乱暴者2
ニコルはまだ食事を終えていなかった。口の中のものを飲み込んでから頷く。
「何を調べるんですか」
「殺人事件に関する聞き込みだ。似た手口の事件が続いている。その被害者の一人が、生前に立ち寄った酒場がある」
「殺人事件」
彼女の声がこれまでよりは弾んだような気がした。少なくとも慄いてはいない。ぶるぶると震えているよりは適性がありそうだ。
メモをしまい、大通りから一本外れる。
酒場の扉を開けると、奥から男が顔を上げた。カウンターの中で酒瓶を並べていたらしい。準備中というわけではないが、昼の客はまばらである。よく見れば食事をしている者もいる。
アルベルトはニコルへ入口寄りの壁際を示し、カウンターへ向かった。
「監察局の者だ。少し話を聞きたい」
店主は制服を見て、並べかけた瓶を置いた。愛想が良いというわけではないが、露骨に嫌な顔をすることもない。アルベルトは、二件のうち先に殺された男の名前と、店へ来たとされる日を伝えた。
「ああ、その人なら来ましたよ。亡くなったって聞きましたけど」
「その日の様子を覚えているか」
「様子って言われても。酒を飲んで帰っただけだと思いますが」
店主はカウンターに手をついた。
「飲んだのも一杯くらいですよ。そんなに長くはいなかった」
「一人だったか?」
「来た時は。誰かと喋っていたかまでは、ちょっと」
アルベルトは店内へ目を向けた。テーブルの間には十分に隙間があり、ここからなら客の出入りも見える。しかし夜に席が埋まれば、一人一人を覚えていられるとは限らない。
アルベルトがその日に働いていた者について尋ねかけると、店の奥で椅子を引く音がした。
立ち上がった男と目が合った。
「……マルコム・フリン」
短い焦げ茶色の髪に、濃い眉。二十代後半のがっしりした男で、テーブルについた右手の甲には古い火傷の跡がある。マルコム・フリン。ルッソファミリーの仕事を受けている男だ。怪しい荷運びや揉め事で、アルベルトも面識のある聖痕発現者だった。
「何しに来た」とマルコム。
「今日はお前に用はない。座っていろ」
マルコムは座らなかった。テーブルから手を離し、入口の方へ目をやる。
アルベルトは身振りでニコルに距離を取らせた。
「誰に聞いたんだ」
「お前に用は無いと言っただろう」
「じゃあ、あの女を捕まえに来たのか」
アルベルトは眉を顰めた。
「誰のことだ」
マルコムは口をつぐみ、窓の外へ目をやった。
アルベルトはカウンターから離れた。何を勘違いしているのか知らないが、これ以上の面倒ごとはごめんだ。小物に関わっている暇はない。しかしアルベルトの願いは虚しく、マルコムの魔力反応が強まった。肩から腕にかけて、薄い白い光が立ち上る。聖痕の力を取り込んだ時の光だった。
「やめておけ」
言い終わるより早く、テーブルが跳ねた。
大きな衝撃とともに、椅子と食器がこちらへ飛んできた。アルベルトは正面に障壁を張った。青い光には薄い紋様が浮かび、飛来物を受け止めた。皿が目の前で砕け、椅子が弾かれて床へ落ちる。店主が声を上げてカウンターの下へ潜った。
「伏せていろ!」
ニコルは既に壁際へ身を寄せ、頭を低くしていたが、こちらから目を逸らしてはいなかった。
マルコムが入口へ走る。アルベルトは倒れたテーブルを回り込んだ。客の一人が扉を押し開け、通りへ転がるように逃げていく。
入口は開いていた。しかしマルコムはその手前で足を止めた。
右腕が窓の方へ振られ、魔力が放たれた。
二度目の衝撃が店の正面を叩いた。窓枠が割れ、硝子が通りへ飛び散る。開いていた扉まで外へ大きく跳ね、壁にぶつかった。外から悲鳴が上がった。
アルベルトの方へ来たのは、砕けた木片だけだった。障壁でそれを防ぎながら、マルコムとの距離を詰める。
マルコムがこちらを振り向いた時には、もう手が届いた。
右腕を掴み、背中へ捻り上げる。踏ん張ろうとした脚を払い、床へ押し伏せた。男の口から潰れた声が出る。アルベルトは膝で背を押さえ、腰の拘束具を外した。
マルコムの魔力反応は急速に減衰し、白い光も消えた。戦意はもうないらしい。酔っている風でもないが、力の使いどころを間違えている。
「動くな。次は腕が折れるぞ」
もう片方の手を取るのには少し手間取ったが、両手を背中で留め、手錠をかけると、マルコムは完全に大人しくなった。この手錠はただ腕を拘束するだけではない。魔力を散逸させる道具なのである。
窓の外には人が集まり始めていた。さっきまで暗かった店内へ、妙に明るく日が差し込んでいる。
「怪我人は」
店主がカウンターから顔を出した。残っていた客も、互いに顔を見合わせている。今のところ立てないほどの怪我をした者はいないらしい。
アルベルトは入口から覗いていた男に声を掛け、近くの巡回へ知らせるよう頼んだ。場所と、聖痕発現者を拘束していることを繰り返させてから走らせる。
「手間かけさせやがって。こっちは忙しいんだが」
床のマルコムへ言ったが、返事はなかった。抵抗して逃げようとした結果、自分から拘束される理由を作ったわけである。こちらも仕事が増えた。店主は割れた窓を見ていた。修理代について聞かれるのも時間の問題だろう。
「アルベルトさん」
「アルベルトでいい、と言ったはずだが」
ニコルが壁際から顔を向けていた。立ち上がってはいるが、まだ近くへ来ようとはしない。
「怪我はないか」
「はい。窓の辺りにも、聖痕由来の気配が残っています」
「俺が出した障壁にも感じたか」
「いえ。青い光は見えましたが」
書類にあった通りだった。魔術を使えず、通常の魔力も分からないが、聖痕由来の気配だけは確かめられる。




