第一回お茶会事件
### 7-16 第一回お茶会事件
研究発表会に向けて、セオドアとの共同研究は順調に進んでいる。プログラマブル魔法陣理論の基礎を固め、実装方法の議論も深まった。マルコも商業化に向けた調査を続けていて、学園の研究棟や図書館にいる時間がどんどん増えていく。
そして——今日は、ゲーム本編のイベント、「第一回お茶会」の日だった。
『確か、午後三時に学園の中庭でお茶会があって……』
ミユキは、図書館の参考書を読みながら心の中で確認する。
『リリアーナが貴族令嬢たちに囲まれて、嫌味を言われるシーン』
『そして、悪役令嬢のミユキ——じゃなくて、本来は「イザベラ」が主導してリリアーナをいじめる』
『私は絶対に関与しない。図書館に籠もって研究していれば絶対にフラグは立たない。ばっちりだわ』
完璧な計画だ。お茶会は中等部三年生と高等部一年生の合同社交イベントだけど、参加は任意。図書館で研究していれば、誰も文句は言わない。
「よし……」
ミユキは、魔法陣理論書のページを捲った。
◇
しかし——完璧な計画は、あっさりと崩れたのだった。
「ミユキー! お茶会行こうよ!」
図書館の静寂を破って、クララが駆け込んできた。
ミユキは思わず本を落としそうになる。
「く、クララ……?」
「今日、お茶会あるでしょ? せっかくの社交イベントなのに、また図書館に籠もるつもり?」
クララは両手を腰に当てて、不満そうな顔をした。
「いや、ええと、今日は研究が……」
「だーめ! 毎日研究ばっかりじゃ体に悪いわよ! たまには息抜きしないと!」
「でも……」
「でもじゃない! 友達として、ミユキの健康が心配なの!」
クララは有無を言わさぬ表情で、ミユキの手を掴んだ。
『ま、まずい! このままだとお茶会に引きずりこまれる!』
ミユキは必死に抵抗を試みる。
「ほ、本当に研究が大事な時期で……」
「研究は明日もできるわ。お茶会は今日だけよ! さあ、行くわよ!」
クララの力は、意外と強かった。
『なんでこの子、こんなに力があるの!?』
ミユキの体力では、到底敵わない。
「ちょ、ちょっと待って……!」
結局、ミユキはクララに引きずられるようにして、図書館を後に……せざるをえなかった。
◇
学園の中庭は、午後の陽光に照らされて輝いていた。
白いテーブルと椅子が並び、色とりどりのケーキやサンドイッチが並ぶ。銀のティーポットからは芳醇な紅茶の香りが漂い、貴族の令嬢や子息たちが優雅に談笑している。
中等部との合同イベントだからか、参加者はかなり多い。
『は、華やかすぎる……!』
ミユキは、場違いな気分になった。
前世なら、こんな場所には絶対に足を踏み入れなかった。会社の飲み会でさえ苦手だったのに、貴族の社交イベントなんて……。
「ほら、あそこに空いてる席があるわ!」
クララが指差した先には、中庭の端にある比較的静かなテーブルがあった。
「あそこなら、人混みから離れてるし……」
「そ、そうね」
ミユキは、少しほっとした。端の席なら、目立たずに済む。イベントに巻き込まれる可能性も低い。
二人はテーブルに向かって歩き出した。
その時——ふと横を見ると、中庭の別の場所に、二つの見覚えのある姿があった。
セシリアとエドワード。
二人は、さりげなくこちらを見ている。セシリアが、わざとらしくないウインクをして、親指を立てた。
『任せて』
そういうジェスチャーだ。
『……ああ、そうか。よかった』
ミユキは理解した。
幼馴染の二人は、最初から待機していたのだ。悪役令嬢イベントが発生する場所に、あらかじめ配置について。
『私が来なくても、二人がリリアーナを庇う作戦だったのか』
そして、もしミユキが強引に連れて来られた場合でも、直接関与しないよう遠くから見守る——。
完璧な布陣である。
ミユキは、小さく頷いた。
◇
席に座ると、クララが早速ケーキを選び始めた。
「わあ、どれも美味しそう! ミユキ、あのイチゴのタルトとか好きでしょ?」
「う、うん……」
ミユキは適当に返事をしながら、周囲に視線を巡らせた。
中庭の中央あたりに、ゆるふわな金色の髪をもつ美少女がいる。
リリアーナ・ローゼンベルク。
ゲーム『エターナル・クラウン』の主人公だ。
彼女は一人でテーブルに座っていて、少し緊張した様子で紅茶を飲んでいた。平民出身の特待生ということもあり、周囲の貴族たちとの距離を感じているのかもしれない。
『ゲーム通りなら、そろそろ貴族令嬢たちが絡んでくるはず……』
ミユキは、内心で警戒を強めた。
そして——その予感は的中した。
◇
数人の貴族令嬢が、リリアーナのテーブルに近づいていく。
彼女たちは高等部一年生で、ミユキとは顔見知り程度の関係だ。授業で何度か見かけたことがある。
「あら、リリアーナさん。一人なのね」
令嬢の一人が、甘ったるい声で言った。
「は、はい……」
リリアーナが、少し身構える。
「平民なのに特待生だなんて、すごいわね」
「え、ええと……ありがとうございます」
◇ ◇
リリアーナは、心の中で焦りを感じていた。
この場の空気は、決して友好的ではない。表面上は褒めているように見えて、その実——。
『ミユキさん……』
リリアーナが視線を巡らせると、中庭の端にミユキの姿が見えた。銀髪の令嬢は、クララと一緒に座っている。
この数週間、リリアーナはミユキのことを見てきた。授業で一緒になった時、廊下ですれ違った時。いつも研究熱心で、でも時折見せる優しげな表情。
『身分違いでも、友達になれたらいいな』
と、そう思っていた。憧れていた。
だから——もしかしたら、助けてくれるかもしれない。
そんな期待が、胸の奥にあった。
◇
「でも、やっぱり庶民、平民ですものね。社交の場には慣れてないんじゃなくて?」
「……」
リリアーナが言葉に詰まる。
令嬢たちは、クスクスと笑い始めた。
「社交マナーとか分からないのではなくて? カトラリーの使い方とか、紅茶の飲み方とか……。覚えることが多くて大変でしょうね」
「そ、そんなこと……」
視線を向けると、ミユキはまだ遠くに座っている。こちらを見ているような気もするが——動く気配はない。
『やっぱり……来てくれないんだ』
小さな失望が、胸に広がった。
「それに、魔法だって感覚で使ってるだけなんでしょう? 家庭教師から理論を学べたわけでもないでしょうし」
「い、いえ、私は……」
リリアーナの声が震えている。
◇ ◇
ミユキは、拳を握りしめた。
『ゲーム通りのイベントだ。でも——私は関与しない』
『ここで出て行ったら、悪役令嬢フラグが立つ。セシリアとエドワードに任せる』
そう自分に言い聞かせる。
でも——胸の奥が、苦しかった。
『リリアーナは、悪い子じゃない。努力家で、優しくて、正義感が強い』
『ゲームのキャラクターとして見てたけど……実際に会ってみたら、ちゃんと生きてる人間だ』
それでも——ミユキは動かなかった。
動けなかった。
◇
その時——。
「あら、平民でも優秀な人は優秀よ? 出自で判断するなんて、時代遅れではなくて?」
明るい声が響いた。
セシリアだ。
中等部三年の彼女は、年下でありながらしっかりとした口調と笑顔で、令嬢たちの前に立った。赤みがかった茶髪を揺らして。
「せ、セシリア様……!」
令嬢たちが、一瞬怯んだ。
セシリアはブラントン子爵家の令嬢で、魔法の才能も折り紙付き。学園でも人気があり、先輩方にも一目置かれている。
「リリアーナさんは、いえ、リリアーナ先輩と言わせてもらうわ。先輩は実技試験でもトップクラスだったわよね。感覚で魔法を使えるのは、才能の証拠だと思うの。私なんて、まだ理論ばかりで実践が追いつかなくて……だからこそ、先輩を尊敬してるんです」
「そ、それは……」
令嬢たちが言い淀む。
そこに——もう一人、割って入る人物がいた。
「騎士見習いとして言わせてもらうが、実力こそが全てだ」
エドワードだ。
彼は凛とした表情で、令嬢たちを見つめた。
「特待生は、実力を認められた者だけがなれる。リリアーナさんは、それだけの力を持っているんだ」
「え、エドワード様……」
令嬢たちが、さらに気まずそうな顔をする。
エドワードはアーベント男爵家の次男で、冒険者志望の騎士見習い。実戦経験も豊富で、学園でも一目置かれている。
そして——さらにもう一人。
「その通りだ。実力があるから特待生なんだ。出自は関係ない」
低い、でも力強い声が響いた。
カイル・ヴァルトハイム。
ゲームの攻略対象キャラの一人で、騎士団長の息子だ。ゲームイベントでの登場シーンどおり、彼は偶然通りかかったように、リリアーナの側に立った。
「か、カイル様……!」
令嬢たちが、完全に圧倒された表情になる。
カイルは名門貴族の出身で、剣術も魔法も優秀。学園でも人気が高い。
「リリアーナ嬢。君の光の魔法は見事だった。実技試験で見せた魔法陣の展開速度、俺でも真似できない」
「あ、ありがとうございます……」
リリアーナが、顔を赤らめた。
令嬢たちは、もう何も言えなくなった。気まずそうに、その場を離れていく。
◇
リリアーナは、助けてくれた三人に深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……本当に」
「気にしないで。困った時はお互い様よ」
セシリアが明るく笑う。
「実力は授業で見せてもらっている。誰に何を言われても、堂々としていればいい」
カイルが力強く言った。
「また何かあったら声をかけてくれよ。俺も同級生として、力になるから」
エドワードが真面目な表情で頷く。
リリアーナは、三人の優しさに胸が熱くなった。
でも——視線を中庭の端に向けると、ミユキはまだそこに座っている。こちらを見ていたような気もしたが、すぐに視線を逸らしてしまった。
『ミユキ様……』
助けに来てくれなかった。遠くから見ていただけ。
『友達だと思っていたのは、私だけだったのかな……』
小さな疑問と失望が、心の奥に残った。
◇ ◇
ミユキは、遠くからその光景を見ていた。
『よしよし。ばっちりだわ』
『セシリアとエドワード……完璧だった』
『それに、ゲームイベントのとおりカイルまで助けに入ってくれた。カイルの好感度はもうかなり高いはず……』
『私は——悪役にならず、遠くから見ているだけで済んだ。フラグ回避成功ね。幼馴染の二人に感謝しなきゃ』
クララが、ミユキの顔を覗き込んできた。
「ミユキ、何見てるの?」
「ううん、何でもないよ」
ミユキは、小さく首を振った。
「あの子、大変そうだね。助けてあげなくていいの?」
「カイル様たちが助けてますから。私が出る幕じゃないですよ」
『私が出て行ったら、悪役令嬢フラグが立っちゃう。だから、これでいいんだ』
でも——リリアーナは、こちらを見ていた。
金の髪の少女は、遠くに座るミユキに視線を向けている。
その瞳には、何か複雑な感情が浮かんでいるように見えた。
『……大丈夫だよね。助けてもらえたんだから』
ミユキは、自分に言い聞かせるように視線を逸らした。
◇
お茶会が終わった後。
ミユキは、中庭の隅でセシリアとエドワードと合流した。
「どうだった? 計画通りでしょ?」
セシリアが、得意げに笑った。
「完璧だった。二人のおかげで、私は関与せずに済んだ」
ミユキは、心から感謝を伝える。
「リリアーナさん、いい子そうだな。今後も気をつけて見ておくよ」
エドワードが、真面目な表情で言った。
「私もリリアーナさんと仲良くしておいたわ。中等部の後輩として懐いておけば、今後のイベントでも協力できるでしょ」
セシリアが頷いた。
「本当に……ありがとう」
ミユキは、二人を見つめた。
「当然よ! 幼馴染でしょ?」
セシリアが、明るく笑う。
「次のイベントは、二ヶ月後の舞踏会だったか?」
エドワードが尋ねた。
「うん。ぶどうジュース事件……絶対に飲み物を持たないようにする」
ミユキが答える。
「舞踏会も合同イベントだから、私たち中等部生も参加できるわ。またサポートするから安心して」
セシリアが自信満々に言った。
三人で、今後の対策を練る。
絆が、また少し深まった気がした。
◇
「じゃ、ミユキ。また明日、研究会でね!」
セシリアが手を振って去っていく。
「俺も訓練があるから行くよ。じゃあな」
エドワードも立ち上がった。
「あ、私も研究の続きがあるんだった……」
ミユキは慌てて立ち上がる。セオドアが待っているはずだ。プログラマブル魔法陣の実装について、今日中に議論する予定だった。
『早く行かないと』
ミユキは足早に中庭を出ようとした。
◇
「あの……ミユキ様!」
声がかかった。
振り返ると、リリアーナが小走りで近づいてくる。金色の髪が夕日に輝いていた。
「り、リリアーナさん……?」
「あの、お茶会、見ていてくださったんですよね……?」
リリアーナは少し息を切らしながら、ミユキを見上げた。
『ま、まずい。何て答えれば……』
ミユキは一瞬言葉に詰まる。
「え、ええと……大丈夫でしたか? カイル様たちが助けてくれて、よかったですね」
「はい……でも……」
リリアーナが何か言いかけた、その時——。
「ミユキ君、まだかい?」
図書館にいたはずのセオドアが声をかけてくる。待ちきれずに探しに来たらしい。
「あ、ごめんなさい! 研究が……また今度、ゆっくりお話しましょう!」
ミユキは慌ててリリアーナに頭を下げて、セオドアのほうへと駆け出した。
◇ ◇
リリアーナは、ミユキの背中を見送った。
『また……研究……』
お茶会の時も、助けに来てくれなかった。今も、話をする時間すらないくらい忙しい。
『ミユキ様は、やっぱり私なんかと友達になる気はないんだ……』
小さな失望が、胸の奥に沈んでいく。
リリアーナは、学園で一人ぼっちだった。平民出身の特待生として、周囲からは距離を置かれている。
セシリアやエドワード、カイルは優しくしてくれたが……。
しかし、憧れているミユキとの間には、まだ壁があるように感じる。
『お友達って言ってくれたのに……。やっぱり、身分の差があるから……』
首を横に振って、リリアーナは寮への道を歩き始めた。
夕日が、二人の少女を照らしていた。
悪役令嬢と主人公。
ゲームでは敵対するはずの二人——。
その間の友情は、今、誤解から生まれた亀裂が広がっていた。
運命の歯車は、少しずつ回り始めていた。




