異変の兆し
### 8-8 異変の兆し
長期休暇が明けた日の午後、ジルバーヴィンドで王立魔法学園の校門をくぐったとき、ミユキはひとつ深呼吸をした。
空気の味が変わった気がした。王都の秋めく風、馴染みの石畳、秋の陽光を斜めに受ける図書館の塔。入学から四ヶ月。もうここは「知らない場所」ではない。
『ただいま、学園』
心の中でそう言いながら、ミユキは寮に向けてハンドルを切った。
◇
「ミユキっ!!」
寮の玄関に入った瞬間、突然クララが飛び出してきた。
「ええっ!? ど、どこから!?」
「だって待ってたんだもーん! 手紙に今日戻るって書いてたでしょ! 馬車かと思ってたのに、早かったじゃん!」
ミユキが答える前に、クララはまるで数年ぶりに会う友人みたいに腕をつかんで引っ張っていく。
「ちょ、クララ、荷物を先に——」
「いいの! 部屋でもうお茶の準備してあるよ! 早く早く!」
有無を言わさず部屋に押し込まれた。テーブルにはミユキの好きなカモミールティーとクッキーが並んでいる。窓の外に秋の空が広がっている。
「……用意が良すぎる」
「えへへ」
クララは丸い目でにこにこしながら向かいに座った。
「ミユキのお休みはどうだった? 家族に会えた?」
「うん。すごく良かったよ。お母様もお姉様も、あとお兄様も相変わらずで」
「相変わらず、ってどんなの?」
「お姉様に捕まえられて三時間離してもらえなかった」
「三時間!?」
二人して笑った。ミユキは温かいお茶を一口飲んだ。ちゃんと好みを覚えて準備して待っていてくれた——それだけで、長い道のりがすこし遠くなる気がした。
「クララは? 王都に残ってたって手紙に書いてたね」
「ひたすら勉強してたよ。ミユキに追いつけないからって補習だらけで……いやもう本当につまんなかった。合法的な虐待かと思った」
「先生に言わないでよ、それ」
「言ってないよ!?」
クララはぷりぷりしながらクッキーをかじった。
「でも少し自信ついたかも。精霊魔法の応用、苦手だったのが少し解けてきた気がする」
「本当に? それすごい、どうやって?」
「ミユキがくれた『魔力経路の可視化』の本が、すごく役に立って。あれ、ただの理論書かと思ったら途中から全然そんなことなくて——」
気がつけば、二人の会話はミユキが荷解きを終えてもまだ続いていた。
◇
翌日から、学園の日常が再起動した。
ミユキは休暇前と同じ時間に起き、同じ順路で教室棟へ向かった。でも廊下ですれ違う仲間たちの顔は休暇前より少しだけ変わっていた。日焼けした者、伸びた者、何かを吹っ切ったような顔をしている者。みんなそれぞれ、自分の場所で夏と秋の境目を過ごしてきた。
「ミユキ!」
魔導機関研究会の部室棟のそばで、エドワード・アーベントが手を振った。後ろからセシリア・ブラントンが追いかけてくる。
「二人とも、おかえり」
「ミユキこそ! 休み明けでも研究グループ続けるよな?」
エドワードが声を弾ませた。前世の同僚みたいな、仕事の話から入る自然な再会だ。ミユキは少し笑えた。
「できるよ。エドワード、新しいアルゴリズム試せた?」
「ばっちり。最初に見せたいことがある。あと、セシリアも改良案持ってきてる」
「私のは途中で詰まったんだけどね」
セシリアが口をとがらせた。
「そこが面白いとこじゃない。三人で詰まった方が、解ける可能性上がるから」
「そういう言い方するの、ミユキだけだよ……普通は詰まったら嫌なのに」
「前世が……え、っとなんでもないけど」
プログラマーだったもので、と言いかけて、ミユキは慌てて口を押さえ、笑ってごまかす。
「うんうん、わかるわかる、前世はすごい人だったんだね、ミユキ」
セシリアは特に疑う様子もなくそう言った。三人並んで歩き出す。
『この人たちなら、もっと遠くまで届く』
問いを持ち寄る仲間がいることの、静かな心強さだった。
◇
「ミユキ」
その日の午後、魔導機関研究会の作業を終えて寮に戻ると、クララが神妙な顔で待っていた。
何かを言おうとして、でも言葉を選んでいる。珍しい顔だ。
「どしたの?」
「……なんか、今朝あたりから変だと思わない?」
「変って?」
「うまく言えないんだけど」
クララは眉をよせた。
「空気が……重いっていうか……。魔力の巡りがいつもと違う気がする。起きたとき、なんか頭が少し重くて、最初は眠いからかなって思ったんだけど……夕方になっても同じ感触なの。体調が悪いわけじゃないんだけど」
ミユキは立ち止まった。
自分でも確かめる。ここの所少しづつ感じていた違和感。ちょっと慣れてしまっていたかもしれない。クララの言葉で、改めて意識を向ける。外気の魔力の流れを感じ取るように、意識を広げる。
……あった。
『遅延……?』
まるでネットワークがパケットロスを起こしているみたいな、細かいつまりが満遍なく分布している感触。普段であれば魔力は川のように淀みなく巡っているのに、今日は何か小石が敷き詰められたみたいに、ところどころで流れがよどんでいる。
『……やっぱり、確かだ』
「分かる。ちょっと変かも」
「やっぱり! 私だけじゃなかったんだ」
クララが少し安堵したように肩を落とした。
「魔力量自体は問題ないんだよね。流れの問題だから」
「ミユキって感じ取るの細かいよね。私なんか、頭が重いくらいしか分からなかったのに」
ミユキは少しだけ返事を伸ばした。
領地の森。あのとき感じた乱れと、今日の感触は——似ている。
やはり、同じ現象が複数の場所で起きている。それが偶然なら、こんなに広い範囲にはならない。
どうにか証拠を掴まないといけない。何が起きているのか、誰が関わっているのか——。
「しばらく注意してみよう。もし続くようなら、先生に相談した方がいいかもしれない」
「うん、そうだね」
二人は並んで歩き出した。
◇
次の日、ミユキはセオドアにも相談しそれぞれ独自に記録を取り始めた。魔力の遅延が一時的なものか、それとも継続する現象なのか——経過観察なしには判断が難しいからである。なにか証拠がありさえすれば、先生たちも動きやすいはずだ。
翌週の魔法理論実習の日。
アーデルハイト教授が教壇に魔法陣を展開したのは、授業開始から十分ほどが経った頃だった。今日の題材は「多層構造式の展開手順」——中級者向けの実技確認だ。
教授の手が動く。魔法陣の光が広がる。六角形の構造が重なり合い、内側のリングが回転を始める。
そのとき、光が揺れた。
「……?」
教授の手が止まる。構造式の一部が、意図しない方向に書き換わっている。内側のリングの回転速度が加速し、六角の一辺が崩れ始めた。
「こ、こんなことは——」
「教授!」
ミユキは席を立っていた。
デバッグ魔法を展開、暴走する構造式に接触する。エラーの発生点を探す。コアに近い領域、第二層と第三層の境界——そこに、見たことのない記述がある。
『外から書き込まれた。しかも、元の式に似せて偽装してある』
「ミユキ?」
「待ってください、教授。魔法陣のコアに外部コードが混入しています」
ざわ、と教室が揺れた。
「外部コード……? そんなことが魔法に?」
「元の構造式に偽装して混入させた、悪意ある改竄です。内側から崩れるよう、意図的に書き換えようとしている」
ミユキは指先で修正式を走らせた。外部コードを洗い出して隔離、元の構造式を補完する。光の揺れが収まっていく。六角がゆっくりと元の形に戻った。
「……修復できました」
教授は息を飲んでいた。
「確かに……そこです。見たことのない記述が混じっていた。私の不注意かと思っていたが……」
「不注意ではありません。最初から外部に書き込まれていた痕跡があります」
「では、誰が——」
ミユキは答えられなかった。
分かっていることはひとつだけ。これは領地の森で見た、あのエラーパターンに似ている。
『やっぱり気のせいじゃない。ここでも起きている』
授業はそのまま続いたが、ミユキの頭の中ではずっと別の演算が走り続けていた。
◇
午後の寮。ベッドに腰かけていたクララが、ミユキの顔を見るなり「知ってる顔だ」と言った。
「何かあった。授業で」
「……話、聞いたの?」
「リリアーナちゃんから聞いた。魔法陣が暴走したって」
ミユキは椅子を引いて向かいに座った。
「クララ、街で何か変な話を聞いたことない? 最近」
「あ……」
クララがぴんと背筋を伸ばした。
「言おうと思ってたんだよ。昨日、街に買い物に行ったときに聞いたの。東区画の魔道具屋さんで、魔法陣が勝手に動いたって。あと……空間が少し歪んで見えた、って言ってる人もいたって。市場の人が噂してた」
「市場でも?」
「うん。時間の流れがおかしい気がする、って言ってる人も」
ミユキは唇をきゅっと引き締めた。
授業中の暴走。領地の森での乱れ。街での誤作動。そして、クララの感じた「重さ」。
点が、線になろうとしている。
『広範囲で……まさか……世界全体で起きている?』
バグじゃない。意図的な干渉だ。
誰かが、この世界のシステムを書き換えようとしている。
「ミユキ?」
クララの声で我に返る。
「……うん、ありがとう。参考になった」
「何か分かった?」
「まだ。でも——」
ミユキは窓の外に目を向けた。黄昏が王都の屋根を橙色に染めている。どこか遠い場所で、何かが少しずつ、崩れ始めているような気がしてならなかった。
「調べてみるね」
クララが静かに頷いた。
——セバスチャンの言っていたヴィクトール・シュヴァルツ先生に相談してみよう。先生がたならなにか知っているかもしれない。
それから、マルコにも連絡を入れよう。「何かあれば声をかけて」と言ってくれていた。ロッシーニ商会の情報収集ルートは、学園や騎士団とは別の経路が見えるはずだ。
『兄上やお姉さまには……今伝えると飛び込んできそうだから、もうちょっと確認してからがいいわね……』
夕暮れの中、魔法陣の揺らぎを思い出す。
外部から書き込まれた紋様。見覚えのある干渉のパターン。そして、夢の中で何度も目にしたあの記号——。
『オメガ』
名前が、胸の奥に浮かんだ。まだ証拠はない。でも、ミユキの中では答えがひとつに絞られ始めていた。
**あとがき**
今日はお休みのつもりでしたが、かけちゃったのでアップしときます(笑)
朝のうちには間に合いませんでした><
昨日のあとがきのとおりちょっと忙しい日々がつづくのでここしばらく不安定な更新になるかもです。すみません><




