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悪役令嬢はデバッグしたい ~転生したら作りかけの乙女ゲームの悪役令嬢だったので、前世の知識で世界をデバッグすることにしました~  作者: 神楽坂らせん
第八章:暗躍する影——世界の歪みと真実

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アグスとマルコの商談

### 8-3 アグスとマルコの商談


 あくる朝、ミユキは早めに目を覚ました。


 屋敷の窓から差し込む光は、学園のものとはどこか違う感じがするのは気のせいだろうか。光は柔らかく、草の匂いがする。小鳥たちの声は明らかに違う種類のものが混じっている。


「地元ってかんじよね。なんかいいな」


 着替えながら、ミユキは今日のことを考えた。


 マルコ・ロッシーニが、昼頃に到着する予定とのことだ。ロッシーニ商会の御曹司であり、学園での商品化提案が縁でこうして領地まで来てくれる。商人らしいあの明るい笑顔と、本質を突く交渉の勘——アグスと引き合わせれば、面白い話になるはずだった。


 フリードリヒが同行するはず、だったのだが。


 出発前に廊下で鉢合わせた侍女の話では、夜明け直後に父上が書斎へフリードリヒを呼び出し、「今年度分の領地運営報告書の確認を頼む」と一式押しつけたらしかった。


「昨日の今日で……」


 思わず声に出した。昨夜の夕食で、フリードリヒが同行を喜んだ瞬間に父上の表情が一瞬だけ険しくなっていたのを、今になって思い出す。


『……あれは、そういうことでしたか』


 まさか翌朝に書類地獄を用意しておくとは思っていなかった。廊下の奥、書斎の方向から、書類をめくったり羽根ペンが走る音が微かに聞こえてくる気がした。


「お兄様、ご武運を」


 心の中でそっと手を合わせてから、玄関に向かう。


『マルコさんを紹介したら、アグスさん、どんな反応するかな』


 兄には申し訳なく思いながらも思わず口元がほころぶミユキだった。


 ◇


 アグスの工房は、ヴァルフェルの城塞内、南側の一角にある。


 大きな煙突から常に煙が上がっていて、金属の打音が遠くからでも聞こえてくる。扉を開けると、炭と金属が熱に溶け合う匂いが鼻を刺した。ここも、ミユキにはもはや懐かしい匂いだ。


「——お嬢!」


 作業台の向こうで顔を上げたアグスが、目を細めた。


 赤みがかった茶色の頭と立派な三つ編みの髭、筋肉の塊のような腕——ドワーフの鍛冶師は、相変わらずそのままだった。


「久しぶりです、アグスさん」


「よく帰った! 学園はどうだった? 面白いもんは作れたか?」


 第一声がそれだ。ミユキは笑った。


「作ってはいませんよ。でも、プログラマブル魔法陣の実用化がだいぶ進みました。学園の研究会でもいくつか実験的な実装ができて」


「ほおお! そりゃあすごい!」


 アグスが目を輝かせる。品物の話になるとこの職人は年齢も忘れて反応する。ドワーフが百八十年生きているとは、こういう瞬間にはとても思えなかった。


「詳しく聞かせい。あと——」


 アグスは工房の入り口を見た。ミユキの後ろに、もう一人いる。


「そっちのお客人は?」


「ご紹介します。商人のマルコ・ロッシーニさん。学園で知り合いました。魔動バイクの商品化について、アグスさんとお話しさせたいと思って」


「マルコ・ロッシーニと申します」


 マルコが一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。


「アグス・アイアンハンマー様のお名前は、ミユキお嬢様から何度も伺っておりました。このたびはお時間をいただき、光栄です」


 アグスは腕を組んで、マルコをじろじろと見た。


「……礼儀正しい商人だな。珍しい」


「ありがとうございます。褒めていただけているなら」


「皮肉ってるわけじゃねえ」


 アグスはふんと鼻を鳴らした。


「珍しいってだけだ。まあ、かけろ。話だけ聞いてやる」


 ◇


 作業台の前に置かれた木の椅子に三人が落ち着くと、アグスが奥から分厚い革の設計図を引っ張り出してきた。


「ちょうどよかった。お嬢が学園に行ってる間に手を動かしてたんだ。見ろ」


 ミユキは身を乗り出した。


 設計図には、二種類の車体が描き込まれていた。一つは幅の広いタイヤと跳ね上がった前部を持つ頑丈な構造——もう一つは、現行のジルバーヴィントより細身ながら積載部が大きく、荷台と防風の板を持つ形だ。


「オフロードタイプと……実用型ですか?」


「そうだ。オフロードは冒険者ギルドや傭兵から問い合わせが多くてな。山道でも走れるやつを作ってくれんかって話が来てたんだ。実用型は商人向け——荷物を多く運べて、長距離でも疲れないやつ」


「すごい……」


 ミユキは設計図を手に取った。サスペンションの機構、タイヤの接地面、積載荷重の計算——一枚一枚を見ていくと、アグスがこの間も、ただ待っていたのではなく全力で手を動かし続けていたことがわかる。


「この懸架装置の部分、お嬢が以前に言ってたリンク式サスペンションを元に改良してみたんだが——荷重分散がどうしても定まらなくてな」


「見ていいですか」


「どうぞ」


 ミユキは設計図を引き取り、目を細めた。


 頭の中で、構造が展開されていく。荷重の分布、振動の経路、魔法陣への入力値。オフロードの場合は不整地での突き上げを吸収しながら車体を安定させる必要がある——問題は、魔法陣の補正が常に後手に回ることだ。


『……フィードフォワード制御。入力を予測して先に補正する。センサー的な魔法陣を別に置いて……』


「分かりました。ここに予測補正用の魔法陣を追加します。地面の凹凸を検知して、荷重変化の前に抵抗値を変える構造にすれば——」


 言いながら、羽根ペンを借りて設計図の余白に描き始める。


「お嬢、それは——」


「サブ魔法陣を三点配置して、主魔法陣に先んじて起動させます。こうすれば、応答速度で補正が追いつかない問題が消えるはず」


 アグスが黙って身を乗り出した。マルコも横から覗き込んでいる。


(フロントサスペンションはテレスコピック式にできたら……、うーん、この世界では望遠鏡ってないのかな、どう説明しよう……?)


「それと、前輪の懸架装置はこんな形で太さの違う筒を組み合わせて伸び縮みするようにしたらいいんじゃないでしょうか」


「こ、こいつはすごい。その機構と、応答性の速い魔方陣が組み合わされば……。お穣。こりゃまたすごいもんができそうだな」


 アグスの目が真剣になった。


「これ、試してもいいか?」


「もちろんどうぞ。計算値は横に書きます」


 数分間、工房は静かになった。ミユキが書き込み、アグスが確認し、時折唸り声を上げる——いつもの二人の作業が、まるで学園に行っていなかったかのように再開した。


「……いける」


 アグスが低い声で言った。


「これなら動く。荷重の問題が解決すれば、オフロードタイプの完成度が一段上がる」


「ありがとうございます」


「礼を言うのはこっちだ」


 アグスはミユキを見た。


「何十年ぶりに、本気で面白えと思った」


「また大げさな……」


 マルコが、それまで黙って聞いていたのに、唐突に手を叩いた。


「素晴らしい!」


 二人が振り返ると、マルコがはっきりとした感動の顔をしていた。


「いや、すみません、つい——これは、本当に驚異的なやりとりですね」


「商人の旦那には、魔法陣の話は難しかったか?」


「難しいどころか! 設計の話は正直ついていけていませんが——」


 マルコは設計図を指した。


「問題があって、すぐ解決案が出て、職人がそれを瞬時に検証して『いける』と言う。この速度とこの質で、それが二人の間で自然に成立している。これは……これこそが市場価値ですよ!」


 アグスが眉を上げた。


「商人らしいものの見方をするな」


「商人ですから。でも、嘘は言っていませんよ」


 マルコは真剣な顔になった。


「改めて本題に入らせてください。学園でミユキお嬢様にご提案した、魔動バイクの商品化の件です」


 ◇


 マルコは懐から折り畳んだ紙を取り出した。


「ロッシーニ商会が主導して、商品化から流通まで担います。生産は職人に委託する形にしたいと考えています。利益は三分割——製造者(アグス様の工房)、技術開発者(ミユキお嬢様)、流通管理者(ロッシーニ商会)が各三割。残り一割は品質管理と改良開発の研究費に充てる形でいかがでしょうか」


「品質については、商会側で妥協することはありません。安いものを大量に売るより、信頼性の高いものを適切な価格で売るのがロッシーニ商会の方針です」


 アグスは腕を組んで、少しの間黙っていた。


「……お嬢、学園でこの話を聞いた時、何と思った?」


「信頼できると思いました。品質優先という考え方は、アグスさんと合うと思って」


「ふむ」


 アグスは再びマルコを見た。


「量産するには職人がいる。今の工房だけじゃ足りない。それをどうするつもりだ」


「ヴェルナー領地内で職人を募集し、専用の工房を設立します。初期は商会側が資金を出します。技術指導はアグス様にお願いしたい——もちろん、指導料は別途お支払いします」


「技術を人に教えるのは、職人にとって簡単な話じゃねえ」


「存じています。だから、選別と育成の主導権はアグス様にお持ちいただきます。商会は口を出しません。職人の質に関しては、アグス様の判断を最大限に尊重します」


 また沈黙。


 ミユキは口をはさまなかった。ここはマルコとアグスの話で、口を挟む必要がない。


「……礼儀正しいだけじゃなかったな」


 アグスが言った。


「職人の話の扱い方を知ってる。本当に珍しい商人だ」


「父から、職人と商人は対等でなければいけないと教わりました」


「いい親父さんだ」


「仮にも大陸最大規模の商会ですから、そう言われると照れますが」


 マルコが人懐こい笑顔を見せた。アグスの目元の皺が、ほんの少し和らいだ。それから、短く笑い声を出す。


「分かった。話に乗ろう」


「ありがとうございます!」


「ただし、品質で妥協したら契約は破棄だ。いいな」


「もちろんです」


「お嬢、お前はどうだ」


「私も賛成です」


 ミユキは頷いた。


「三人で確認できてよかったです。私一人では量産なんてできませんから」


「たとえお嬢が天才でも、一人じゃできっこねえよ」


「天才かどうかは……でも、そのとおりですね」


 アグスがふん、と笑う。


「お嬢も学園で少し丸くなったか」


「丸くなった、というか……一人でできることの限界を、より強く実感しました」


「それが分かるだけで十分じゃい」


 ◇


「さて、わんもあしんぐ。じゃったか」


「え? なに?」


 アグスが立ち上がって、工房の奥へ歩いていく。


 そこには重みのある布がかかった、大きな何かが壁際に置かれていた。


「お嬢のためにな、密かに作ってたものがある」


 布を、引いた。


 ミユキは声を出せなかった。


 黒と銀の装甲が、工房の炉の明かりに照らされている。車体はジルバーヴィントより大きく、装甲板は厚く、前部には見慣れない砲身のような機構が組み込まれていた。タイヤは幅広で、外側に泥除けの跳ね上がりがある——オフロードタイプを基礎にしながら、明らかに別の目的為に強化されている。


「……これは」


「冒険者ギルドから、魔物の森を走破できるバイクが欲しいって依頼を受けた。表向きは断った——あんな荒れた森を走れるものを軽々しく量産できるもんじゃないからな」


「でも、作った。


 お嬢のために、な」


 アグスはバイクの装甲を叩いた。しっかりと、確かな金属音がした。


「装甲は全面強化してある。魔力の流れる金属を使ったから、魔法攻撃にもある程度耐える。それから——」


 アグスは前部の機構を指した。


魔導砲まどうほうを搭載した。詠唱なしで魔法陣を起動できる。魔力を込めるだけで発射できるようにしてある」


「詠唱なし……?」


「お嬢のプログラマブル魔法陣の理論を応用した。詠唱をパターン化して、操作レバーに割り当てた。やってみれば分かるが——」


「バイクに乗りながら魔法を使える」


 ミユキが言った。


「そうだ」


 アグスは満足そうに頷いた。


「盗賊にも魔物にも対応できる。魔物の森を走り回るには、これくらいないといけねえと思ってな」


 マルコが、少し離れた位置から複雑な表情でそれを見ていた。


「……これは、明らかに商品化とは別の話ですね」


「当然だ。これは量産品じゃない。特別仕様、お嬢専用だ」


「なるほど。それは……うらやましい」


 マルコが苦笑する。


「私も一台欲しい気持ちがありますが、今日は業務に集中します」


「よく分かってる商人だ」


 ミユキはバイクの装甲に手を触れた。


 滑らかな金属の感触——アグスの鍛冶師としての矜持が、そのまま伝わってくるような手触りだ。


「ただ、これはまだ未完成でな」


 アグスが顎髭を撫でた。


「魔法陣の最終調整が終わっていない。魔力供給の安定性と、砲の出力制御——ここはお嬢でないと仕上げられん。それから、先ほどの衝撃吸収機構、これはぜひコイツに装備したい」


「魔方陣に関しては、学園に持ってきてもらえれば私が調整します」


「そうしてくれ。冒険者ギルドには技術開発の試験運用という名目で話を通してある。お嬢が令嬢でなく技術者として動ける名目になるはずだ」


「……それは、わざと作ってくれた理由ですか」


「半分はそうだ」


 アグスは、ミユキを真っ直ぐに見た。


「お嬢が学園で何を研究してるか、手紙で送ってきてくれてたのは分かる。プログラマブル魔法陣、空間解析、デバッグ理論——普通の令嬢がやる研究じゃねえ。これはワシの感だが、何か面倒ごとの気配がするわな」


 ミユキは黙った。


「ま、聞かねえよ。詮索もしない」


 アグスは続けた。


「ただ、走り出した時に道具が不足してたじゃ困る。職人の仕事は、そこに用意しておくことだ」


 ミユキはしばらく返事ができなかった。


 視線を落として、バイクの装甲を撫でる。


「……ありがとうございます」


「礼なんかいらん。代わりに——」


 アグスの口元が、ゆっくりとほころんだ。それから一拍遅れて、工房中に響く豪快な笑い声が上がった。


「ワッハッハ! ちゃんと帰ってこい。完成させた技術を実際に使え。それが職人への最高の礼儀だ」


「必ず帰ります」


「よし!」


 アグスが手を叩いた。


「それじゃあ、せっかく来てくれたんだ。設計図の詳細を詰めようか。マルコの旦那も、工程表とやらを持ってきたんだろう」


「はい。具体的なスケジュールを確認させてください」


 マルコが手帳を広げる。アグスが新しい設計図を作業台に広げる。


 三人の商談が、本格的に始まった。


 ◇


 工房を出たのは、太陽が傾き始めた頃だった。


 マルコが「今日は良い仕事ができました」と清々しい顔で言った。アグスとの交渉は相当に手ごたえがあったはずなのに、疲弊した様子がない。商人とはそういうものなのかもしれない。


「アグスさんとうまくやれそうですか」


「ええ。あの方はご自分の仕事に誇りを持っておられる。職人の誇りを尊重した上で話せば、必ず良い仕事になります。そういう方と組めるのは、商人として幸運です」


「私も、そう思います」


 マルコが少し間を置いた。


「ミユキお嬢様、一つ聞いてもいいですか」


「どうぞ」


「アグスさんが作られた黒いバイク——あれを見ていた時の表情、覚えていますか?」


「……覚えていません」


「少し、怖いような顔でした」


 ミユキは歩みを止めた。


「何かを覚悟している人の顔、というか」


 マルコは穏やかに言った。責めているのではなく、ただ見えたままを言っている、という口調だった。


「余計なことを言いました。ただ——学園にいる仲間として、もし何かあれば声をかけてください。商人は情報と資金の動かし方に関しては、少し役に立てることもあります」


「……ありがとうございます、マルコさん」


「いいえ。ビジネスパートナーですから」


 マルコは笑顔に戻った。どこまでが商人の顔で、どこからが本音なのか、少し分からない人だとミユキは思う。でも——不思議と、不快ではなかった。


 ふと、首筋に冷たい感覚が走った。振り返っても、砂利道には自分たちの影しかない。


「どうかしましたか?」


「いえ、何でもありません……」


『まただ……。いったい誰が……』


 ミユキは首を振り、マルコに合わせて歩き出した。


 夕暮れの中、二人の影が領地の砂利道に伸びていた。

**あとがき**


なにやら物騒な装備がでてきました。貴族の令嬢の持ち物というより宇宙戦艦についてそうですね()

こんなんつけていいのですかアグスさん……。まあ、あれはあくまで冒険者ギルドからの依頼で作った特別仕様なので、量産されるわけではないと思いますが……。

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