内勤2
執務室に戻ると、イングリッドは外回りの費用を申請した書類を見せてくれた。数字の扱いに身構えていたが、困ったのは手書きの文字だった。
「これは何でしょう」
「油、かな」
「何に使うのでしょう」
「さあね。大きな金額じゃなければ現場判断でだいたい通るわよ」
そう言われれば油に見える。イングリッドは書いた局員の名を見るなり、またこの人、と言った。文字を読むのにも、誰が書いたかという情報が役立つようだった。勘と慣れ、とはイングリッドの弁である。
続いて、届出を受け取った時の記録の仕方、変更の承認を待っている書類の置き場所、担当が外に出ている時の取り次ぎを教わった。
ニコルが一つ覚える間に、人が来たり、別の部屋から呼ばれたりする。イングリッドは話の途中でも用件を聞き、戻ってくると同じところから説明を続けた。
ニコルは教わったことをメモしていたが、途中から、それをいつ使うのかも添えることにした。どの業務とどのメモが対応するのかわからなくなりそうだ。
「これを全部覚えるのは、骨が折れますね」
「最初はそんなもんよ。いつまであんたが内勤するのか知らないけど、私のところに来たからには一人前にするから」
「勘よりも経験ですか」
「勘っていうのは経験と運のことなの」
「そうなのですか」
「常識よ。はい、ここ間違ってる」と言ってイングリッドはニコルの書いた部分を指摘した。
一通り説明を受けた頃には、窓の外を歩く人も朝とは違っていた。荷物を抱えた者が多い。ニコルは少し立って通りを眺め、それから席へ戻った。椅子から離れるだけでも、ずいぶん楽だった。
廊下から、書類が届いたことを知らせる声が聞こえた。大きな革鞄を肩に掛けた伝令が、受付で監察局宛ての束を渡していた。引き換えに、局から出す書類を受け取っている。鞄の中には、まだいくつも束が残っていた。
「そういえば、あの方たちは」
「市内の役所や治安局を順に回るの。この街ではそうなってる。届けて、そっちで預かってる分を受け取って、次へ行くの。うちにも日に何度か来るわ」
「たとえば、今から返事を書けば、今日中に届きますか」
「うーん。次の便と、相手のところを回る順番によるわね。急ぎなら別に人を出して直接届けるかな」
「なるほど」
事件の推理に役立ちそうな情報だ。局に戻ったときにイングリッドがアルベルトの報告を受け取っていたのは、この仕組みを利用していたのである。田舎の修道院では全く不要なシステムだった。
再び照会業務を続けていると、また失踪者の記録が残っていた。こちらはまだ見つかっていない。元の職場から届いた返事には、尋ねられた名前に心当たりはない、とある。
前の報告を辿ると、狩猟協会にいた男だった。失踪したのは、織物工場の女性よりずっと前である。住んでいた家にも、その次に働いた場所にもいない。
それでも照会は続いていた。以前の仲間へ、協会を通して請け負った仕事先へと、問い合わせる相手が増えている。
「この方は、まだ捜しているのですね。随分前からの記録ですが」
「どれ?」
イングリッドが名前を見た。
「ああ、これ系ね。狩猟協会の会員なんだけど、だいたい継続して調べるように指示が出てる」
「何か特別な事情が」
「どこかに書いてあるかもしれないわね。ない時もある」
「危険な方なのでしょうか。何か事件に関わっていて、捜し続けなければならないとか」
「そういうこと考えるのはうちの仕事じゃないの。普段はいちいち時間使わないでよ。でも今日は特別に見てあげる。技能の記録はある?」
荷を浮かせて運ぶ、とあった。実際は魔術で物を自在に動かせるということなのだろう。狩猟の仕事をした記録はない。運搬の仕事ばかりだった。
「協会にいても、狩猟をしないのですか」
「関係する仕事が色々あるからね。まあでもこれだけだと危ないやつって感じはないかな。昔の資料に何か書いてない?」
ニコルは頷いた。狩猟協会員と言えば、獲物を撃つ者を想像していた。これでは、傷の形から捜している相手には当てはまりそうにない。
「同じ指示が出ている方は、ほかにもいますか」
「元狩猟協会の会員ってことなら、そこの一覧を見て。記録は棚にあるけど」
「読んでもよいですか」
「今日の確認が済んだらね」
ニコルは残りの書類を確かめた。届いた返事と以前の報告を混同しかけて、日付を見直すことが何度かあった。イングリッドに確認してもらい、終わってから棚へ向かった。
別の元会員にも、同じ継続指示があった。こちらは護衛の仕事をしていたが、ある日を境に失踪したとある。時期も担当も違う。さらにもう一人の記録を開くと、やはり照会が続いていた。
「どなたが出した指示ですか」
「支局長。まとめて確認したみたいね。この時期の会員はたくさん継続追跡になってるの。理由は知らないけど」
「イングリッドさんはこういうの、気になりませんか」
ブロンドヘアをかき上げながら、イングリッドが呆れた顔で言った。
「あのね、私たちは日々忙しいのよ。何でもかんでも首突っ込んでたら仕事が終わらないの。納得いかないって顔してるわね。あんたの性格だいぶわかってきたな」
ニコルは三人分の調査継続指示の日付を確かめた。いずれも、最初の殺人が起きるより前だった。昨夜、オリヴァーが言っていた、追跡の続いている元狩猟協会員とは、この人たちのことだろう。少なくとも、今回の殺人をきっかけに捜し始めたわけではない。
魔術に関しても、狩猟魔術を使う者が二人含まれているものの、先ほど見たように一人は主に荷運びを担当していたとある。事件と直接関係はないのかもしれない。
では、それ以前に、何を理由に捜し続けると決めたのだろう。
ニコルは午前中の織物工場の女性の記録を読み直した。職場にも住まいにも本人はおらず、最後は追加の情報を待つ、とある。
協会とは関わりのない、別の失踪者の記録も見せてもらった。こちらも照会先から返事が来た後、新たな問い合わせは出ていない。これは実質的に、積極的な調査はこれ以上行わないということだろう。
一方で、元狩猟者の三人には、その後も別の仕事先や以前の仲間への照会が続いていた。
「狩猟者の失踪者については、さらに調べる先を増やす指示が出ています」
「そうみたいね」
「協会にいた方は、皆そうするのですか」
「うーん。まあみんなじゃないんじゃない? でもこれだけまとめて出てるのはあまり覚えがないかな」
目についた範囲で関連付けられるが、協会にいたことが理由なのか、この三人に特別な事情があったのかは分からない。
「この三人を選んだ理由は、どこで確かめられますか」
「今読んでるのは担当の控えだから、まず元の指示に当たらないとね。最後は指示を出した支局長に聞くしかないかな。覚えてたらいいけど、あの人も忙しいからねえ」
「そちらも見たいのですが」
「今日はもう遅いから、明日ね。原本の番号は控えておいて」
ニコルは三人の名前と継続指示の日付、原本の番号を書き留めた。比較した二人の記録の番号も添えた。
イングリッドに原本の番号を確かめてもらっていると、連絡便が入った。アルベルトの使いらしい。途中の店で頼まれ、ここへまっすぐ来たという。届け先を確かめると、一通だけ渡して帰っていった。
「あの方も、巡回の伝令ですか」
「今のは別。速達便ね。別料金だからなるべく使わないで欲しいんだけどあいつはしょっちゅう使ってる。ま、次の便を待たずに知らせたかったんでしょ」
イングリッドは書面を読んで、首をひねった。
「マルコムって誰だっけ」




