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謎の尼僧(3)

 朝早く、知らないおじさんが家にやってきた。

 お父さんと何か話してた。

 その間、お母さんはずっとわたしを抱きしめてた。きついくらい、痛いくらいに。

 それから、お父さんが知らないおじさんと一緒にわたしの方へ来た。

 この子です、とお父さんが言って、お母さんが黙ってそっと頷いた。

 お父さんがそっとお母さんの肩に手を掛けて、お母さんがもう一度わたしを抱きしめた。それから、わたしを離した。

 行こうか、とおじさんが言ってわたしの方へ手を差し出した。

 行かなきゃいけないんだ。そうわかってた。だから、わたしは黙っておじさんの方へ行った。

 おじさんと手をつないで、家を出た。振り返ったら、お父さんもお母さんも後ろを向いてた。2人の肩が、なんだか揺れてるみたいだった。

 広い道に出たら、馬車が止まってた。おじさんに手を引かれてわたしは馬車に乗った。

 窓にはカーテンが降りていて外は見えなかった。

 馬車の座席はごとごと揺れて、お尻が痛くなった。お尻が痛くて我慢できなくなった頃、馬車が止まった。

 扉が開いた。外には真っ黒な服を着たおばさんがいて、わたしを抱き降ろしてくれた。

 おじさんが降りてこないから後ろを見たら、黙って手を振ってた。

 おばさんと手をつないで、わたしは大きなお城の中へ連れられていった。

 お城の中には、別のおばさん達がいた。おばさんの1人がはわたしを横抱きにして、廊下を歩いて行った。他のおばさん達も後から付いてきた。

 わたしは、裸にされて、お風呂に入れられた。

 お湯が、とってもいい匂いがして、まるでお花の匂いのようだった。

 頭も、首も、手も、おなかも、お尻も足も、ぜ~んぶ、体中石けんで泡だらけにされ、それからお湯を掛けてくれた。

 ぽかぽか暖まって、体中にお湯の匂いが染みついた。

 タオルで拭いてもらった後も、体からお花の匂いがしたままだった。

 これを飲みなさい、と言われてコップを渡された。

 中には、ちょっと変な匂いのするジュースが入ってた。

 飲んだら甘酸っぱくて、少しだけ変な香りがしたけど、おいしかった。

 それから、おばさんに抱かれて別の部屋へ連れて行かれた。

 大きなテーブルの上に、丸い大きなお皿が載ってた。

 おばさんがわたしを抱き上げた。

 お皿の真ん中にわたしを載せると、誰かが大きな丸い蓋をした。

 真っ暗で何も見えない。びっくりして手を伸ばそうとしたけど、手が動かない。

 え、なに? そう思って声を出そうとしたけど、声が出てこない。

 そのうちに、なんだか眠くなってきた。

 何にもわからなくなって、ぼんやりしてきた。

 でも……寝てない気がする。


 食卓に載せられた大皿。その上にあるものを見てマーヤーは息を吞んだ。

 皿の周囲には、きれいにカットされたフルーツや、薄切りのハム、新鮮な野菜が盛り付けられている。そして、その中央には、1人の少女――まだ小さな子供が横たわっている。

 フィシスよりも小さい、おそらくは4歳くらいだろう。大きな目を開き、表情の消えた顔を天井に向けたまま、ぴくりとも動かない。その全身からは花のようなかぐわしい匂いが漂ってくる。

 皿に載せられた幼女の姿を見て、集まった貴族達が、おお、と押し殺した声を上げる。

「ジュドワイヤ侯爵、これは一体どういうことでしょう?」

 思わず叫んだマーヤーに、侯爵は静かに微笑んで見せた。

「これが、今日のメインディッシュです」

 なんですって! 思わずマーヤーが立ち上がる。そんな彼女の様子に慌てたふうもなく、夫人が静かな声で言う。

「人間そっくりでしょう?」

 え? 夫人の言葉に一瞬あっけにとられ、そしてもう一度皿の上の少女に目を移す。

 人間そっくり。――つまり、人間のようだが人間ではないもの、そういうことなのだろうか?

「お座りなさい。びっくりするのは無理もありませんけれど」

 そう夫人に言われ、マーヤーはもう一度腰を下ろした。

 マーヤーの位置からは、少女の頭が左、足が右の方に向いていて、まだ手足の伸びきっていない身体全体が見渡せる。

 これが人間そっくり……人間ではないもの? 不思議に思いながら、マーヤーは少女の顔を、そして身体全体を見渡した。そして気付く。裸の胸がゆっくりと上下に波打っているのを。少女は息をしている。生きているのだ。

「これは……人間です! 生きています!」

 人間? 不思議そうに侯爵が聞き返す。

「アートラー伯爵、これは人間ではない。よく見てみたまえ。そう、その人間そっくりの目を……瞳の奥を」

 彼の言葉に、自然マーヤーの目は少女の瞳に向いた。その瞬間、めまいにも似た感覚がマーヤーを襲う。そしてまるで少女の目の中に吸い込まれるような感覚を覚え、一瞬気が遠くなった。

 気がつけば、マーヤーは全裸で横たわっていた。天井が見え、そこに輝くシャンデリアが、ここが晩餐の場であることを教えてくれる。

 身体は全く動かない。かろうじて目だけを左右に動かせば、テーブルの前に座るジュドワイヤ侯爵と彼の夫人、そしてマーヤー自身の姿も見えた。

 わたし……もしかして、食卓の上に載せられて……!

 自分の身体から立ち上る花のような匂いを嗅ぎ、マーヤーは、自分があの少女になっているのを知った。食卓の上の大皿に載せられた、メインディッシュの少女に。

 これはどういうこと? 混乱はすぐに去り、マーヤーの知性は自分の置かれた状況を分析していた。

 マーヤー自身の身体は、元のところに――テーブルの前の椅子にある。だから、食卓の上にあるのはマーヤーの身体ではない。あの少女の身体の中に、マーヤーの精神が閉じ込められているのだ。おそらくは、何かの魔法で。

 ジュドワイヤ侯爵が魔法を使う、とは聞いていない。また、覚えている限り、誰かが魔法を使った様子もない。では、これは少女の魔法なのか?

 人間ではない、と侯爵は言った。では、そのような――精神を交換する能力を持った怪物なのだろうか?

 いろいろな思いが浮かび上がり、考えを集中しようとマーヤーは目を閉じた。その瞬間、マーヤーの視界に、テーブルの上に載った少女の姿が映り込んできた。

 え? どういうこと?

 わたしは元の身体に戻っている?

 試しにそっと手を挙げてみる。意図したとおりに身体が動く。

 じゃ、あれはただの錯覚? 白昼夢?

 もう一度目を閉じると、また身体が動かない。目を開けば、天井のシャンデリアの光がまぶしい。マーヤーの精神は、またあの少女の中に閉じ込められている。

 一体何が起きているのだろう? 呆然となったマーヤーの、思考が一瞬途絶える。その時だった。別の誰かの心が――思いが感じられたのは。


 お皿にかぶせられてた蓋が取られた。

 天井にまぶしいものがある。キラキラしててきれいだけど、光が強すぎて目が開けていられない。

 周りに沢山の人がいる。

 わたしのことを見つめてる。

 その中の1人――お姉さんがわたしのことをじっと見てる。お姉さんと目が合った。

 その途端、わたしの中にもう1人の誰かが入ってきた。

 すごく慌ててる。お皿の上に載ってるとわかって、驚いて、怖がってるのがわかる。

 わたしもびっくりして、目をつぶった。

 そうしたら、わたしの中の誰かはいなくなった。

 元に戻った、と思ったら、またその人がわたしの中に入ってきた。

 で、今度はわたしも別のところにいた。

 椅子に座ってテーブルの上を見つめてる。

 テーブルの上には大きな銀のお皿があって、その上にわたしが……わたしの身体が載ってる。

 えっ、これってどういうこと?

 わからないよ!


 再びマーヤーは自分の身体に戻っていた。テーブルの上には少女の姿が見える。

 しかし、今度は同時に、少女の中にいる自分を感じていた。

 そして感じる、他の誰かの心。これは、あの少女のものだ。

 マーヤーは、少女の身体の中と、自分の身体の中にいて、少女と思いを共有していた。

 呆然とテーブルの上を見つめるマーヤーの姿を見て、ジュドワイヤ侯爵がにたり、と笑う。そして、人々に声を掛けた。

「諸君、食事を始めよう」

 その一言で、人々がカトラリーを手に取った。先のとがった、まるで剣のように研ぎ澄まされたナイフ。そして、先端が鋭くとがった4本歯のフォーク。マーヤー自身も、薄れた意識の中でそれらを手に取っていた。

「アートラー伯爵、まずは貴女からどうぞ」

 そう促され、マーヤーは少女の左腕にフォークを突き立て、ナイフを当てた。サク、と軽い音がして皮膚が裂けて肉が切られる。同時にナイフの差し込まれたところから鮮血が溢れ出す。

 その有様をマーヤーは自分の目で見、そして同時に少女の身体の中で感じていた。

 痛い! そう思ったのは錯覚だ。実際には何の痛みもなく、フォークを刺されたことも、腕を押さえられたことも感じない。マーヤーはもちろん、少女自身も。

 一口大に切り取った少女の肉を、マーヤーはゆっくりと口へ運んだ。

 かすかな甘みと酸味。臭みはない。暖かく、包み込まれるような歯触り。口の中で溶けて広がるような柔らかい肉。

 それを少女も感じているのがわかる。

 そして少女の思い――彼女の感じているものが伝わってくる。

 かすかな恐れ。食べられることへの本能的な抵抗。しかし、それを上回る大きな感情がある。それは、歓喜。かつて感じたことのないような喜び。その思いを共有し、マーヤーは怖れと驚愕に包まれた。

 少女の感じている歓喜と恍惚。それは、自分の命を誰かに捧げることへの喜びだ。

 自分の持つものすべてを他者に捧げ、誰かのために尽くすことのできるうれしさ。

 布施であり、喜捨であるそれは、彼女にとって至高の喜びだ。

 小さな子供で、誰かのために何かをする力を持たない者が、唯一できる奉仕が、すなわち自分の身を捧げ、誰かの食事となること。

 そうして誰かのために役立つこと。

 人のために尽くし、自分の価値を認識できること。

 そんな手段を――場を与えられたことへの感謝。

 同じ思いを共有したマーヤーも、また至高の喜びに包まれていた。

 また、最高の奉仕を受けたことへの感謝と、そして喜び。それもマーヤーは感じていた。

 何もできない少女がしてくれた精一杯の施し。

 何も持たない少女がすべてを――命を懸けて尽くそうとしている、その思い。

 それを捧げられたことへの感激。

 それは至上の幸福だ。

 そして、少女もそんなマーヤーの(よろこ)びを共有していた。

 一片の肉を味わうことで、少女もマーヤーも、最高の時を感じ、共有していた。

「ジュドワイヤ侯爵、これは……」

 マーヤーの表情を見た侯爵がにっこりと微笑んだ。

「左様、これこそが最高の馳走なのだ」

 マーヤーの次に少女の身体を口にしたのはジュドワイヤ侯爵だった。続いて夫人が少女の身体にナイフを入れる。そして、他の貴族達も順に少女の身体を味わっていく。誰かが少女の肉を口にするたび、少女の感激がマーヤーの心の中に入ってくる。

 そして、他の貴族達の顔を見てマーヤーは悟った。マーヤーが感じているのと同じ悦楽を、彼等もまた味わっているのだ、と。

 一口ごとに少女の身体から血が流れ、皿の上に溜まっていく。それは、失われていく少女の命の象徴だ。ゆっくりとした出血による緩慢な死。次第に少女の心がぼやけ、しかし歓喜だけは薄れることのないまま、食事は進んでいく。そして、誰もが何度も少女の身体を味わい、共有していた心が感じられなくなり、何の喜びも伝わってこなくなったところで、食事は終了し――それは同時に少女の死であった。

 少女の死を悟ったマーヤーは、急激に心が覚めていくのを感じていた。

 覚めた目で見れば、皿の上に載るのは、臓物と骨がむき出しになり、太い血管を避けながらいくつもの肉片を切り取られた身体。真っ赤な肉が見え、そこから血が染み出し、流れている。命を削り取られ、(マナス)さえも毟り取られた後の生命の残骸。

 食事の間は、ひたすら歓喜と感謝を貪っていたのだが、少女が死に、食事が終わったとき、それが偽りの幸福であったのだと気付かされ、そして底知れぬ恐怖が心の中に入り込んできた。

 今、わたしは人の命を食べた。

 人肉を食べたことへの忌避感ではない。

 そんな生やさしいものではない。

 他人の命そのものを奪ったのだ。そうと知りながら、心に覆い被さる幸福感に捕らわれ、命を奪った。命を奪われる側の気持ちさえ共有し、押しつけた歓喜で食べられる恐怖をごまかし、まやかしの至福を与えて。

 こみ上げてきた吐き気を、幻術の力を借りてなんとか押さえ、マーヤーはジュドワイヤ侯爵に尋ねた。

「あれは人間ではない。そう言われましたね」

「左様、人間ではない。あれは奴隷だ」

「奴隷!」

 びっくりしてマーヤーは叫んだ。奴隷であれば、人間だ。いくら侯爵領では奴隷が人間扱いされていないといっても、彼等が人間であることに変わりはない。

 マーヤーも薄々知っていたことだ。目の前に横たわる少女は人間である、と。

 しかし、少女の気持ちが入り込んできて、彼女が人間であるかどうかを問題にしようという気持ちが消え、至福のままに彼女を食べてしまったのだ。

「わたしは……」

 思わず立ち上がったマーヤーを診て、なだめるように侯爵が言う。

「気に病むことはないのだ、アートラー伯爵。あれは、元来、食用として育てられたものなのだから」

 牛や豚と同様に、人が食べるために生まれ、育てられ、そしてその役割を果たしたものだ。そう侯爵は言い放った。

 誰もが、飼育された家畜を食べる。他の命を食べることで自らの命をつないでいる。それは当たり前のことではないか。そう言って侯爵はにんまりと笑って見せたのだった。


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