乱暴者3
「この人は逃げたかったんでしょうか」と言いながらニコルは破壊された店内を見回した。
「そうだろうな」
アルベルトはマルコムを押さえたまま答えた。ニコルは壊れた窓と、開いたままの入口を見比べている。
「でも、そこまで来て止まりましたね。先に出ていった人は、そのまま逃げられたのに」
それはアルベルトも見ていた。あそこで走り続けられていれば、通りまで追いかけることになっていただろう。
「大して魔術の扱いが上手いわけじゃない。焦って狙いが外れることもある」
「二度目は、最初からあちらを向いていました」
ニコルが窓を見た。アルベルトはすぐには答えなかった。確かに、こちらを見失っていたという動きでもなかった。
「うちに何か恨みでもあるのかね」と店主が口を挟んだ。足元の瓶を拾い上げ、口が欠けているのを見てカウンターへ置く。
「壊すなら、そちらの方が見栄えが良さそうですが」
ニコルは店主の後ろに並ぶ酒瓶を見た。店主は顔を顰めたものの、箒を取りに行った。ニコルが窓の向こうへ顔を向ける。外の人だかりからも、こちらを見ているのが分かった。
「外から見えるからでは。壊したところ、入口と窓ですね。ここに入らなくても何かあったと、外から分かります」
一瞬マルコムが暴れようとしたが、再び力を加えると小さくうめき声を上げた。
アルベルトは床の男へ目を落とした。マルコムは顔を横へ向け、黙っている。
人目を引くために暴れる者はいる。しかしこの男が、わざわざ監察局の捜査官の前でそれをやるか。逃げる機会まで潰して。
「誰かに見せたかったのか?」
「とりあえず、わざわざ立ち止まったことの説明にはなるかと」
見せてどうするのか。誰に見せるのか。
アルベルトはマルコムのいた席を見た。飲みかけの酒が倒れたテーブルの下へこぼれている。先ほど立ち上がるまで、男は一人で座っていた。
「店主。この男は誰かと待ち合わせていたか」
マルコムが頭を動かした。アルベルトはその肩を押さえ直す。
「知りませんよ。注文しか聞いてませんから。勘弁してくださいよ」
「来てから誰かと話したか?」
「今日は誰とも。あんたたちが来る前から座ってましたけど」
待ち合わせという言葉に反応したようには見えた。それだけで決めるわけにはいかないが、聞いてみる価値はある。
「おい」
アルベルトがさらにマルコムの腕を捩じり上げる。男の体に力が入り、またわずかに呻いた。
「あの女とは誰だ」
「くたばれ」
膝の裏にこちらの膝を当てて、力を加える。マルコムの体がさらに硬直するが、口を割りそうには無かった。あまり手間をかけるのも億劫だ。
ようやく治安局の巡回が駆けつけたため、マルコムを引き渡した。聖痕反応を確かめたことと、店の被害を伝える。巡回の職員はアルベルトを一瞥すると、マルコムを連行した。詳しい調書は、互いの局を通して回すことになる。
アルベルトは服の埃を払った。ニコルは、割れた窓の向こうを見ている。
「さきほど口に出した女性に、知らせたかったのかもしれませんね」
「誰のことを言っていたかも分からん」
「はい。やはり中へ入ってほしくなかったのでしょうか」
マルコムは女の名を言わなかった。逃げる機会を捨ててまで窓を壊したのなら、その女が近くに来ていた可能性もある。
アルベルトは店主に、騒ぎの時に外を見ていたかと尋ねた。
「それどころじゃありませんでしたよ」
「それもそうだな。迷惑をかけた」
「本当ですよ。これきりにしてくださいよ」
店主からマルコムの普段の様子を聞くと、週に一度ほど来る客だという。昼に来ることも夜に来ることもあり、誰かと会う時もあるらしい。
あとから来た職員に店の被害を確認させ、アルベルトは聞き込みを続けた。
***
その後の聞き込みには、最初に予定していた以上の時間が掛かった。
店に残っていた客の一人は、今日と同じ曜日にマルコムを何度か見ていた。昼食を取りに来ると大抵もう座っているので、覚えているという。誰かと一緒の時もあれば、そうでない時もあるらしい。
アルベルトは相手が覚えている限りの特徴を聞いたが、マルコムが口走った女を特定できる返事はなかった。向かいの店でも話を聞いたが、マルコムのことは認識したものの、それ以上の情報は得られなかった。
改めて酒場へ戻り、例の殺人事件の被害者についても尋ねた。店主は誰と会っていたか思い出せなかったが、いつも大酒を飲むわけではなく、一杯で席を立つことが多かったという。
アルベルトは窓の近くの席へ立ってみた。今は窓がないので、通りは先ほどよりよく見える。こちらへ来る者を待つにも、外の様子を窺うにも都合がいい場所だった。
「まだ何かあります?」
店主が聞いた。アルベルトはメモを畳みかけて、やめた。
「被害者が来ていた時に、ほかに店で働いていた者にも話を聞きたい。いつ会える」
名前と時間を書き足した。マルコムは別件だ。それはわかっているが、口走った女が誰なのかは確かめる必要がある。被害者もここで誰かと会っていたのなら、その相手は。元の事件とは無関係かもしれない。しかし無視してはいけない気がする。
ようやく酒場を離れた頃には、午後も大分過ぎていた。
「疲れたか」
「少し。にしても殺人事件はすごいですね。今日は驚きました」
「マルコムのことなら事件とは関係ないが」
「引き寄せる何かがあるのでは」
何だそれは、と言うアルベルトを後目に、ニコルは微笑んだ。感情表現は少ないが、面白いと感じると笑顔にはなるらしい。
局へ戻って書類を書くことになる。昨日に続いて、机に向かう時間が後ろへずれ込んだ。もっとも、今日は白紙にはならない。
「なぜ最初から逃走じゃないと思った」
ニコルがこちらを見た。
「逃走じゃない、と思っていたわけではありません」
「逃げたかったのかと聞いただろう」
「それなら途中で止まらなくてよかったので。妙でした」
道の先を荷馬車が横切った。アルベルトは足を止め、通り過ぎるのを待った。ニコルも隣で止まる。
「アルベルト」
「なんだ」
「いえ、一応お呼びしてみただけです」
「なぜ」
「呼び慣れないもので、試しに」
ニコルは咳ばらいをした。
「アルベルトを押しのけるためなら、二度目もそちらへ放つのが自然です。店を壊したいなら、あえて外に向けて打つ必要もありませんし。そうなると彼の行動には余計な動作がありました」
「余計、か」
「わざわざ入口の前で止まって、窓の方を向き、なおかつ魔力を放つ必要はなかったはずです。何かのパフォーマンスのように見えました」
あの時アルベルトが考えたのは、マルコムが窓を破壊してそちらから逃げるつもりだろう、ということだった。そこで立ち止まったのは、こちらにとって都合のいい失敗でしかなかったわけだが、ニコルはその失敗の方が気になったらしい。
「人間はいつも目的通りに動くわけじゃない。ああいう時は尚更だ。その女が誰なのかも、まだ確認できていない」
「では、その人を見つけてからですね」
「マルコムが吐けば早いが、治安局は情報を回してこないだろうな」
「関係が悪いのですか」
「どこもそんなもんだ」
「どこも、とは」
「長くなる。追々話す」
ニコルはそれ以上聞かなかった。がっかりした様子もない。アルベルトが歩き出すと、そのままついてきた。
頭の切れる女だとは思う。こちらが当たり前と思って飛ばしたことを、その都度聞いてくる。質問の多さには面食らうが、マルコムが入口で止まったことも、彼女に言われるまで気にしていなかった。
とにかく、もう一度ここへ来る理由ができた。
「明日も外に出る。今日の続きを調べる」
ニコルが少し遅れてこちらを見上げた。
「私もですか?」
「書類仕事を学ぶのはまた今度だ。しばらくは現場に出ることになる」
「楽しみです」
好奇心旺盛なのは吉と出るか凶と出るか。




