夜に来る者(1)
「まあ!」
目を丸くしてゼニーが叫ぶ。
「本気なの!」
そうだよ、とマーヤーが力強く言う。
「ゼルフィア公爵からの助言なの。シルシェ騎士爵夫人が、きちんとアートラー領を治めることができるかどうか、見極めろ、って。そのために、わたしはアートラー領から離れた方がいい、って。そうすれば、1人でどこまでできるかがはっきりわかるから」
「ゼルフィア公爵が、そんなことを?」
本当だよ。そう言ってマーヤーが思い切り強く頷く。
ゼルフィア公爵の言うことなら、とゼニーが少し下を向く。
「だから、わたしは旅に出るの」
「旅に、って……ナーデラックを離れるつもり?」
わからない、とマーヤーは少し首を振る。まだ決めてないから、と。
「どこか、行く当てがあるわけじゃないし。ただ、貴族の地位を離れて、暮らすだけだから」
「魔法会館じゃだめなの?」
「それじゃ、わたしがどこで何をしてるか、おばさんに丸わかりでしょ?」
今までもそうだった。……でも、水晶球だけじゃ、四六時中わたしを見てるわけにいかないよね? そう言ってマーヤーが首をかしげ、上目遣いにゼニーを見る。
「ラークライズにいても同じだよね。魔法会館があるから」
「あの場所に、家は建てないの?」
そう言ったのはフィシスだった。それを聞いて、寂しそうにマーヤーが首を振る。確かにフィシスの言ったことは魅力的だ。家を建てる場所まで決めていて、間取りも考えていたのだから。だが、今となっては見果てぬ夢だ。
「ラークライズにいたら、魔法会館と関わらずにはいられそうにないから」
あきらめるよ。そうマーヤーは小声で言った。
それを聞き、ゼニーが肩をすくめる。これ以上言っても無駄だと思ってのことだろう。
「それで、いつ戻ってくるのかしら?」
まさかいつまでも行きっぱなし、なんてことはないでしょ? そうゼニーが言う。
「あたしの手際を確認する、って言うのなら、いつかは戻ってきて成果を見るはずよねえ? きっと、公爵はそうおっしゃったんでしょ?」
「そうだけど……でも、いつになるかは決めてない」
抜き打ちテストだよ。そう言ってくすりと笑う。
ゼルフィア公爵は、2年、と言った。それより短くてはだめだろう。
それまでの間、どこか、知り合いのいない村へ行ってひっそりと暮らすか。あるいは、当てのない旅を続けるか。ナルヌデュラックを離れる選択肢もある。
「なるようになるから、ね……」
誰に言うともなく言った言葉に、ゼニーとフィシスが怪訝な顔をする。それには何も言わず、マーヤーはそっと微笑んだ。
ニースルミア城を出る、と決めたマーヤーは、自室にカルーセラを呼んだ。ゼニーやフィシスは同席させず、2人だけで話をするためだ。
「わたし、この領地をゼニー……シルシェ騎士爵夫人に任せて、旅に出るつもりなの。それで、あなたに訊いておきたいのだけれど、わたしがいなくなった後も、ここに残りたい? それともエフライサスへ帰りたい?」
いきなりの質問に、カルーセラが目を丸くする。
「それは……我が君は、もう、ここへは戻られない、ということでしょうか?」
彼女がそう尋ねてきたのは、マーヤーがエフライサスを去って旅に出たことを知っているからだ。今度も同じことかも知れない、と思っているに違いない。そんな思いを察してマーヤーが言う。
「いつかは……一度だけ戻ってくるつもり。でも、その後はまた、ここからいなくなるかな」
爵位と領地をゼニーに譲ることまでは、今は明かさない。それはまだ公にはできないことだから。
「わたくしは……」
少し迷って、カルーセラが言う。
「ここで、ラパン騎士爵を支え、我が君のお帰りを待ちたいと思います」
「本当に?」
答の前に空いた間を気にしてマーヤーが言う。
「本当のことを言っていいのよ? 咎めたりなんてしないし、ジョルジュやゼニーに気を遣うことなんてないから」
「いえ、気を遣ってたりなど……」
「本当に……本当にそうなの?」
本当の気持ちを言って。彼女の立場では言えないこともあるかも知れない、そう思い、イレジスタブル・クエスチョンを使ってもう一度尋ねる。
本当は自分の家臣に魔法を掛けたくはない。しかし、本心を聞かなければならない。答え次第で、彼女はエフライサスを去ることになるから。それが彼女の希望なら良いが、そうでなければ、それは避けるべきだ。
「わたくしは……」
最初は少し目を伏せながら、そして次には顔を上げてカルーセルが言う。
「我が君がいなくなるのであれば、これ以上ここに留まりたいとは思いません」
「そう」
やはりそうか。そう思いながらマーヤーは頷いた。
「シルシェ騎士爵夫人や、ラパン騎士爵は、わたくしにここに残るよう言ってくださっています。わたくしの仕事ぶりを褒めてくださり、破格の待遇までを提示してくださって。でも……」
この場にいないゼニーやジョルジュを気遣う様子を見せながらも、しかし彼女は言う。
「わたくしがここに来たのは、我が君のお手伝いをするためです。いくら待遇が良いからといっても、1人でここにいたくはありません」
「そうなのね」
微笑んでみせるマーヤーに、はい、とカルーセラはきっぱり言い切った。
「何と言っても、ここは故郷から遠いところです。留まれば、もう、エフライサスの地を踏むことはないでしょう。エフライサスには、両親や弟、親類の者もいます。それと会えなくなるのは……」
嫌だよね。そう引き取ってマーヤーが言う。
「わかったわ。無理強いするつもりなんてないから、安心して。ただ、あなたの気持ちを聞いておきたかっただけ」
にっこり笑ってマーヤーは頷いた。
「あなたは、わたしが責任を持って、エフライサスへ戻してあげる」
マーヤーがアートラー領を出ることについては、領内には簡単に伝えるだけに留めている。長期の――予定の決まっていない期間の不在ではあるが、その間はゼニーとジョルジュが執務を代行する、とだけ告げ、伯爵位の譲渡については今は何も言わずに。
家臣達を前にして、マーヤー自身がそう告げたことで、反対する者は誰もいなかった。フィルカ子爵の侵攻を簡単にはねのけ、バイロン伯爵との決闘にも完勝したマーヤーの手腕は誰もが認めており、そんな彼女の言葉であれば、異議を唱える者など誰もいないのだった。
マーヤーとフィシスは、カルーセラを連れ、ゼニーの魔法でファイスランダー城へ転移した。エフライサスを訪れることは、既にセンドドリームの魔法で伝えてある。城の転移の間に姿を現したマーヤー達は、ルバルザールに迎えられた。
「お帰りなさいませ、我が君」
恭しく頭を下げる彼に、マーヤーはにっこりと微笑んだ。
「今回は世話になりました。心から礼を言います」
「もったいないお言葉、恐懼の極みにございます」
マーヤーの口にする畏まった言葉は、同行したゼニー――シルシェ騎士爵夫人を意識してのものだ。形とは言え、他領の貴族のいる前で家臣に向かって砕けた口調で話すわけにはいかない。ゼニーとエフライサスの貴族達の間は、マーヤーに対してのような気安い関係ではないのだから。
「カルーセラにも、世話を掛けました。彼女を遣わしてくれたこと、とてもうれしく思います。彼女はアートラー領で、わたくしの力となってくれました」
「それは重畳にございます」
そう言った彼の目がカルーセラに向けられる。
「務めご苦労であった」
深く腰を折ってカルーセラが頭を垂れるのを見て、ルバルザールが満足げに頷いて見せる。そんな様子を見て、ゼニーが少しきつく口を結ぶ。
「シルシェ騎士爵にはようこそおいでくださいました」
慇懃な口調で言われ、ゼニーの口許が少し緩む。
挨拶が長くなりそうだな。そう思ってマーヤーがルバルザールに声を掛ける。
「ここで立ち話でもないでしょう。移動いたしましょう」
「承知しました。どうぞこちらへ」
ルバルザールの先導で、マーヤー達は城の小サロンへと移動した。いくつかあるサロンの内の一つで、豪奢ではないが落ち着いた感じの調度で、ゆったりくつろぐのに向いた、マーヤー好みの部屋だ。
サロンに入り、カルーセラの方を見ながらゼニーが言う。
「カルーセラ様にはアートラー領でのお務めご苦労様でございました。できることなら、あのままニースルミア城に居場所を用意させて頂きとうございましたが……」
「彼女は、エフライサスの家臣ですからね」
ゼニーの言葉を遮ってマーヤーが言う。カルーセラをアートラー領に留めたいと思い、ゼニーやジョルジュが何度も彼女に働きかけていたことは聞いている。エフライサスに戻りたいと思いながらも、身分や立場から、彼女がその申し入れを断りづらく感じていたことも。放って置けばそのままアートラー領に縛り付けられかねないと知って、マーヤーが彼女の帰郷を決めたのだ。しかし、ゼニーは今も彼女に未練があるようだ。
「アートラー領は、アートラー伯爵家の者で切り回せるようでなくてはいけませんからね」
そうマーヤーに言われ、ゼニーが頷く。
「はい、アートラー伯爵様の仰せの通りでございます」
その言葉でカルーセラがほっとした表情になるのを見て、マーヤーが微笑んだ。
「我が君には、アートラー領を離れられるおつもりでございましょうか?」
「ええ。外向けに、公にはしないのですけれど」
ルバルザールの問いに、マーヤーが頷いて返す。
「その間の政務については、シルシェ騎士爵夫人にお任せしようと思っています」
ほう、とルバルザールが小さな声を上げた。
「せっかく伯爵位を得られましたのに、もう城を出られるのですか」
あきれたような、それでいてどこか愉しげな口調で彼が言い、少し顔を赤らめて、マーヤーが頷く。エフライサスを出たまま、2年近くも気ままにしているのを思い出し、少し済まないような気がするが、彼にそれを咎めるつもりのないことはわかっている。ルバルザールの顔に浮かぶ表情は、アートラーもエフライサス同様――あるいはそれ以上に、マーヤーにとってはこだわる対象ではない、と知ってのことだろう。
「それで、この先の予定の場所はあるのでしょうか?」
ん、ちょっとね……、と素になって言いかけて、慌てて口調を直す。
「場所ではありませんが、少し思うところがあって、調べたいことがあります」
ほう、とルバルザールが頷く。
「調査であれば、もし、お力になれることがあるようでしたら、お申し付け頂きたく存知ます」
「ありがとうございます。もし、必要になることがあれば、その時はお願いいたします」
それから、とマーヤーは言った。
「シュタイナー商会のメレッカ様に面会を申し込んで頂きたいのです」
「メレッカ様、ですか」
「はい。サンタールファから戻ってきた者達の受け入れの際、いろいろとご尽力を頂きました。そのことについて、あらためてお礼を申し上げたい、とお伝えください」
「承知いたしました。早急に手配いたします」
最初メレッカの名を聞いたときに浮かんだ意外そうな表情が消え、ルバルザールは大きく頷いた。




