表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
444/450

謎の尼僧(4)

「抗議します。このような食事など人として許されることではありません」

「人として?」

 不思議そうに侯爵が言う。

「アートラー伯爵、奴隷は主人の所有物なのだ、と知っているだろう? それは帝国の法で定められたことだ」

「たしかにそうです。でも、命まで奪う権利はありません。奴隷の命を保証することは主人の勤めです」

「そういう契約を結ぶことが多いのは認める。だが、どのような契約を結ぶかは、話し合いで決めることだ。違うかね?」

「契約?」

「そうだ。奴隷となるには、主人と契約を結ぶ必要がある。契約内容によって、奴隷の境遇が決まるのだ」

 それに、と侯爵が言う。

「わしは、奴隷を苦しめるつもりはない。アートラー伯爵、貴女も感じたはずだ。死に臨んだあの少女の、至福の思いを。彼女は幸福の中で最期を迎えたのだ。奴隷の身で、これ以上に素晴らしい人生が得られると思うかね」

 少女が最初に抱いていたわずかな恐怖は、歓喜の思いに消され、最期の時に何の苦しみも感じていなかった。それは事実だ。

「そして、貴女も感じたはずだ。命を捧げられることの喜びを」

 それも否定のできないことだ。なぜかはわからないが、しかし、感じてしまったのだ。命をかけた奉仕を受けることの喜びを。

「誰か苦しんだ者があるだろうか? つらい思いをした者がいるのだろうか?」

「それは……」

 いる。マーヤーはきっぱりとそう言った。

「わたしは、後悔しています。あの娘の命を貪ったことを。そして、それを喜びと感じてしまったことを」

 歓喜が去った後、残ったのは悔いと、恐れ、そして自分に対する嫌悪だ。

「最初はそういうこともある。だが、慣れればそんなことはなくなる」

 そうなのか。

 こみ上げる嫌悪の中でマーヤーは知った。

侯爵も、そして同席する貴族達も、命を奪い、その喜びを感じることに慣れて、それが当たり前のことになっている。だから、誰も嫌悪感も、後悔も感じないのだ。……これは麻薬だ。虜になれば、もう逃れることのできないものだ。

「慣れる? そんなつもりもありませんし、次の機会もないでしょう」

 ああ、と侯爵が言って微笑む。

「確かにそうだろう。貴女に次の機会は……食べる機会はない。なぜなら」

 そう言って、彼はマーヤーの目を見つめた。

「この次、貴女は、捧げる側になるのだから」

「なんですって?」

 それはどういう意味……、そう言いかけたとき、強い眠気をマーヤーは感じていた。めまいに似た衝撃に見舞われ、そして意識が遠のいていく。

「さて、諸君、今日の二皿目だ」

 薄れる意識の中で、そんなジュドワイヤ侯爵の言葉をマーヤーは聞いていた。

「我々の考えを理解できる人物であれば、このようなことにならずに済んだのだが……極めて遺憾であると言わねばならん。このまま帰せば我々に仇なす者となろうからな」

 そう言って、侯爵が椅子からマーヤーの身体を抱き上げる。

「苦しみの中での死を与えるのは本意ではない。至福の内の死をこそ与えよう」

 侯爵の言葉ははっきりと聞こえている。自分が感じているのは眠気ではない、とマーヤーは気付いていた。眠りに落ちた、と思ったのは錯覚で、実際には身体の自由がなくなっているだけなのだ、と。

「晩餐の前に飲んだ薬水。あれが、至福を与え、そしてそれを共有させてくれる。効き目はまだ消えておらんよ」

 テーブルの上から皿が取りのけられ、侯爵は、その後にマーヤーの身体を横たえた。そして夫人に目配せをする。

「畏まりました」

 そう言ってテーブルの前に立った夫人が、マーヤーの肩に手を掛ける。

「何をするつもり……」

 マーヤーはそう言ったつもりだが、声は出てこない。それどころか、口を開くこともできない。

 そんなマーヤーを愛おしそうに見つめながら、夫人はマーヤーの服を脱がせに掛かった。

 されるがままにドレスを脱がされ、コルセットやペチコートを取り去られる。

 最後のアクセサリーが外されると、マーヤーは何一つ身につけていない、生まれたままの姿でテーブルの上に寝かされていた。

 両手は左右に身体から離すように伸ばされ、脚が少しだけ開かれて、全身がくまなく貴族達の目にさらされる。

「美しい」

「これならば、味も……」

「そうだ、あの時の感覚もきっと……」

 ささやくような声が聞こえる。貴族達の欲望が漏れ出した声だ。そんな者達に、美しい、と言われて、喜びを感じる。嫌悪でなく、おぞましさでもなく。

 それを不思議とも思わず、違和感も感じない。

 これから何をされるのか、はわかっている。あの少女と同じことをされるのだ。

 恐怖はない。むしろ、この先起きることへの期待と、食べられることへの喜びが心の奥底からわいてくる。魔法による幻覚ではなく、食前に飲んだ薬水の効果だ。きっと、あの少女も同じものを飲まされていたに違いない、と思う。心の中に広がる歓喜が、思考を鈍らせ、感情の渦にマーヤーの心を引き込んで、理性が薄らいでいく。

 魔法を使えば切り抜けられる。そうわかっていても、逃げよう、という意思が生じない。すべてを捧げる喜び、それが自らの願いとなり、早く食事が始まってほしいとさえ思う。

「では、わしから」

 そう言って侯爵がカトラリーを手にしてマーヤーに近づいた。

 裸の胸にそっとフォークが押し当てられ、その先が触れたところに、小さな血の粒がこぼれ出す。一番柔らかいところに――乳首のすぐ脇、膨らんだ胸の一番上のところにナイフが突き立てられる。

 痛みはない。

 恐れもない。

 これから起こることへの期待、そして喜び。

 命を奪われることへの恐れではなく、すべてを捧げる――捧げることのできる機会を得たことへの感謝。

 ナイフがマーヤーの身体を切り裂いて胸の中に入ってくる。痛みはなくとも、その感覚だけはあった。そして身体の中でナイフがゆっくりと進み、何度も向きを変えてマーヤーの肉体を切り取る。角砂糖よりも少しだけ大きな肉塊が採られ、身体から離れたとき、至高の喜びをマーヤーは感じた。

 おかしい。頭のどこかでそんな声がする。しかし、それはほんの一瞬のことだった。

 侯爵が、肉片を――マーヤーの身体を咀嚼している。その味わい、歯触りが伝わってくる。最高の美味。生きた身体から取り出された命の一部。それを味わう感覚。薬水のおかげでそれが共有できている。捧げる者も受け取る者も、共に至高の時を共有する。

 死ぬんだ。

 このまま、みんなに食べられて。

 そんな思いも怖れにはつながらない。

 命のすべてを捧げ尽くし、最後の時の訪れるのを乞い願う。

 あり得ないはずの、そんな思いをマーヤーは感じ、そしておそらくは侯爵も受け止めている。

 そんな快楽、至福の中に、意識を手放そうとしたときだった。

「そこまでです」

 部屋の中に冷たい声が響いたのだ。

 部屋の中にいた誰もがぎょっとして声のした方を振り返った。身体を動かせないまま、マーヤーもその声を聞き、急激に感情が冷めていくのを感じていた。

 相変わらず痛みはない。しかし、今置かれている状態がはっきりと把握できる。

 これは、おかしい。そう明瞭に意識できる。

 今までに起きたこと、そして今されていること。それをはっきりと自覚し、思考できる。

「誰だ!」

 激怒して侯爵が叫ぶのが聞こえる。

「起きなさい、マーヤー」

 声が呼びかけ、それを聞いた途端、マーヤーの身体に自由が戻ってくる。身体を起こして声のした方を見れば、そこには法衣を着た女性が立っていた。おそらくは聖職者――尼僧だろう。全身から、かすかに金色の光を放っているようにも見え、その手には、おそらく神の力を象徴するものであろうメダルがある。それを高々と掲げ、テーブルの周りの貴族達を睨み据えている。

 彼女はゆっくりとテーブルの方へと歩を進めた。それを見て、侯爵が、夫人が、そして貴族達が立ち上がり、後ずさりする。まるで見えない何かに押しのけられるように、彼等がテーブルから遠ざかり、部屋の隅へと追いやられていく。

 尼僧はまっすぐにテーブルの方へ近づいて来、マーヤーの身体に手を触れた。

「血は、それほど流れていませんね。太い血管は傷ついていないようです」

 そして、先ほど侯爵にナイフを刺された傷口に右手を触れた。

 暖かい。

 そうマーヤーが思ったとき、かすかな光が放たれ、次の瞬間、マーヤーの胸から傷が消えた。

「服を着てください」

 そう言われ、あらためて自分が何も身につけていないことに気がつく。

 テーブルから降り、言われたままに身なりを整え、アクセサリーを身につけると、尼僧はマーヤーの頬に右手を触れた。

「不注意でしたよ」

 幼子おさなごを叱るような言葉。責める意図は感じられなくて、むしろ悲しんでいるようでもある。それに彼女から感じる、身近で、どこか覚えのある雰囲気。これは、もしかして……。そう思ったとき、マーヤーは別の場所に移動していた。

「サラリューザ様?!」

 自分を呼ぶ声に振り返れば、びっくりして叫んだのはサンデューラだった。彼女のそばにはベルファデスやリックボランもいる。護衛の騎士達もだ。周りを見れば、ここがマーヤーの護衛達に割り当てられた客間であることがわかる。

「どうしたの、マーヤー?」

 部屋の隅から駆け寄ってきたフィシスを見て、マーヤーは安堵の息を吐いた。助かった――あの人が助けてくれたのだ、と。そう思って辺りを見渡すが、既にその人の姿はない。

 身体から力が抜けたようになり、弱々しい声がマーヤーの口から漏れる。

「もう少しで命を落とすところだったよ」

 マーヤーの言葉に、えっ! と護衛達が叫ぶ。

「それは……どういうことでしょう?」

 ベルファデスの質問に答える代わりに、マーヤーはサンデューラに言う。言葉が出るのと共に、力が戻っているのを感じる。

「すぐにここから離れなくちゃ。今すぐ、魔法で、全員をニースルミア城へ転移させて!」

「え、今すぐに、ですか」

 乗ってきた馬車や騎士達の馬。そういったものはどうします? そう聞かれ、マーヤーは首を振った。

「それどころじゃないよ、急いで!」

 自分が逃げたことを知ったジュドワイヤ侯爵が、フィシスや他の部下達を放っておくはずがない。すぐにここにも侯爵の手の者が来るに違いない。その前にここを離れなくてはならない。

「わ、わかりました」

 マーヤーの剣幕に押され、サンデューラは全員に彼女のそばに集まるように言った。そして、彼女の魔法で、マーヤー達はニースルミア城に帰還したのだった。

「一体、何があったの?」

 城のサロンに移動した後、そう聞いたのはフィシスだった。他の者達も、マーヤーの答を待っている。

「わたしは……」

 そう言いかけて、晩餐の記憶がよみがえってくる。薬水の効果が消えた今、あれは耐えられない思い出だ。吐き気がこみ上げてくるのをこらえ、言葉を絞り出す。

「人間を食べた」

「え!」

 フィシスの声が耳に突き刺さる。それを抑えこもうとするように言葉に力を込める。

「生きたままの、小さな女の子を、みんなで食べたの!」

 なんですと。そんなことが……? 口々に声が上がる。

「なぜ?」

 冷静なフィシスの声が、権威のあるもののようにベルファデス達を黙らせ、そしてマーヤーに次の言葉を言う力を与える。

「ジュドワイヤ侯爵は、奴隷を食用にしているの。食用に人間を飼っているの」

「食用!」

 信じられない。誰もが口々に言う。

 そしてマーヤーは自分の体験したことを、すべて話した。

 少女を食べ……食べるだけでなく、一噛みごとに至福を感じたこと、そして食べられる側になった者の感じる最大級の幸福についても、心を励ましながら、包まず語った。

「ところで……」

 話を聞いて誰もが押し黙ったとき、そう言ったのはリックボランだった。

「今、このようなことを口にするのは不躾かも知れませんが、サラリューザ様を救い出したというその尼僧、それは何者だったのでしょうか?」

 そう言われ、マーヤーも首をかしげる。あれは一体誰だったのだろう、と。

 法衣をまとい、神の力の象徴である聖印を持っていたのだから、聖職者には間違いない。だが、あのような尼僧に見覚えはない。しかし、あのとき感じた、どこか覚えのある雰囲気。懐かしいような、安堵するような優しい感覚。

 夢幻騎士団(イリュージョンナイツ)

 不意にその名が心の中に浮かび上がる。どうしてそう思ったのか、はわからない。騎士団は、マーヤーの命を奪おうとしたこともある集団なのだ。それに彼女が騎士団の一員という確証があるわけでもない。しかし、なぜかその思いを切り捨てることはできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ