十五歳の早春——進学決定と社交界デビューへの準備
### 5-5 十五歳の早春——飛び級進学決定と社交界デビューへの準備
早春の朝、ミユキの書斎に柔らかな日差しが差し込んでいた。
窓の外では、庭園の雪が溶け始め、芽吹きの季節を迎えようとしている。
ミユキは十五歳の誕生日を迎えたばかりだった。プログラマブル魔法陣の研究は順調に進み、基礎理論はほぼ完成している。冒険者ギルドでの実戦経験も重ね、魔法陣の改良を続けてきた。
そんな平和な朝を破ったのは、セバスチャンが手にした一通の封筒だった。
「お嬢様、王立魔法学園から書状が届いております」
セバスチャンが、銀色のトレイに乗せた封筒を差し出す。
封筒には、王家の紋章が刻まれていた。
ミユキは、緊張しながら封を切った。
そして——
羊皮紙に書かれた文面を読んで、表情が凍りついた。
『王立魔法学園高等部への特例入学を許可する』
『ミユキ・フォン・ヴェルナー殿の魔法理論研究における顕著な業績を認め、高等部への飛び級進学を認める。来年度より、高等部一年生として入学されたし』
署名は、学園長アダルベルト・フォン・ヴィーゼンフェルトと、第一王子アルベルト・フォン・エーデルシュタインの連名。
「……飛び級……」
ミユキは、呟いた。
『飛び級……シナリオが進行してしまう……!』
『高等部では主人公と同学年……悪役令嬢対立フラグが成立してしまう……!』
前世の記憶——ゲーム『エターナル・クラウン』では、主人公リリアーナ・ローゼンベルクは十六歳で高等部一年生に入学する。そして、悪役令嬢イザベラ・フォン・ヴェルナーと対立する。
『私が十五歳で高等部に入学したら……主人公と同学年になる……』
『悪役令嬢フラグ……本格的に動き出してしまう……!』
ミユキの手が、震えていた。
◇
その日の午後、ミユキは父の書斎に呼ばれた。
エルヴィンが、王宮からの別の書状を広げている。表情は厳しい。
「ミユキ、読んでみろ」
ミユキは、父から羊皮紙を受け取った。
『プログラマブル魔法陣理論が、王国の魔法技術発展に大きく貢献する可能性を認め、王国としても研究を支援したい』
『高等部での研究発表を、王宮としても期待している』
署名は、アルベルト・フォン・エーデルシュタイン王子。
「……王宮からの……」
「ああ。正式な依頼だ」
エルヴィンは、娘をまっすぐに見つめた。
「ミユキ、お前の研究は、もはや個人の学問ではなくなった。王国の魔法技術発展という、政治的な価値を持つようになった」
「これは……依頼という形の、命令ですか?」
「そうだ。お前がどれだけ目立ちたくないと思っていても、お前の才能は隠せないほどに大きい」
エルヴィンは、厳しい表情を崩さない。
「ヴェルナー家としては理由なく断ることはできん」
「だが、学園では権力争いに巻き込まれる可能性もある。派閥の思惑に翻弄されるかもしれない」
父の言葉が、重く響く。
「覚悟はあるか?」
ミユキは、しばらく黙っていた。
心臓が、ドキドキと激しく鳴っている。
『飛び級……』
『いよいよシナリオが動き出して、ゲームの時間が一気に押し寄せてくる……』
『でも……。やらなきゃいけない……』
ミユキは、深く息を吸った。
「はい。覚悟は決まりました」
ミユキは、父の目をまっすぐに見つめた。
「私は、プログラマブル魔法陣の研究を、この世界のために役立てたいと思っています」
「それが、お父様とお母さま、ヴェルナー家にとっても必要なことで、王国の発展に繋がるのなら——喜んでお引き受けします」
エルヴィンは、娘の目をじっと見つめていた。
そして、わずかに頷いた。
「よく言った」
エルヴィンは、初めて柔らかい表情を見せた。
「お前は、立派な領主家の一員だ」
◇
夕食後、ミユキは姉のソフィアに呼び止められた。
「ミユキ、少しいい?」
ソフィアは、ミユキを自室に招いた。柔らかなクッションが並ぶ、優雅な部屋。
「飛び級進学、本当に大丈夫?」
ソフィアは、心配そうに尋ねた。
「私も学園に通っていたから、わかるの。高等部は、中等部とは全く違う世界よ」
「政治的な思惑、派閥の対立、貴族社会の現実——全てが、より複雑になる」
ソフィアは、妹の手を握った。
「ミユキは賢いから、きっと大丈夫だと思う。でも……一人で抱え込まないでね」
「はい。ソフィア姉様」
ミユキは、姉の手を握り返した。
「私には、家族がいます。幼馴染もいます」
「一人じゃないから……大丈夫です」
ソフィアは、優しく微笑んだ。
「そう。ならよかった」
そして、ソフィアは少し声を潜めた。
「それとね、ミユキ。学園に入る前に、もう一つやらなくてはならないことがあるの」
「やらなくてはならないこと?」
「社交界デビューよ」
ミユキは、はっとした。
『社交界デビュー……!』
『ゲームでもあった……デビュタントのイベント……!』
「十五歳になった令嬢は、デビュタント舞踏会に出席するのが慣例なの」
ソフィアは、説明を続けた。
「学園に入る前に、貴族社会の一員として正式に認められる儀式ね」
「お母様からも、きっと話があると思うわ」
ミユキは、複雑な表情を浮かべた。
『デビュタント舞踏会……』
『確か、ゲームでも悪役令嬢のイザベラが主人公をいじめるシーンがあった……』
『派閥の対立が露骨に表れる場所……』
◇
その夜、母カタリーナがミユキの部屋を訪れた。
「ミユキ、お話があるの」
母は、娘の隣に腰を下ろした。
「学園に入る前に、社交界デビューをしなくてはならないわ」
「ソフィア姉様から聞きました」
「そう。デビュタント舞踏会は、来月開催されるの」
カタリーナは、穏やかに説明した。
「それまでに、礼儀作法と舞踏を完璧にしなくてはならないわ」
「社交会話のコツ、派閥への対応、王族への挨拶——全て、一つ一つ丁寧に教えるわね」
「はい、お母様」
ミユキは、決意を込めて頷いた。
カタリーナは、娘の頬に手を添えた。
「ミユキ、お前は賢い子だから、きっと大丈夫」
「でも、もし困ったことがあったら、遠慮なく言ってね」
「お母様は、いつでもお前の味方よ」
その温かい言葉に、ミユキは涙ぐんだ。
「ありがとうございます、お母様」
◇
翌週、ミユキは母と姉と共に王都エーデルハイムを訪れた。
王都は、春の訪れを祝う華やかな雰囲気に包まれていた。花屋が色とりどりの花を並べ、商店が新しい商品を展示している。
馬車が止まったのは、高級ドレスショップ「エレガンス・ド・ローザ」。
店の扉を開けると、上品な香りが漂っていた。
「ようこそ、カタリーナ様」
店主のマダム・ロザリンドが、優雅に迎えてくれた。五十代の女性、気品ある立ち振る舞い。
「こちらが、デビュタントのお嬢様ですね」
マダムは、ミユキを見つめた。
「まあ……なんと美しいプロポーション。そして、この銀髪……」
「マダム、この子に似合うドレスを」
カタリーナが依頼する。
「お任せください。最高の一着をご用意いたします」
採寸が始まった。ミユキは、様々な布地を当てられ、色合いを確認される。
「銀髪に映えるのは……白を基調に、淡い青のアクセント」
マダムが、布地を選んでいく。
「清楚でありながら、華やか。令嬢らしさを保ちつつ、個性を主張する」
「素敵ですわ」
ソフィアが、嬉しそうに言った。
「ミユキ、絶対に似合うわよ」
数時間後、仮縫いのドレスが完成した。
ミユキが試着室から出てくると——
「……まあ……」
カタリーナが、息を呑んだ。
「美しい……」
ソフィアも、目を輝かせている。
鏡に映るのは、白いドレスを纏った少女。淡い青のアクセントが、銀髪と青紫色の瞳を引き立てている。華奢な体型が、ドレスの優雅なラインで美しく際立つ。
「ミユキ……お前、本当に美しくなったわね……」
カタリーナが、涙ぐんでいる。
ミユキは、鏡の中の自分を見つめた。
『これが……私……』
『前世では、こんなドレスを着ることなんて……』
『夢にも思わなかった……』
◇
その後の二週間は、まさに特訓の日々だった。
カタリーナによる礼儀作法の指導は、厳格そのもの。
「背筋を伸ばして。視線は相手の目を見る。微笑みは柔らかく、でも品位を保つ」
「お辞儀の角度は、相手の身分によって変える。王族には深く、同格の貴族には適度に」
「社交会話は、相手を立てつつ、自分の意見も適切に述べる。決して押し付けないこと」
一つ一つの動作、一つ一つの言葉——全てに意味があり、全てに配慮が必要だった。
そして、舞踏の練習。
相手役は、フリードリヒ。
「ミユキ、足元を見るな。相手の目を見て踊るんだ」
フリードリヒが、厳しく指導する。
「ワルツのステップは、一、二、三。リズムを体で覚えろ」
「痛っ! ミユキ、また踏んだぞ!」
「ごめんなさい、兄様……」
何度も何度も、足を踏んでしまう。だが、フリードリヒは根気強く付き合ってくれた。
三日目——ミユキは、ようやく滑らかに踊れるようになった。
「……よし。これなら大丈夫だ」
フリードリヒは、満足そうに頷いた。
「学園では俺がいないから、今のうちに完璧にしておけ」
「はい、兄様。ありがとうございます」
ミユキは、深く頭を下げた。
『兄様……本当にありがとう……』
『こんなに、私のために時間を使ってくれて……』
◇
夜、ミユキは自室で研究ノートを開いた。
新しいページに、ペンを走らせる。
『目標:高等部で、プログラマブル魔法陣理論を完成させる』
『目標:悪役令嬢フラグを全部回避する』
『目標:主人公と友人関係を築く』
『目標:王国の魔法技術発展に貢献する』
『目標:この世界を守る』
ミユキは、ペンを置いた。
『飛び級進学……悪役令嬢フラグ……』
『全てが、一気に動き出す……』
『でも……私には、準備ができている』
『家族がいる。幼馴染がいる。知識がある』
『そして……覚悟がある』
窓の外を見ると、月が輝いていた。
二つの月——グローセモントとクラインモント。大小二つの月が、夜空に並んでいる。
『この世界は、私が前世で作ったゲームの世界』
『でも、もう……ゲームじゃない』
『ここにいる人たちは、みんな本当の人間だ』
『だから……私は、この世界を守りたい』
『悪役令嬢にならないだけじゃなく』
『舞踏会……』
『家族も、友達も、みんなが支えてくれている』
月明かりが、ミユキの銀髪を照らしていた。
春が来る。新しい世界が、待っている。




