裏庭での会話
### 7-18 裏庭での会話
研究発表会から数日が経った。
殿下からの提案、クラスメイトたちからの賞賛、教授陣からの評価——様々な反応に、ミユキは少し疲れを感じていた。
でも、それ以上に気になることがあった。
リリアーナの様子が、おかしいのだ。
食堂で目が合っても、すぐに視線を逸らされる。廊下で会っても、小さく会釈するだけで、以前のように立ち話をすることもなくなった。クラスでも、なんとなく距離を置かれているような気がする。
『気のせい……かな?』
最初はそう思っていた。でも——やはり、何かがおかしい。
『もしかして、私が何か嫌われるようなことをしたのかな?』
そう考えると、居ても立ってもいられなくなった。
昼休み。
ミユキは、学園の裏庭に足を運んだ。
ここは学園の敷地の隅にある、あまり人が来ない場所だ。古い石造りのベンチと、手入れされた小さな花壇がある。中庭のような華やかさはないけれど、静かで落ち着く場所だ。
「はあ……」
ミユキは、ベンチに座って空を見上げる。
青空が広がっている。大月と小月が、昼の空に薄く浮かんでいた。
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『前世では、こんなにたくさんの人と関わることなんてなかったんだけどなー』
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『前世では、こんなにたくさんの人と関わることなんてなかったなあ』
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心の中で呟く。
プログラマーだった頃は、一人でパソコンに向かって黙々とコードを書いていた。人と話すのは、せいぜいミーティングの時くらい。飲み会も苦手で、いつも早く帰っていた。
でも、この世界では違う。
家族がいる。友達がいる。研究仲間がいる。
毎日、誰かと話して、笑って、一緒に何かをする。
みんなの顔が浮かんだ。
セオドアの研究への情熱。
セシリアとエドワードの優しさ。
クララの明るさ。
そして——リリアーナの純粋さ。
これだけの人が、自分の周りにいる。
そう思うと——少し、怖くなった。
自分の行動一つで、誰かの人生が変わってしまうかもしれない。
悪役令嬢として破滅すれば、家族や友達を悲しませる。
でも——もっと具体的な恐怖があった。リリアーナに気軽に関わることで、彼女の日常を壊してしまうかもしれない。あの透明なほど繊細な笑顔が、自分のせいで歪んだら——。
『だから——絶対に、失敗できない』
そう改めて決意した、その時——。
「ミユキ様?」
声がした。
◇
振り返ると、金色の髪の少女が立っていた。
「リリアーナさん……」
ミユキは、少し驚いて立ち上がりかけた。
「あ、座ったままで……」
リリアーナが、慌てて手を振る。
「ミユキ様、こんなところにいるなんて……、珍しいですね」
「少し、静かな場所で休みたくて……」
ミユキは、正直に答えた。
「あ、そう……ですよね。研究発表会、お疲れ様でした……。すごかったです」
リリアーナが、笑顔で言った。
「あ、ありがとうございます……」
ミユキは、少し照れくさそうに答える。
そして——ふと気づいた。
「あの、リリアーナさん」
「はい……?」
「前は『ミユキさん』って呼んでくれていましたよね? どうして『様』に……?」
リリアーナが、少し困ったような顔をした。
「あ……それは……」
「友達なんだから、前みたいに『さん』で呼んでほしいんです」
ミユキが、正直に言うと、リリアーナは申し訳なさそうに俯いた。
「友達……。と言っても……身分の差がありますし……」
「身分?」
「実は……アデライーデ様に注意されてしまって」
リリアーナが、小さな声で言った。
「『平民が貴族をさんづけで呼ぶなど不敬だ』って……」
ミユキは眉をひそめた。
『アデライーデさんが……そんなことを』
「なので……、今後は『様』でお呼びさせていただこうかと……」
「リリアーナさん……」
ミユキは、少しの寂しさを感じる。
でも——ここで壁をつくりたくない。そう思った。
「でも、私たちお友達ですよね? お友達なんだから、様はやめてほしいです。前みたいに『さん』で呼んでください」
リリアーナが、驚いて顔を上げた。
「え……でも、アデライーデ様に……」
「私は気にしません。もし何か言われたら、私が『そう呼ぶよう頼んだ』と言えばいいです。それで何か言われるようなら、私の責任です」
ミユキは、そう言い切った。
リリアーナが、少し戸惑った顔でミユキを見つめた。そして——小さく、でも確かに微笑んだ。
「……ミユキ……さん」
「はい」
「ミユキさん、ありがとうございます」
リリアーナが、ほっとしたように、かすかに微笑んだ。
「あの……よければ、隣、座ってもいいですか?」
「え? あ、はい。もちろん、どうぞ」
ミユキは、ベンチの端に少し寄った。
リリアーナが、隣に座る。
二人で並んで、空を見上げる。
しばらく、沈黙が続いた。
やはり——いつもと違う雰囲気だ。
隣に座っていても、リリアーナが、少し距離を置いているような……そんな感じがする。
『やっぱり、何かあるんだ』
ミユキは、心の中で決意した。
『ちゃんと聞かなきゃ』
◇
「リリアーナさん」
ミユキが、意を決して口を開いた。
「はい……?」
リリアーナが、少し緊張した様子で答える。
「私……何か、気に障ること言いましたか?」
「え……?」
リリアーナが、驚いた顔をする。
「いえ、その……様呼びだけじゃなく、最近、なんだか避けられているような気がして」
ミユキは、正直に言った。
「食堂でも、廊下でも……前みたいに話してくれなくなって。もし、失礼なことをしたなら謝ります」
「……」
リリアーナは、しばらく黙っていた。
そして——小さく口を開いた。
「あの……お茶会の時……いらしてましたよね」
「え……?」
ミユキの動きが、止まった。
「あの時、ミユキさんは遠くからこちらを見ていらして……」
リリアーナの声が、震えている。
「私……お友達だと思っていたんです。だから、きっと助けて……いえ、こちらに来てくれるって……勝手に期待してしまっていたんです。ごめんなさい」
「……」
ミユキは、何も言えなかった。
「でも、ミユキ様は来てくれなくて。カイル様やセシリアさんたちが助けてくれて……」
リリアーナの目が、潤んでいた。
「やっぱり、私なんて……平民だし、お友達だなんて思い上がりだったのかなって……」
「ち、違います!」
ミユキは、思わずリリアーナに向き直り、声を上げた。
◇
「違います。そんなことない……!」
ミユキは、必死に言葉を探した。
「私、あの時……助けたかったんです。本当に」
「でも……」
「でも、できなかったんです」
ミユキは、俯いた。
「私……もう噂されているんです。『型破りな魔法を使う変わった令嬢』って」
「……」
「それだけじゃなくて……色々と陰口も聞こえてきて……」
ミユキの声が、小さくなる。
「もし、そんな私が前に出たら……リリアーナさんが、もっと孤立するかもしれないって思ったんです」
「え……」
リリアーナが、目を見開いた。
「『変わった令嬢に味方された平民の特待生』って、もっと悪い噂が立つかもしれない。それが怖くて……」
ミユキは、リリアーナを見つめた。
「カイル様やセシリアさんたちが助けてくれていたから、私が出る必要はないって思ったんです。でも——」
ミユキの目が、潤んだ。
「本当は、心配で……ずっと見ていました。もし、何かあったらすぐに駆けつけようって」
「ミユキさん……」
「ごめんなさい。結果的に、あなたを不安にさせてしまって」
ミユキは、深く頭を下げた。
◇
しばらく、沈黙が続いた。
そして——リリアーナが、小さく笑った。
「頭を上げてください……。そういうことだったんですね……」
リリアーナの声は、優しかった。
「……でも、やっぱり」
リリアーナは、少しだけ俯いた。
「ミユキさんが来てくれなかった時……怖かったんです」
声が、小さく震えた。
「私、ごめんなさい。でも——それだけは、正直に言いたくて」
「私こそ、ごめんなさい」
ミユキは、静かに答えた。
「傷ついた気持ちは、本物ですよ。それを言ってくれて……よかった」
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「私、勘違いしてました」
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「私、勘違いしてました。ごめんなさい」
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「え……?」
ミユキが、顔を上げた。
「ミユキさん、私のことを考えてくれていたんですね」
リリアーナが、微笑んだ。
「自分のことじゃなくて、私がどう思われるかを心配してくれて……」
「私、嬉しいです」
涙が、頬を伝った。
でも——それは、悲しみの涙ではなかった。
「やっぱりお友達だって、分かりました」
「リリアーナさん……」
「私も、ごめんなさい。勝手に誤解して、距離を置いたりして……」
二人は、顔を見合わせた。
そして——笑った。
◇
「改めて……」
ミユキが、手を差し出した。
「本当の友達に、なってもらえませんか?」
「はい!」
リリアーナが、その手を握った。
「私も、ミユキさんと友達になりたいです!」
二人の手が、しっかりと結ばれた。
息をついた。肩の力が、すうっと抜けるのを感じた。
誤解は解けた。
そして——こんどこそ、本当の友情が、始まった。
◇
「とっ、ところでっ」
今まで感じていた距離を少しでも早く埋めたいのか——リリアーナが、少し照れくさそうに前のめりになった。
「ミユキさんの魔法、本当にすごいです。理論的で、完璧で……」
「そんなことないですよ」
ミユキは首を振った。
「私は理論ばかりで、感覚が足りないんです。リリアーナさんのような直感的な魔法、羨ましいです」
「え……でも、私なんて……」
「感覚で魔法を使えるのは、才能の証ですよ」
ミユキが、優しく言った。
「魔法には、理論的なアプローチと直感的なアプローチがあります。どちらが優れているわけでもない。ただ、違う道があるだけです」
「……」
リリアーナが、じっとミユキを見つめた。
「アルベルト殿下も、同じことを言ってました」
「王太子殿下が?」
「はい。研究発表会の後で……『感覚で魔法を使えるのは、才能の証だ』って」
リリアーナが、少し頬を赤らめた。
『ああ、そうか。あの時の会話か』
ミユキは、研究発表会の後の光景を思い出した。
アルベルトがリリアーナに声をかけていた場面。
『ゲーム通りの展開だ。主人公と王子様の……』
そう思いかけて——ミユキは首を振った。
『待って。今は、そういう話じゃない』
◇
「魔法の話、もっと聞かせてもらえませんか?」
リリアーナが、頬を染めて尋ねた。
「はい。でも、私も教えてほしいです。感覚的に魔法を使う方法」
「え、私でよければ……」
二人で、魔法談義を始めた。
光の魔法の構造。
治癒魔法の応用。
魔法陣の描き方。
魔力の制御方法。
話していると、時間があっという間に過ぎていく。
リリアーナは、最初は遠慮がちだったけれど、次第に心を開いていった。
「私、魔法陣の理論は苦手なんですけど……でも、光は見えるんです」
「光……?」
「はい。魔力の流れが、光として見えるんです。だから、感覚で調整できるんです」
「それは……すごい才能ですね」
ミユキは、本当に驚いた。
『魔力の可視化……そんな能力があるのか』
プログラムでいえば、デバッグ機能が人体に実装されているようなものだ。理論的に魔法陣を解析する自分とは、根本的にアルゴリズムが違う。感覚という非言語的な処理系——その情報密度は、下手な理論コードよりも遥かに高いかもしれない。
『だから、リリアーナの魔法は美しいんだ』
理由があった。ちゃんと、理由が。
『この才能は……私が軽々しく扱っていいものじゃない……』
◇
鐘の音が鳴った。
午後の授業開始を告げる音だ。
「あ……もうこんな時間」
リリアーナが、慌てて立ち上がった。
「次、実技の授業なんです。急がないと」
「私もです」
ミユキも立ち上がる。
「あの、ミユキさん」
リリアーナが、振り返った。
「また、こうやってお話ししてもいいですか?」
「もちろん」
ミユキは、笑顔で答えた。
「いつでも」
「ありがとうございます!」
リリアーナが、嬉しそうに笑った。
その笑顔は——本当に、輝いていた。
リリアーナが駆けていく。
ミユキは、その背中を見送りながら、小さく微笑んだ。
『友達ができた』
自然と、笑顔になっていた。
悪役令嬢として破滅する未来ではなく——友達と笑い合える、この生活を守っていこう。
ミユキは、新たな決意を胸に秘めた。
◇
その夜、寮の部屋。
ミユキは、ベッドに横になりながら天井を見つめていた。
『今日は、いい日だった』
リリアーナとちゃんと友達になれた。セオドアたちとの研究も順調だ。
『この世界……思っていたより、悪くない』
『明日も、頑張ろ……』
小さく決意を新たにして——ミユキは、眠りについた。
窓の外では、大月と小月が静かに輝いていた。
その月明かりの中に、小さな影が一瞬揺れた——けれど、ミユキは気づかなかった。




