情報屋1
教えられた石造りの建物には、看板が二つ出ていた。下の階には別の商売の名が書いてある。脇の細い戸口から、長年の間、靴で磨かれたであろう剥げた木の階段が二階へ続いていた。クレマンス・ルロワの名はどちらの看板にもない。
アルベルトが階段を見上げていると、踊り場から細い人影が降りてきた。灰色がかった金髪は耳の上まで短く刈り込まれ、襟足にも掛かっていない。灰色の上着に細いズボンを合わせ、煙草を吸っている。遠目には若い男に見えた。
「上に用?」
近づいてきた顔と声で、女だと分かった。三十代の前半くらいだろうか。頬も首も肉が薄く、襟元に覗く肌は白い。手袋をした手に抱えた革鞄は、古いが手入れが行き届いていた。
「クレマンス・ルロワだな」
クレマンスは聖痕を持たない。ルッソの仕事を取り次ぎ、狩猟者にも客がいる。獲物を仕留める腕を、別の仕事で買いたい者もいるのだろう。
女は階段を降りきると、アルベルトの制服を見た。それから後ろにいるニコルへ目を向ける。短い髪から露わな横顔は細く、二人を見比べても、口元は大して動かなかった。
「監察局のアルベルト・フォスターだ。聞きたいことがある」
「今から出るところなのよ」
「時間は取らせない」
クレマンスはアルベルトの顔を見て、少しだけ口元を緩めた。
「役人ってなんでみんなそれ言うの?」
ニコルの方へ視線をやったが、彼女は答えなかった。
「ここで話しても構わないが」
「上へどうぞ。お茶は出ないけど」
クレマンスは踵を返して階段を上がった。出かける用事をやめたのか、後へ回しただけかは分からない。そもそも出まかせだったのかもしれない。アルベルトはニコルを先に行かせ、そのあとへ続いた。
二階の部屋には小さな机と椅子があった。石の壁に煙草の匂いがこもり、深い窓の縁まで箱が並んでいる。窓際の棚にも、書類が入っているらしい箱があった。
クレマンスは鞄を自分の椅子の脇へ置き、机にあった紙を一枚裏返した。その動作を見せまいともしなければ、見せびらかす風でもなかった。
「そちらは?」
「同行者だ」
アルベルトが答えると、クレマンスはニコルの方を見たまま待った。
「ニコル・ハートです」
「お若いわね」
「まだ見習いでして」
クレマンスは、なるほどとも違うような顔をして椅子を勧めた。ニコルが座り、アルベルトもその隣へ腰を下ろす。クレマンスはニコルに狙いをつけたような視線を送った。今回は連れてこない方が良かったかもしれない。
「最近、この辺りで何か変わった話はないか。聖痕発現者に関わる仕事や、人を探している者について聞きたい」
「人探しね」
「詳しいと聞いた」
「人違いじゃない?」
アルベルトはすぐには答えなかった。相手が笑う。
「秘密主義なの? じゃあ世間話くらいしかできないわよ」
アルベルトは連続して起きている殺人について、聞き込みに必要な範囲を伝えた。被害者の名と、それぞれが普段いた場所。手口の細部や、局で比較している資料までは出さない。クレマンスは机の上で指を組み、黙って聞いていた。
「その話なら治安局でも聞かれたわ」
「何を答えた」
「向こうで聞けば?」
おそらくわかって煽っている。治安局と監察局の仲が悪いことは周知の事実だ。
アルベルトは膝の上に置いた手を動かしかけ、やめた。ここへ来る前から分かっていたことである。オリヴァーの言った通り、一筋縄ではいかない。相手はマフィアとのつながりを噂される仲介屋である。
切り口を変えることにした。
「情報を売っているそうだな」
「払ってくれるならね」
「監察局には売れないのか」
「そんなこと言ってないでしょう。役人の坊やは口の利き方も知らなければ物の買い方も知らないのね」
一々癪に障る言い方をする女である。
「治安局からは、もう代金を貰ったのですね」
ニコルが言った。クレマンスは一度アルベルトを見てから、彼女へ視線を戻した。
「知りたい?」
「いえ、特には」
「これ、あなたの上司なの? あなたからも言ってあげて。欲しいものがあったら値段を聞いて、お金を払うのよって」
「常識に疎いもので」
常識に疎いのはニコルの方だろう。クレマンスは薄い頬を動かし、口の端を釣り上げた。
「局の名前で値段を決めてるわけじゃないのよ。渡して困る話もあれば、困らない話もある。その辺りまで含めて、取引だから」
「危ない橋を渡っているのですね」
「今だってそうよ」
何でも金で買えるということではないらしい。そもそもルッソファミリーの構成員と噂される人間に、監察局員が心づけを渡すというのは非常にまずい。
「酒場の方には、よく顔を出すそうだな」
店の場所を伝えると、クレマンスは頷いた。
「あそこ、もうお店やってるの?」
「修理しながらな」
「景気がよくて結構ね」
マルコムの件は知っているということだろう。アルベルトは殺人事件の被害者が店を訪れた日を示した。
「その日に店にいたか」
「どうかしら。今すぐには分からないわ」
「調べれば分かるか?」
「たぶんね」
アルベルトは殺人事件の被害者の特徴を伝えた。名前だけで分かる相手とは限らない。クレマンスは最後まで聞いたが、その男について具体的な話はしなかった。
「見かけたことがある程度でよければ、誰だってあるかもしれないわよ。酒場なんだもの」
「誰かと話しているところは」
「どれかもわかってないんだけど」
思い出そうとする様子はあまり見せなかった。
「仕事を世話した者に、不満があったらしい。心当たりは」
「そんな人、大勢いるわ。名前はなんだっけ?」
アルベルトがもう一度名前を教えると、クレマンスは「聞いたこともないわね」とすげなく言った。
手応えはまるでない。本当に知らないのか、何か隠しているのか、それすら微塵も感じさせない。
「マルコム・フリンは知っているな」
「昨日、店を壊した男でしょう」
「その前からだ。ここで仕事を回していたんじゃないか」
「何度かはね。昨日の修理代まで私に回さないでよ」
「昨日も会う予定だったのか」
「何。それ私に関係ある?」
「待っていた相手を知りたい」
「本人に聞けば?」
「今は治安局でな。生憎、面会させてもらえそうもない。知り合いなら出来るんじゃないか」
クレマンスは椅子へ背を預けた。
「仕事を頼んだのは、いつからだ」
「あいつがこの辺でうろつき始めた頃からよ」
「どういった仕事だ」
「あなた、図々しいって言われない? こっちも慈善事業じゃないんだけど」
ニコルが、クレマンスの短い髪へ目を向けた。
「ドミニク・ヘイレル。名前に覚えはあるか」
クレマンスは同じ姿勢のまま、こちらを見た。わずかに反応が変わったように見えた。
「それ、聖痕持ち?」
「そうだ。二十代前半。髪は淡い金色で、青灰色の目をしている。背は俺より低い。服装は――」
登録情報にある特徴を順に伝える。特別目立つ傷などはない。街ですれ違っただけで覚えているとは限らないが、直接仕事をしたなら思い出せる程度の説明にはなる。
「ここしばらく姿が確認できなくなっている。仕事の仲介を頼みに来たことはないか」
「ないわね」
「人を紹介したことも?」
「知らない人だからね」




