を君は自然に使う。半年間、気にはなっていた。まるで、別の世界の魔法を知っているかのようだ」
心臓が、一瞬だけ速くなった。
やっぱり頭のいい人は、何かを感じ取るのが早いんだな、とミユキは思った。
けれど、ここで全部を話すわけにはいかない。必要以上に踏み込まれるのは、まだ早い。
ミユキはそっと笑んだ。
「独自の観点で魔法を研究してきただけです」
「……そうか」
セオドアはひと時、黙った。何かを——考えていた。が、軽く首をふると、考え直したように次の句を口にした。
「まぁ、今はそれでいい。君が信頼できる仲間であることに変わりはないからな」
「先輩こそ——ちょっと考えすぎですよ」
「研究者の習性だ」
セオドアはそう言って古文書を閉じた。表情は変わっていないが、声がほんのわずかだけ柔らかくなった気がした。
『こういう賢い人からは踏み込まれたら困っちゃうな』
「では、明日以降、具体的な調査の手順を決めよう。まず現象の記録を体系化する。発生場所、時刻、異常の種類——」
ミユキはバッグから手帳を出した。セオドアが淡々と方針を並べる。研究者の顔だ。
「街での発生記録は、学園の報告以外にも拾えるかもしれません。商人の情報ルートを使えれば、一般市民が気づいた異変も入ってくると思います」
「……商人の?」
「知り合いに、ロッシーニ商会の方がいます。以前、声をかけてもらっていたので」
セオドアは少し間を置いてから頷いた。「それは助かる。学術記録と照合できる」
石造りの閲覧室に、夜の気配が静かに滲み始めていた。
古文書の中で、Ωの紋章はただの古いインクとして沈んでいる。
でも、ミユキの中では全然別の重さを持って刻みついていた。
『三百年前からこの世界の記録がある……単純なゲームの世界とはやっぱり違う世界なのかな……』
夢の中で見た組織の名前が、ページの上で静かに存在を主張しているようだった。
答えはまだ出ない。でも、私はひとりじゃない。
ミユキはペンを走らせ続けた。




