謎の尼僧(1)
「ジュドワイヤ侯爵? ……誰、それ」
カルーセラの差し出した手紙を見ながら、マーヤーは首をかしげていた。
「ナーデラックの南部に領地を持つ、大貴族です。周辺の騎士爵や男爵の叙任を行い、その勢力はかなりの範囲に及んでいると聞いております」
「へえ……」
そう言われても知らない名だ。ジョルジュの説明に頷きながらも、怪訝な気持ちを抱きながら、封筒の中の手紙を取り出す。先に内容を確認していたカルーセラが、それを説明する。
「晩餐会への招待状です。我が君の伯爵就任を祝い、また、ベヨン伯爵との決闘に勝ったことを讃えて、宴を催したいとのことです」
「宴……」
なぜだろう。
今まで何の繋がりもなく、挨拶すら交わしたことのない相手。それが唐突に晩餐会への招待だなんて。
「もしかして……カイアン子爵の陣営に属する人?」
バイロン伯爵に勝ったことを讃える、と言う以上は彼の陣営に属する貴族ではあるまい。ならば、カイアン子爵の側か、と思ったのだが、ジョルジュは曖昧に首を振った。
「そういう話は聞いたことがありません。それに、ジュドワイヤ侯爵の領地は、ベヨン伯爵領ともセアン子爵領とも遠く離れています。ですから、どちらとも繋がりはないのではないか、と思われます」
「そんな人が……」
頬に指を当て、首をひねるマーヤーにカルーセラが言う。
「もしかして、我が君と誼を結びたい、ということなのでは? 我が君は本土に領地を持ち、ゼルフィア公爵閣下の一族で、しかも大スワレート様の弟子なのですから。繋がりを持ちたいと思う理由は十分にあると思います」
そうかもしれない、とマーヤーは言った。でも。
「それなら、いきなり呼びつけたりなんてするのかな? いくら上位貴族だからって、仲良くしたいと思うなら、まず自分から挨拶に来るんじゃない?」
「それがナルヌデュラック風なのではありませんか? アートラー伯爵も……あれはワースライムでしたが、でも、我が君を自分の城に呼んだのですよね?」
「そうだけど……、あれは魔法使いとしてのわたしを呼んだみたいだから、事情が違うよ。それに、ワースライムだし」
そうなのですね、とカルーセラが頷く。
「それで、我が君は、どうなさるおつもりでしょう?ジュドワイヤ侯爵の招待をお受けになりますか?」
そうね……、と少し考えたマーヤーだったが、ジョルジュの方へ顔を向ける。
「ジョルジュはどう思う? こういう場合、招待を受けるのが普通?」
「ジュドワイヤ侯爵は、自分の領地からあまり出ない方です。それに、自分の息の掛かった者以外の人を招いたこともないようです。ですから、サラリューザ様に招待状が届いたのは極めて異例のことと申せましょう。カルーセラの言うように、サラリューザ様が特別な方だからなのかもしれません」
そう言って小さく首を振る。
「そんな事情ですので、ジュドワイヤ侯爵の人となりについては、ほとんど情報がありません。先のことを考えれば、あまり悪い印象は与えたくありませんが……」
「行かないのは上策じゃなさそう、っていうことね?」
「はい。ですが、行った場合のリスクについても測りかねるところです」
それから、と彼は言葉を続けた。
「上位貴族が、下位の者を呼びつけるのは、それほど異例ではありません。自分の言うことを聞く意思があるかどうか、敵対の意思がないかどうかを測るためによく採られる方法ですね。無論、無理のない範囲で、ということになりますが」
「無理のない範囲……ね」
そう言って、マーヤーはジュドワイヤ侯爵の手紙を彼に見せた。
「7日後、ですか? ずいぶん急ですね」
ですが、と彼は言う。
「サラリューザ様が魔法使いであることを知っての上であれば、無理ではない、と考えているのかもしれません。侯爵は、サラリューザ様が転移の魔法を使えると思っているのでしょう」
え、とマーヤーが目を丸くする。
「わたし、転移の魔法なんて……」
「フィルカ子爵との戦いを知っていれば、そう思うのも無理ではないかと思いますが」
あのとき、フィルカ子爵は自分の居城に現れたマーヤーに、要求を突きつけられ、それを吞むことでアートラー領から手を引いたのだ。彼の前に現れたマーヤーは、実際には幻影だったのだが、フィルカ子爵自身はマーヤーが転移の魔法でやってきたのだと思っていても不思議はない。そして、彼の話を聞けば、マーヤーは転移の魔法を使えると考えるのは無理もないことだ。
「転移の魔法を使わなければ、7日後の晩餐会への出席は無理でしょうね」
ジュドワイヤ領までは、かなりの距離があります。そうジョルジュは言った。
「仕方ないね。おばさんに相談してみようか……」
そう言ってマーヤーはフィシスの方へ目を向けた。
「それしかないね。でも……行くの?」
行くよ。そう言ってマーヤーは頷いた。
「でも、フィシスは連れて行けないから」
「え?」
予想外の言葉に、フィシスが目を見開く。
「1人でおいでください、って書いてある」
1人、というのは、通常は護衛や同行する従者を数に入れないでの話だ。そういった者達はジュドワイヤ侯爵の前に出ることはできないから、実際に同行していても、客としては数えられない。
しかし、今回の招待は、マーヤーが転移の魔法を使えること、そして転移の魔法でやってくることを前提としている。従って、1人というのは、本当にマーヤー1人だけ、ということを意味する。そうマーヤーに言われ、フィシスが頬を膨らます。
「いえ、それは違うでしょう」
そう言ったのはジョルジュだ。
「転移の魔法では、一度に何人もが移動できるのではありませんか? でなければ、1人の供もつれず、護衛もなしで領地から出ることになってしましまいます。他領の貴族を招くのに、それは非常識な要求です」
ほら、とフィシスが咎めるような目をマーヤーに向ける。
「そうなの?」
もちろんです、とジョルジュが頷いた。
「だめだよ、フィシスはマーヤーと一緒なんだから」
ごめんごめん、とマーヤーが苦笑して舌を出す。
「でも、晩餐会には出られないからね?」
1人というのはそういうことだから。そう言われ、フィシスは口をとがらせながら頷いた。
「転移の魔法? ジュドワイヤ侯爵のところへ、ですって?」
どういうことなの? そう尋ねるゼニーに、マーヤーは招待状の内容を説明した。マーヤーが転移の魔法を使える前提で書かれているらしいこと。そして実際に転移の魔法を使わなければ、当日までにジュドワイヤ領へ行くのは無理であることを。超光速飛行の魔法なら、可能だが、それだと本当にマーヤー1人だけで――供も護衛も付けずに侯爵の元へ赴くことになる。アートラー伯爵として侯爵を訪問するのに、それは礼儀知らずだ。
「なるほどねえ。……でも、ジュドワイヤ侯爵、ねえ」
「何か知ってるの?」
「ええ、まあ……ねえ」
あんまり良い噂を聞かないのよねえ。そうゼニーは言った。
「外部とあまり付き合わないし、何か隠してそうだし」
「何か?」
「そう、何か、よ。それが何かはわからないけど、何か大きな声では言えないようなことをしてそうなのよねえ」
「良い噂を聞かない、ってことは、良くない噂は聞いてる、ってことだね?」
そうねえ。難しそうな顔でゼニーが頷く。
「奴隷商人と繋がりがあるとか、大量に奴隷を買い入れているとか」
「奴隷?」
「そう。それも非合法なやつね」
「非合法な、って……」
エストリューズ帝国では、奴隷制は公式な――合法的な社会制度となっている。自力で生活できない――十分な収入の得られない者が、自らを奴隷として売り、主人に仕えることで衣食住を保証され、その代わりに自由を失って主人の所有物となる。他に生きる術のないものに残された、最後の生存方法だ。また、それとは別に、犯罪者への刑罰として奴隷の身分に落とすこともある。これも、帝国の法によって定められた合法的な奴隷だ。
「非合法、って言うのは、本人の意思に関係なく、さらってきた人間を奴隷として売ることよ。何の咎もない、奴隷になるつもりもない人間を、無理矢理奴隷にするのが非合法、っていうことねえ」
それは……許せない。そう思ってマーヤーがゼニーに訊く。
「ジュドワイヤ侯爵は、非合法な奴隷を所有してる、ってこと? それとも、領内で非合法な奴隷売買を認めてる、ってことなの?」
さあねえ、とゼニーが首をかしげる。
「はっきりとした証拠があるわけじゃないのよねえ。だから、噂。良くない噂、っていうことなの」
だから、誰も咎める者はない。まして侯爵という地位にある者のすることだ。うっかり手を出して逆鱗に触れれば、どんな報復があるかわからない。そうゼニーは言った。
「そんな人間と、繋がりなんて持たない方が良い。そう思わない? そう思うでしょ? 思うわよねえ?」
確かにそうだ。ゼニーの言うことは一理ある。でも……。
「もし、わたしが招待を無視したら?」
「敵対の意思。そうまではいかなくとも、好意の拒絶、友好関係の拒否……おそらくは、そう見なされるでしょうねえ」
「だよね。それもまずいと思わない? 思うでしょ? 思うよね?」
ゼニーの口癖を真似て言うマーヤーに、ゼニーが、まあ! と声を上げる。
「確かにあんたの言うとおりだわねえ。あんまり露骨に拒否するのは良くないかしらん」
「だから、行ってみる。どうして、わたしを招待したか、訊いてみるよ」
それは……、とゼニーが口ごもる。
「行かなくたって、上手に断ればいいだけじゃない。何か口実を設けて」
「それで、もしまた同じような誘いが来たら? 何度でも使える手じゃないよね?」
確かにそうだ。そう言ってゼニーが渋々頷く。
「だから、お願い。わたしをジュドワイヤ領へ連れてって。侯爵のお城……リテブラード城まで」
転移の魔法で。そう言うマーヤーに、ゼニーが、ふぅ、と大きなため息を吐く。
「わかりましたよ。アートラー伯爵のご命令とあれば。でも、あたしは同行しませんからね?」
あくまでも、マーヤーとその側近を魔法で転移させるだけ。そうゼニーは言う。
「ジュドワイヤ侯爵と関わるようなことは、断固避けたい、って思っていますから」
「命令だなんて……」
心外そうにマーヤーが言う。ゼニーを下に見たつもりなんて、全然ないのに。そう言ってもゼニーは硬い表情と態度を改めない。
「そんなに嫌なのね、ジュドワイヤ侯爵」
そうですとも。低い声でゼニーはそう言った。




