夜に来る者(2)
「お久しぶりです、メレッカ様」
「お久しゅうございます、アートラー伯爵様。美しきご尊顔に再び見えることができ、このメレッカ、歓喜の極みにございます。またこのたびは新たな爵位と領地の獲得、心よりお喜び申し上げます」
営業用の慇懃な笑顔でそう言ったのは、シュタイナー商会の支配人の1人、メレッカだった。
メレッカがファイスランダー城を訪れたのは、マーヤーが彼を喚ぶよう、ルバルザールに指示を出して3日後のことだった。既にゼニーはアートラーへ戻っている。
メレッカは領都シリスティアーラの城門から1キロほど離れたところまで、魔法で馬車ごと転移してきて、そこからゆっくりと城門に向かった。いきなり領都内に現れず、少しでもの距離を馬車で進むのは、領主の元を魔法で訪問する際の常識となっている。
そして、城の応接室に招かれたメレッカは、そこでマーヤーと向き合っていた。
部屋の中央に置かれた、紫檀でできた大きな机を挟み、一方にはマーヤーとフィシス、そしてルバルザールとアルテシーラが座り、もう一方にはメレッカがいた。
(美しきご尊顔……、って、露骨にお世辞だよね)
うん、自覚してるから。心の中でそうつぶやきながら、マーヤーはメレッカの挨拶を受けていた。
「まずは、こちらをお納めくださいませ。伯爵就任のお祝いにと、用意させて頂いたものでございます」
そう言ってメレッカは背後に控える女性に目配せした。そっと彼女が差し出した箱を受け取ると、彼はそれを机の上に置いた。両手で支えなくてはならないほどの大きな箱で、底には4本の小さな脚がつき、全面に深い青色のビロードが張られている。机に置いた箱を、メレッカはそっとマーヤーの方へと差し出した。
「拝見します」
そう言って箱を受け取ったのはルバルザールだった。金色の留め金を外し、そっと蓋を開くと中から淡い光が漏れ出してくる。
「これは……!」
大きく目を見開いたルバルザールが箱の向きを変え、中がマーヤーに見えるようにする。箱に入っていたものを見て、マーヤーも息を吞んだ。そしてメレッカの方へ目を向け、彼をにらむようにする。
「これは世界を封じ込めたクリスタル。違いますか?」
マーヤーの言葉に、一瞬メレッカの目が大きく開いた。そして、また元の表情に戻り、口許に笑みを浮かべて言う。
「世界珠と申します。ご慧眼、感服しました。閣下は既にご存じでいらっしゃいましたか」
はい、と固い声でマーヤーが言う。
「宝珠の中に一つの星を封じ込めたもの。その中には人々が暮らし、生き物の住まう世界があるのですね」
「世界珠については、仰せの通りでございます。ただ、申し訳ありませんが、これは本当の世界珠ではございません」
「本当の世界珠ではない?」
どういうことだろう? 彼の言葉を測りかねてマーヤーがメレッカの顔を見つめる。箱の中にあるのは、いつかミュロンの宝石店で見たあのオーブと同じものではないのか。
「本当の世界珠には、確かに閣下のおっしゃったとおりの世界が封じられております。ですが、ここにお持ちしましたものは、世界の基盤となる大陸や海、気象は入っているものの、生命あるものは閉じ込められてはおりません。本物のような人の住む街もなければ、海にも山にも生き物はおりません。動物ばかりか、植物さえも……1本の木や草、苔さえも生えてはおりません。いわば、世界の模倣品とでも申しましょうか、あくまでも精巧に作られた入れ物だけの……細工物でございます」
「そう……なのですか」
少しほっとしてマーヤーが言う。もしこれが本物の世界を封じ込めたものであるなら、安易に受け取ることはできない。そう思っていたからだ。
人々の住む世界を、単なる物品のように扱うことも恐ろしいことだ。それを持つことは一つの世界を所有し、支配することであり、一つのステータスシンボルではあるだろうが、しかし、そのようなものを所有することには危険も伴う。
「本当の世界珠は、取り扱いが非常に厳しく、いかに閣下であっても差し上げることは難しいものでございます。それに、世界珠を狙う不届き者もあって、不用意にお贈りすれば、無用のトラブルを招く元ともなりかねません。模倣品をお持ちしましたことの失礼は重々承知ではございますが、そのように子細のあることでございますので、何分にもご理解を賜りたく存じます」
不届き者。彼が言うのは、おそらくはブラッディパールのことだ。世界珠――世界を封じ込めた宝珠を、所有する貴族から奪い取る怪盗。そのためには手段を選ばず、人を殺すこともためらわない。そして奪い取ったそれを、世界を保護するとの名目でどこかで隠し持ち――保護している、正義の味方を名乗る女賊。マーヤー自身、一度ミュロンで対峙したことがある相手だ。あのとき、マーヤーの魔法では彼女に通用しなかったのだ。
だが、今目の前にあるこれが、メレッカの言うようなものであれば、受け取ることに問題はないようだった。
そうは言っても、目の前の世界珠は実に精密に作られており、生命は存在しない――草一本生えていないとはいえ、空には雲が浮かび、両極の海には氷があって、陸地を縫って川は流れ、雨の降るところさえ見える。このまま時が流れれば、いつかこの世界にも生命が芽吹くのではないかと思えるほどだ。
「お心づくしに感謝いたします」
模倣品と言っても、これほど精緻を極めた造りのものなのだ。どれほどの価値があるものか想像もつかない。こんな素晴らしいものを受け取ってしまっていいのだろうか。そんな不安を感じもしながら、マーヤーは謝意を述べた。。
「閣下とは、いろいろと取引をさせていただき、またリシフィラにも販路を開くための便宜をお図りいただいており、そのご恩は言葉では言い表せません。この程度のもので済むものでないことは重々承知の上でございます」
そう言ってメレッカは微笑んだ。
「こちらこそ、サンタールファとの諍いの後始末の折にはいろいろと便宜を計らっていただき、感謝に堪えません。本日は、そのお礼をこそ申し上げたかったものでしたのに、逆にこのような素晴らしいものをいただき、言葉もありません」
「いえ、閣下がエフライサスへお立ち寄りになったと聞き、何を置いてもと、こうして参りました。どうぞこの先もよろしくお願い申し上げます」
それにしましても、と彼が言葉を続ける。
「閣下はこの先、エフライサスに留まられることになるのでしょうか? それとも、アートラーに?」
その言葉に、ルバルザールとアルテシーラもマーヤーに視線を向ける。
「今は、そのどちらの予定もございません」
ほう、とメレッカが意外そうな声を上げ、ルバルザールとアルテシーラが目を伏せる。
「では、どちらへ? また旅へとおいでになりますのでしょうか?」
「そうです。行き先はまだ定めてはおりませんが」
「そうでしたか。それであれば、私共の商会は、帝国本土にも、ナルヌデュラックにもいくつもの支店を出しております。何かの折にはお立ち寄りいただければ、お力にならせていただきます。どうぞ、ご記憶の端にお留めくださいませ」
「ありがとうございます。ナルヌデュラックでも手広くお仕事をなさっているのですね」
「はい。本土同様、いかな品であってもご用意させていただきます。是非お声がけくださいませ」
しめた。メレッカの言葉を聞いて、マーヤーは心の中で拳を握った。これであのことを切り出せる。
「どんな品でも、とおっしゃいましたね」
「はい、ご用命があれば」
「それでは、人を……食べるための人を、と求めれば、それも手に入れることができまして?」
「人を……?」
眉をひそめてメレッカが問い返す。何を言われたか理解できない、マーヤーの言葉を聞き違えたのではないか、と、そんな顔で。そんな彼に、マーヤーが誤解の余地のない言葉を投げかける。
「ナルヌデュラックのさるところで、奴隷を……食用として手に入れている者があると聞きました。そのような、食べ物としての奴隷を買うことはできるのでしょうか? そのような販路はあるのでしょうか」
ぎょっとしてマーヤーの顔を見つめたのはメレッカだけではない。ルバルザールも、アルテシーラも、目を丸くしてマーヤーの顔に視線を向けている。
真っ青な顔をしてメレッカが立ち上がる。がたん、と椅子が大きな音を立て、後ろに控える従者達がはっとして一歩後ずさる。
「いくら閣下のお求めであっても、そのようなご要望には応じかねます。もし、本当にそのような……」
「嘘ではありません。わたくしは、実際に人が人を食べるところを見たのですから」
無作法と知りつつも、メレッカの言葉にかぶせてマーヤーが言う。
「不快に思われたのであれば、お詫びします。もちろん、わたくしが、そのようなものを求めているわけではないのですし、あなた方がそのような取引をしていると思っているわけでもございません。ですが、あなた方のような大商会であれば、そのような取引について、何かご存じではないかと思いました」
それは……、と椅子に座り直して、メレッカが言う。
「そのような取引についての情報がないか、と、そういう趣旨のお尋ねでしょうか」
「その通りです。奴隷の売買は正規の方法によったものであれば帝国の法が認めるもの。咎めるべきことではありませんから、あなた方も取引に手を出されているのではないかと推察します。その関係があれば、非合法な取引に手を染める者についても何かご存じではないかと思いました」
「なるほど、そういうことでしたか」
大きく息を吐いてメレッカが言う。
「確かに、私共も奴隷の取り扱いはございます」
そうでしょうね、とマーヤーもうなずく。今言ったとおり、奴隷の売買自体は違法ではないのだから。
「では、奴隷狩りなどは?」
少し意地悪な質問をぶつけてみる。マーヤー-自身、奴隷狩りの現場に出会ったこともあるし、奴隷を運ぶ船も見ている。商会の商売には、大っぴらにできないこともあるのを知っての上での言葉だ。それを聞いてメレッカは、そっと首をかしげながら、少し声を潜めて言った。
「さて……奴隷に限らず、商品の調達については現場に任せておりますれば、深く立ち入った状況については承知しておりません」
しかし、と顔を上げ、マーヤーの目を見つめて彼は続けた。
「奴隷を……人を食用にするなどと、そのような目的での取り扱いは聞いたことがございません。そのようなことをしている者がいるなどとは承知しておりませんし、もちろん、私共もそのような取り扱いはしておりません」
「そうですか」
ほっとした。そんな声を作ってマーヤーが言う。
実際、そうだった。
まさかそんな答えが返ることはないと思っていたものの、この場で食用の奴隷を扱っているなどと言われたらとんでもないことになるところだった。そして彼がそう言った以上、シュタイナー商会に限らず、ほかの商人たちもそんな取引はしていないということなのだろう。
「ご期待に添えかねて申し訳ございませんが、私共にはそのような情報はございません」
「わかりました。ありがとうございます。心を乱させてしまったことは、お詫びします」
いいえ、とメレッカが慇懃に頷く。
「しかし、大変な情報を頂きました。奴隷を食用にするなど、今まで聞いたこともございませんでした。私共の商会も、きれいなことばかりしているとは申しませんが、人として最低限の一線だけは越えておりません。それはご信頼くださいませ」
そう告げた彼の目に、強い光が燃えているのをマーヤーは見た気がした。
メレッカが退出した後、ルバルザールがマーヤーを質問攻めにしていた。
「人を……人間を食べるなどということが本当にあったのは……どちらの領でございましょうか」
「内緒」
きっぱりとマーヤーが言う。実際に食人があったことは間違いないのだが、証拠を持ち帰ることができなかった。皇帝に訴えて糾弾しようとしても、知らぬ存ぜぬで通されればどうすることもできない。そんな状態でジュドワイヤ侯爵の名を出すわけにはいかない。
「では、なぜメレッカ様にあのような話をされたのでしょうか。もしや、シュタイナー商会が人間の奴隷を食用に販売しているなどと思われたのでしょうか?」
「そうだね……」
そう言いかけて、一瞬マーヤーが躊躇した。ルバルザールやアルテシーラに話して、それが広まるようなことは避けたい。下手な噂が流れ、それがジュドワイヤ侯爵の耳に入るようなことがあれば、両家の間で重要な問題になる。証拠もないまま噂が流れ、その出所がエフライサスと知られれば、逆にマーヤーの方が皇帝に訴えられかねない。離れたナルヌデュラックでのこととはいえ、ことがことだけに慎重の上にも慎重を期す必要がある。
だから。
「これから話すことは、誰にもしゃべっちゃだめだからね?」
そう念を押してから、マーヤーはジュドワイヤ侯爵のところで起きたことを説明した……ジュドワイヤ侯爵の名前は出さずに。話を聞くうちに、ルバルザール達の顔色がみるみる変わっていく。
「そのようなことが本当にあるのだとは、信じられない……信じたくない気持ちでございます」
「まさか我が君までが犠牲になりかけたとは」
油断したからね。そう言ってマーヤーが肩をすくめる。
実際そうなのだ。見知らぬ相手の――評判の良くない相手の招きに応じたこと。勧められた薬水に口を付けたこと。不用意に抗議の言葉を吐いたこと。ゼニーの忠告に従っていれば、あんな目に遭うこともなかったはずだ。
「それから、シュタイナー商会は結構黒に近いグレーだと、わたしは思ってる」
「黒に近いグレー、でございますか」
声を潜めてそういうルバルザールにマーヤーは頷いた。
「奴隷狩りの現場や、奴隷を運ぶ船も見たからね。あれは非合法に奴隷を集めている証拠だよ」
「確かにそうです。しかし、多くの領主が見て見ぬ振りをしているという実態もあります」
そう言うからには、ルバルザールはシュタイナー商会による奴隷狩りのついての情報を、かなり正確に得ているということだろう。そのことについてマーヤーに話したことがないのは、うかつに触れない方がいいという判断か、あるいはマーヤーが正面切って尋ねたことがないからか。
「ですが、我が君」
そう言ったのはアルテシーラだ。
「シュタイナー商会が非合法に奴隷を扱っているからと言って、それを食用に売るかどうかはまた別のお話ではありませんか」
「ああ、それはそうだね」
確かにメレッカは人を食用にすることについては否定的で、嫌悪感まで示していたし、一線を越えることはない、とまで言い切った。彼の言葉は信用できる、というのがマーヤーの確信だった。
でも、とマーヤーが続ける。
「奴隷を何に使うかは、基本的に主人の意のままだからね。目的は知らされないまま、奴隷の注文を受けているだけ、ってのはあるかもしれない。それとも、メレッカは知らなくても、ナルヌデュラックにある商会の支店が取り仕切ってる、って可能性もね」
もしそうなら。
マーヤーの話を聞いた彼が、動かないとは思えない。彼に話をしたのも、それを期待する気持ちもあってのことだった。メレッカの言葉が、仮に本心から出たものでなかったとしても、商会の幹部が食人などという忌まわしいものを、表だって認め、放任しておくことなどできないはずだから。
マーヤーにできるのは、今はこれだけだった。




