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悪役令嬢はデバッグしたい ~転生したら作りかけの乙女ゲームの悪役令嬢だったので、前世の知識で世界をデバッグすることにしました~  作者: 神楽坂らせん
第八章:暗躍する影——世界の歪みと真実

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魔力の乱れ——予兆

### 8-5 魔力の乱れ——予兆


 楽しく有意義だった長期休暇は終わりをつげ、明日には学園に戻らなくてはならない。その前日の朝、ミユキは一人で屋敷の北の森へ向かった。


 特別な理由はない——強いていえば、気持ちの整理がしたかった。アグスとマルコの商談、広場での領民への報告、家族との会話などなど。どれも温かくて、そして有意義だったと思う。心や気持ちが満たされたのは確かだ。ただ、漠然とした不安はやっぱりあって、頭の中でいろんなことがぐるぐるしている。そんな時は、自然の中を歩くのが一番だと思った。

 研究につまった時や気分転換に、ミユキはよくこの森を歩いた。幼い頃からセバスチャンに連れられて「探検」と称して踏み込んでいた場所だ。ヴェルナー邸シルバーエッジ館の北に広がるこの山林は、他の領の者からは「ちょっとした魔境」と呼ばれている。低ランクの魔物が生息しているが、結界魔法陣が機能している限り人里への侵入は遮断される——そういう安心感とともに育ったミユキには、慣れ親しんだ庭の延長にすぎない。


 朝の光が木の葉を透かして地面に斑模様を落としていた。草と土の匂い。どこかで小鳥が鳴く。


 ミユキは歩きながら、ゆっくりと魔力の流れを感じ取った。この森の魔力密度は他の場所より高く、習慣的に意識を向けると、水の流れのような感触が身体を通り過ぎていく。それが日常で、それが当たり前だった。


 だから、それが乱れた時、ミユキはすぐに気づいた。


「……?」


 足を止める。


 魔力の流れが揺れている。止まったのではなく、不規則にゆらいでいる。まるで電波が途切れ途切れになるような——あるいはネットワークに急激な負荷がかかった時の、あの「詰まった」感触に似ていた。


『何、これ……』


 見上げると、木々の間の空気がわずかにゆらいで見えた。見間違いかと思ったが、違う。葉も風もないのに、空気そのものが震えている。


 次の瞬間——離れた茂みから、低い唸り声が聞こえた。


 魔物だ。


 しかし、おかしい。領地の結界が正常に機能していれば、この距離まで人間に近づいてくることはないはずだった。ましてや攻撃的に動くはずがない。


 茂みが揺れる。


「きゃっ!」


 小型犬ほどの獣型魔物が飛び出してきた。ミユキを見て一瞬止まった。どうやら魔物も驚いているらしい。

 ミユキを狙っているわけではない。明らかに混乱している。一方向に走っては止まり、向きを変えてまた別の方向へ走る。逃げ場を探しているような動きだ。


 別の方向からも音が聞こえてきた。羽ばたく音、草を踏む音——複数の魔物が、ばらばらな方向へ逃げ出している。


『何かが……魔物を追い払ってる?』


 ミユキは木の幹に手をつきながら、魔力の流れをさらに細かく感じ取ろうとした。前世のプログラマー感覚でいえば、「どこにエラーが出ているかを探る」時の集中だ。


 あった。


 森の北東、およそ百メートルほどの地点——結界魔法陣の接続点ノードの一つがある場所。そこから、不自然な魔力の脈動がゆっくりと広がっている。


 ミユキは走った。


 ◇


 結界の中継ノードは、太い古木の根元に刻まれていた。


 普段は地面に薄く控えめな光を落とす、目立たない魔法陣だ。しかし今——明滅している。ゆっくりと、それでも確実に規則性を失って、点いては消え、消えては点く。


「……!」


 ミユキはしゃがんで魔法陣に手をかざした。


 魔法陣の魔法に触れる——アクセスした瞬間、感触が返ってきた。プログラマブルな魔法陣を扱い慣れているせいか、ミユキには魔法陣の「状態」を直感的に読む感覚がある。健全な魔法陣は一定のリズムで魔力を流し続ける。壊れた魔法陣は流れが途絶えたり逆流したりする。


 この魔法陣は——途絶えと乱流を繰り返していた。


『処理が詰まってる。でも、内側から壊れた感じじゃない』


 じっと読み込む。


「……外から、何かが来てる」


 声に出していた。確信だった。


 魔法陣の外側——結界の外周部から、何か異質な「記述」が流れ込んでいる。ミユキのプログラマブル魔法陣でいうなら、不正な外部コードが書き込まれているような状態だ。本来はその魔法陣内部にしか存在しないはずの命令の列に、どこかから生成された見知らぬ構文が混じっている。


『これ……学園でも、似たような感覚があった』


 そうだ。入学してからしばらくして、学内の魔法施設を通りかかった時——空気が少し重い、と感じたことがあった。あの時はぼんやりした印象で、気のせいだと流したのだが……。


 今、同じものがここにある。


 ミユキはデバッグ魔法を展開した。


 自分の魔力を使って「外部コード」を丁寧に取り除いていく。乱暴に消せば結界魔法自体が壊れる可能性があった。ソースコードのバグを一行ずつ追いかけるような、地道な作業だ。


 周囲では、まだ魔物たちが騒めいている。少し離れたところで、何かが草をがさりと踏んで逃げていく音がした。


 数分後——魔法陣の光が、安定しはじめる。


 明滅が止まり、一定の呼吸を取り戻す。魔力の流れが整い、空気のゆらぎが消えた。


 ミユキは息をついた。


「修復は……できた。けど」


 立ち上がり、周囲を見回す。逃げ出した魔物たちの気配もすでに遠くなっていた。静かな森が戻ってきた——表面的には。


『根本的な原因がわからない』


 これが問題だった。外部からの干渉と断定できるが、誰が何のために、どこからやっているのかがわからない。修復できたのは「このノード一つ」だけで、領地の結界全体に同じことが起きている可能性は排除できない。


 もっと大きな枠で考えると——


『学園でも似たパターンがあった。領地でも同じ。偶然? そんなはずはない』


 バグが複数の場所で同じ形で現れている時。それは個別の不具合ではなく、共通の原因を示している。偶然ではありえない。


『システム全体に、何かが起きてる?』


 「世界」という言葉が頭をよぎった。


 この世界の魔法は、ある種の「インフラ」だとミユキは思っていた。人々が魔法陣を使うことで成り立っている社会基盤。水や灯りと同じように、誰もがその存在を当然のものとして使っている。そのインフラに、じわじわとエラーが蓄積しているとしたら——


『サービスが落ちる前の、遅延の増大みたいな……』


 不吉な比喩が浮かんで、ミユキは首を横に振った。


 でも、否定はできなかった。


 ◇


 屋敷に戻る道を歩きながら、ミユキはずっと考えていた。


 報告すべきだ、とはすぐに思った。一人で抱え込む癖は、前世で懲りていた。


 でも、何をどこまで話すか。


 結界魔法陣の誤作動については話せる。外部からの干渉の可能性も。ただ、「学園でも似た感覚があった」という部分は根拠が薄い。自分の感覚だけだ。


 考えながら歩いていると、屋敷の庭を手入れしていたセバスチャンの姿が見えた。


「お嬢様、お帰りなさいませ。ずいぶんと早かったですね」


「……セバスチャン、少し話せますか」


 セバスチャンの表情が、ほんの少し変わった。ミユキの顔色を確認したのだと思う。


「もちろんでございます」


 二人は庭の東屋に移動した。朝の光が長い影を落としている。


「森の北東にある結界の中継点ノードが、誤作動していました」


「誤作動……?」


「魔法陣の明滅が乱れていて、周囲の魔物が混乱して逃げ出していました。私のデバッグ魔法で修復はできましたが、根本的な原因は特定できていません」


 セバスチャンは黙って聞いていた。


「ノードを解析した感触では、外部から何かが干渉しているように見えました。意図的なものかどうかはわかりません。ただ——」


 ミユキは少し間を置いた。


「学園に来てから、似たような感触を覚えたことが以前もあったんです。その時は気のせいだと思いましたが、今日と重ね合わせると……偶然ではない気がして」


「……」


「もしかすると、この領地だけの問題ではないかもしれません。判断できるだけの情報はまだないですが、知っておいてほしかったので」


 セバスチャンは少し考えるように目を伏せ、それから静かに言った。


「お嬢様は——正しいことをされましたよ」


「え?」


「報告してくださったことです。早い段階で知らせていただけた」


 ミユキは少し目を見開いた。


「私には技術的な判断はできません。ただ、こういった情報は早いほど良い。異常があった時でも、なかった時でも」


「……はい」


「承知しました。改めて結界を確認して、周囲の状況も調査いたします。ヴィクトール先生にも把握していただけるよう、動きましょう」


「ヴィクトール先生?」


「はい。ヴィクトール・シュヴァルツ、彼は以前私が騎士団に籍を置いていた頃の部下です。現在は学園監察官として赴任されております」


 ミユキはわずかに目を見開いた。


「……そういう方がいたんですね」


「お嬢様が入学される際、陰からご様子を見守っていただくよう、個人的にお願いしておりました。報告はこちらへも届いておりますが、直接ご存知でなかったのはこちらの配慮不足です。申し訳ありません」


 ミユキは少し黙った。セバスチャンらしい、と思った。何も言わずに、でも確実に、網を張っておく。あの異質ではない、温かみのある視線は、きっとヴィクトール先生のものだったのだろう。


「……いえ、ありがとうございます」


「ヴィクトール先生は学園監察官としての職務の他にも、魔法陣の異常について以前から独自に調べておられます。学園での感触も含めて情報をお伝えすれば、お嬢様が戻られた後に役立てる何かがあるかもしれません」


 ミユキは頷いた。


「ありがとうございます」


「こちらこそ。お知らせくださって良かったです」


 セバスチャンが立ち上がる。


「もう一つ」


 ミユキは言った。


「この感覚——世界全体の魔力の仕組みに、ゆっくりと何かが起きているような気がするんです。大袈裟かもしれませんが」


 沈黙があった。


「お嬢様の直感は、いつも侮れません」


 セバスチャンの声は静かだった。


「引き続き、注意してまいります」


 東屋に朝の風が通った。


『学園に戻ったら、もっと調べないといけない』


 ミユキは遠くの木立を眺めた。昨日まで平和に見えていた森が——今は少し違って見えた。


 何かが近づいている。


 その確信が、静かに腹の底へ沈んでいった。



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