謎の尼僧(2)
明日、わたしは死ぬんだ。
わかってる。お姉ちゃんやお兄ちゃんがいなくなったときもそうだったから。
昨日の朝ご飯から、パンも野菜も食べさせてもらえなくって、その代わり、野菜や果物のジュースだけがもらえた。
お父さんもお母さんも何も言わない。
でも、とても優しい。
わたしが何もしても怒らない。
食事の支度をしてるお母さんのエプロンを引っ張っても。
ジュースの入ったコップを落としたときも。
いつもなら、すごく怒られてぶたれるけれど、今日は、悲しそうに微笑むだけ。こぼれたジュースを拭いて、おかわりをくれた。
弟がジュースをほしがったけど、お母さんが、だめ! って言って弟の手を叩いた。
明日の朝、わたしはいなくなる。
去年、お姉ちゃんがいなくなったときもそうだった。
朝起きたとき、お姉ちゃんはいなかった。
お母さんに聞いたら、寂しそうに微笑んで、死んだのよ、とだけ言った。
だから、わたしも、明日死ぬ。
寝てるうちに死ぬんだろうか。
起きてから死ぬんだろうか。
死ぬ、ってどんなふうなんだろ。
小さいときから言われてた。
いつか、死ぬんだって。
偉い人のために、命を捧げて、死ぬんだって。
それはとても素晴らしいことで、小さなわたしが誰かのために、何かできること。
わたしが生きてる値打ちがあることなんだって。
よくわからない。
でも、わたしが死んで、誰かが喜ぶ。
わたしが死んだら、それは誰かのためになる。
喜ばれて、誰かのためになって死ねる。
それは素晴らしいことなんだよ、って何度も言われた。
それなら、わたしもうれしい……きっと。
怖いけど……うれしい。
マーヤーは、ジュドワイヤ侯爵の元を訪れていた。
ゼニーの魔法で、乗った馬車と、護衛の騎士達と一緒に転移して。
現れた場所は、ジュドワイヤ領の領都ミサラビユの城門の前だった。第一騎士団長のベルファデスが先触れとなって城門を守る兵士のところへ行き、アートラー伯爵一行であることを告げると、すぐに貴族用の大門が開かれ、マーヤー達はそこから領都内へと導かれた。
城門からリテブラード城までは、広いが、何度も曲がらなくてはならない道で、一直線に速度を上げて進むことができないようになっている。行き交う人々の目を集めながら、マーヤー達はゆっくりとメインストリートを城へ向かって進んでいった。途中の道には、目立たないが、何人もの兵士が配置されており、武器を構えて何かあったときに備えているのがわかる。まるで臨戦態勢のようだ、とは馬車に同乗しているサンデューラ――マーヤーの護衛に付いた魔法使いの言だ。
「臨戦態勢? 戦争中じゃないはずだよね」
バイロン伯爵とカイアン子爵の戦争には無関係なはず。そうマーヤーが言うのに、サンデューラが頷く。
「はい、そうですが、しかしこれは物々しすぎます。他領の領主が来るのがわかっていれば、それなりの警備を敷くのは理解できますが、これはいささか度を超しています」
ここは、余程治安の悪い街なんだろうか。そう呟いたマーヤーは、ゼニーの言っていた言葉を思い出す。
非合法な奴隷。
もしかして、この過剰なほどの警戒態勢は、それと何か関係があるのだろうか。
城へ着いたマーヤーは、案内に立った騎士に1人だけで連れられて、サロンへ案内された。フィシスや他の護衛達は広い客間に案内され、そこでマーヤーを待つこととなっていた。彼等は食事も宿泊も、そこと、続きの部屋で行うことになる。
「行っちゃったね、マーヤー」
いつもと変わらない、物怖じしない口調でフィシスが言う。
「護衛も付けずに、どんな人間ともわからない相手の元へ、か。肝が太いのか、それとも無謀なのか」
そう言ったのは、護衛として付いてきた1人、第二騎士団長のリックボランだ。
「サラリューザ様が優れた魔法の使い手であることは聞いているが、しかし、危機感が足りないのではないか」
そう言って彼がフィシスの方へ目を向ける。
「サラリューザ様は、いつもああなのか?」
フィシスはマーヤーと呼ぶが、アートラー領の家臣達は皆マーヤーのことをサラリューザの名で呼ぶ。それについては、互いに、あえて何も言わないというのが暗黙の了解となっていた。
そうだね、と笑いながらフィシスが言う。
「冒険者だったこともあるし、いろんな魔法を身につけてるから、ちょっとやそっとのことなら大丈夫だ、って思ってるね。自分でなんとかできる、って」
実際にそうだった。そうフィシスが言うと、サンデューラが不思議そうに言う。
「冒険者、と言っても、サラリューザ様1人ではなかったのでは? 多くの場合、冒険者という者は数人でパーティーを組んで行動するものでしょう。魔法使い1人だけで冒険、というのは無理ではありませんか」
「そこは、冒険を選べば大丈夫だからね」
1人でできないような冒険に首は突っ込まない。それなら大丈夫、と言われれば確かにその通りだ。サンデューラもそれ以上は言い返せない。もっとも、マーヤーが本当にそれを守っているかどうか、と言われれば疑問符が付くが。
「それに、……そうだね、いつも1人、っていうわけじゃなかったし」
「そうでしょう? なのに今回はお一人ではありませんか」
そんなサンデューラの言葉に疑問を呈したのはフランソワーズだった。
「しかし、晩餐会でございましょう? モンスターと戦うわけではないのでございますから。それほど心配するようなことはないのではございませんか」
彼女は、マーヤーの身の回りの世話をするために同行している侍者だ。武官でもなく、文官でもないただの世話役にすぎない。だから、護衛の騎士達は彼女の言葉を一蹴した。
「見ず知らずの人間には、どれほど警戒してもしすぎることはないものだ。むしろ、モンスターの方がまだ始末がいい。何をしかけてくるか、大体予想がつくからだ」
そう言ったのはベルファデスだった。彼の言葉に、サンデューラとリックボランもうなずき、他の護衛騎士達も同意する。
「ジュドワイヤ侯爵のこと、って、そんなに信用できない?」
しかし、逆にフィシスにそう尋ねられ、護衛達が答えに詰まる。はっきりした裏付けのあることではなかったから。一瞬の間があり、そして口を開いたのはベルファデスだった。
「シルシェ騎士爵夫人も言っていたことだ。侯爵には、とかく不穏な噂がついて回る、と」
そうだね、とフィシスが同意する。
「でも、マーヤーならきっとなんとかするよ」
そんなフィシスの言葉に、それ以上何かを言おうとするものはいなかった。今までマーヤーと一緒に旅をしてきて、誰よりもマーヤーの実力を知っている彼女だ。フィシス以上にマーヤーのことを知るものはいないのだから。
「ようこそ来られた、アートラー伯爵」
案内されたのは小サロンだった。そこには、既にジュドワイヤ侯爵夫妻と、十数人の貴族達が席についてマーヤーを待っていた。一番の上座には侯爵夫妻がおり、マーヤーはその前へと案内された。
「わしが、侯爵マルカス・グランス・ジュドワイヤ。これは妻のシャシャン・グランスだ」
「本日はお招きありがとうございます。伯爵サラリューザ・ゼルフィア・エフライサス・トゥリール・アートラーでございます」
スカートの裾をつまみ上げて優雅に腰を折ったマーヤーを見て、侯爵が満足そうに口角を上げる。
「アートラー伯爵、貴女の活躍は実に素晴らしい。エフライサスを侵略しようとしたサンタールファ侯爵をやり込めて彼の野望を食い止め、原初の石の花を見つけ出し、この島でもアートラー伯爵に化けたワースライムを退治し、さらにはベヨン伯爵と決闘して打ち破った。実に刮目すべき偉業と言うものだ」
指を折りながら、マーヤーの足跡を数え上げる侯爵に、少し困惑しながらもマーヤーは頭を下げた。
「過分な評価、誠に面映ゆいことにございます」
「何が過分なものであろう。貴女の業績は正当に評価されなくてはならん。にもかかわらず、貴女に敬意を示すどころか、却って牙を剥こうとする輩がいるなど、実に言語道断と言うべきだ。そして、そのような輩が貴女に敗れ、面目を失ったのはまさに理、起こるべくして起きたことと言えよう」
なんて大げさな。侯爵の言葉を聞きながら、マーヤ-は辟易していた。彼の数え上げたことのどれもが、マーヤーの思うよりも大仰に伝わっているのではないだろうか。マーヤーとしては、そのどれもが已むに已まれずにしたことで、誰かに認めてもらいたくてのことではないのだ。特にナルヌデュラックでの出来事は、先代のアートラー伯爵のしたことに巻き込まれての、いわば尻拭いのようなものなのだから。
「わしとしては、貴女のような優れた人物がナーデラックへ来てくれたことを。実に喜ばしく思っている。だから、何を措いても貴女の面識を得たかったのだ」
「もったいないお言葉です」
そう答えるマーヤーに、侯爵が大きく首を振る。
「そのような謙遜した物言いをするものではない。わしは……、いや、わしだけではない、この場にいるすべての者は貴女をナーデラックで最も優れた人物だと評価しているのだ」
侯爵の言葉に、居並ぶ者達が一斉に頷く。
「紹介しておこう。ここに集まっているのは、わしが面倒を見ている者達だ」
「面倒を?」
つまり、侯爵の息の掛かった者達。侯爵の意に従う者達ということだ。少し警戒してマーヤーは彼等の顔を見渡した。
「左様。わしが叙任して爵位を与えた者、壁に当たったときに救いを与えた者、わしの考えに賛同し、わしを師と仰ぐ者、そういった者達だ」
まあ、とマーヤーはことさらに声を上げた。
「これだけの方が、侯爵様に心服されているということですの?」
「そうだな」
にんまりと笑って侯爵が言う。その言葉に、彼等が一斉に頷いた。
なんだか、やな感じ……。いかにも自分を大きく見せようとしているのが見え透いている。紹介の仕方に、そんな印象を拭えない。夫人のときもそうだったが、今も紹介した貴族達に自分で名を名乗らせない。
ゼニーの言うように、距離を置いた方が良さそうな人だ。そう思わずにいられない。
そんなマーヤーの思いなど気づきもしないように侯爵が手を打ち鳴らして言う。
「さて、そろそろ時間だ。晩餐の用意が整っているだろう」
その言葉に、貴族達が立ち上がる。
「ついてくるがいい。晩餐の場へ案内しよう」
そう言って、夫人と共に先に立って歩き出した侯爵について、マーヤーも歩き始めた。
案内されたのは、中央に大きな円形のテーブルが置かれた広い部屋だった。周囲の壁は真っ白で、見るからに柔らかそうな素材で作られている。実際、手で触れてみればまるで真綿のような感触だ。純白の天井には、銀で作られた枠に、拳ほどの大きさの水晶をいくつも嵌め込んだシャンでアリアが輝いている。
テーブルの上には、人数分のカトラリーと何ものせられていない皿、それに分厚い透明な素材で作られたゴブレットが置かれている。部屋の一番奥の席に侯爵が座り、その右隣に夫人が掛けると、マーヤーは侯爵の左隣の席を勧められた。
全員が席に着くと、真っ黒な服を着た女性がボトルの入ったバスケットを持って入ってきた。首まである体にフィットした服で、上着も、その下に着たシャツも、ズボンも、靴下、靴に至るまですべて黒。顔以外は、まるで影法師が立ち上がったように見える。
彼女は、侯爵から始め、夫人に、そしてマーヤーのゴブレットに、無言でボトルの中身を注いでいった。少しとろみのある、暗赤色の液体。嗅いだことのない少し青臭い、しかし爽やかな香りが鼻をくすぐる。ハーブの匂いのようでもあり香辛料のようでもある。
全員のゴブレットに飲み物が用意されると、ゴブレットを手に、侯爵が立ち上がった。
「お集まりの諸君、恒例の晩餐会を催すにあたり、今宵は、かのアートラー伯爵に来臨頂くことができたことを紹介する。知っての通り、アートラー伯爵はゼルフィアの家系に連なる方であり、またかのスワレート・ワースレスの最後の弟子。この意味するところは、諸君も知っての通りである」
げ。
侯爵の言葉を聞いてマーヤーは居心地の悪さを感じていた。彼が言ったのは、つまりマーヤーがゼルフィア公爵の娘であるという、帝国貴族なら暗黙の了解としていることだ。何も、こんなところでそれを言わなくても……、と思うが既に語られてしまったことはどうしようもない。
「そして、彼女の偉大さは、その血筋だけではない。原初の石の花の発見は帝国史上に燦たる偉業であり、疫病に苦しむすべての者への福音である」
全員の目がマーヤーに集中する。平静を装い、にっこりと微笑んでみせるマーヤーだが、内心では早く終わってほしい、とそれだけを願っていた。
「そして、ワースライムとルベリンゴールのオーガーの野望をくじいた後、アートラー伯爵の地位を継いでからは、ベヨン伯爵と堂々と決闘し、卑劣なかの者を降したものである。まさに偉大な魔法の使い手、類いまれなる勇者と言うにふさわしい。そのような方と誼を結ぶことができたことは、我々にとって、この上ない誉れである」
そして、侯爵がゴブレットを高く上げる。
「乾杯しようではないか。この素晴らしい今日に」
そう彼が言うと、居並ぶ貴族達が唱和し、そしてゴブレットに口を付ける。
逡巡するマーヤーに、夫人がそっと声を掛ける。
「どうぞ、お召し上がりになって」
でも、わたし、お酒は……。そう小声でささやくと、夫人がそっと首を振る。
「お酒ではないのですよ。幾種類もの薬草の葉と花と、果実を搾った薬水です」
そう言われ、そっとゴブレットに口を付け、一口中身を舐めてみる。甘酸っぱい、そしてその中にかすかな香味のある独特の味。酒でないのは間違いないようだ。そう思って、マーヤーは薬水を飲み干した。
少しして、黒服の男達が、4人がかりで巨大な皿を運んできた。直径が1メートルを超える銀色の大皿で、半球形の、これも銀色の蓋がかぶせられている。彼等はそれをテーブルの中央に置くと、恭しくお辞儀をし、そして順に部屋を出て行く。最後に残った1人が蓋を取り、そしてそれを持って退出していく。
蓋の下から現れたものを見て、マーヤーは自分の目を疑い、そして息を吞んだ。




