内勤1
襲撃の翌朝、ニコルは局の自分の席についていた。
今日からしばらく、イングリッドについて内勤を覚えることに決まった。ひとまず、何をすればよいかわからない。椅子の腰かけ方でさえしっくりこない。
イングリッドが資料の山を抱えてやってきた。共同で使われている執務室のデスクにどさりと置くと、何枚かが広がった。
部屋には大きなデスクがいくつか並んでおり、二人ずつ向かい合って座っても余裕がある。その片側に、ニコルとイングリッドは並んで座った。この並びの方が手順を教えやすいそうだ。
「何から始めますか」
「そうねえ。返事が来たものを、元の照会と合わせるところからかな。まずこれ。名前が同じでも、番号まで見てね」
住所を確かめてほしいという問い合わせに、転居先が記された返事が来ていた。ニコルが登録を探すと、古い住所が残っている。
「ここを直せばよいのですか」
「直さない直さない。直す人に回すの。あんたが今書くのは、いつ、どこから返事が来たか。直す場合は承認がいるから」
「なるほど。では書類の整理が主な業務ですか」
「これは手始め。その顔、あんた事務作業嫌いそうね」
「いえ、嫌というほどでは」
「その顔でよく言うわね」
そんなに嫌そうな顔をしているだろうか。確かに細かい書類仕事は苦手な気がしないでもない。考えることがあればまだよいが、機械的に繰り返すのはちょっと辛そうだ。座り慣れない椅子を相手にして、早くもお尻が痛くなってきていた。
「これは、返事を待つ方でしょうか」
「えーと。それは返事は来てるわね」
「こちらは」
「元の記録を見て。ほかにも照会が出てるはず」
「書類ごとに案外解決策が違うのですね」
「勘よ、勘。そのうち慣れるから」
イングリッドは説明しながらもてきぱきと作業を進めた。書類に顔を近づけると、肩に流した髪の柔らかい毛先が袖に触れる。書類の訂正は出来ないが、メモをつけてそこに申し送りを書き込んでいく。ニコルは何を書けばよいかわからないので真似することもできない。
ニコルはある書類の日付を遡った。職場、住んでいた家、親類などの情報が並び、それぞれに回答が添えられている。最後の欄に、追加の情報を待つ、とあった。
織物工場で働いていた女性らしい。聖痕が現れてから配置が変わり、それから二年勤めた。六週間前、次の勤務に現れなくなったそうだ。部屋にも戻っていない。
「妹さんにも、知らせなかったのですね」
「失踪? まあそれなりにいるのよね」
妹が何も知らないのか、知っていて答えないのか。今のニコルに判断できることではなかった。
本人の持ち物については、服が幾つかなくなったとある。全て持っていったわけではない。家主は、近くへ出かけただけだと思っていたらしい。ドミニクの件と似ている。
「この方は、今は捜していないのですか」
「どうかしらね。調べればわかるけど、わかっても私たちの仕事は減らないから」
「役割分担、なのですね」
「まあもう探してないんじゃない。それはいいからこっち見て」
次は製材所の男で、こちらも失踪かと思ったがこれは勘違いだったことが付記されていた。
その次は、また失踪らしかった。しょっちゅうあるのかと思ったが、日付をみるとかなり時間が経っている。何かしらの更新があり、それのチェックという名目で書類が来たらしい。
「そういうのは更新内容と昔の情報に矛盾がないか、ここでチェック入れるの。滅多にないからささっと済ませちゃって」
「そんなに珍しくないんですか。いなくなる方は」
「珍しくないこともない、って感じかな」
なんともすっきりしない言い回しである。
「勝手に辞めたと分かったら、捕まるんですよね」
「場合によるけどね。悪質ならすぐに牢屋行き。監察局が間に入って調整することもあるわ。というか、監察局ってそういう仕事なんだけどね。あんたは最初からアルベルトに連れていかれたからまだわかってないだろうけど」
「アルベルトもイングリッドに仕事を教わったと」
イングリッドはすぐに答えなかった。向こうの机から呼ばれ、先にそちらの書面を確かめた。ニコルは製材所の男の頁を閉じずに待った。
「教えたっていうか。あいつ、やる気なかったから叱り飛ばしてたわ」
戻ってきた彼女はそう言った。
「やる気がないようには見えませんが」
「内勤が嫌なんでしょ。一年くらいはここにいて、まあそれでも途中から真面目には働いてたわよ。それから二年も始まってすぐかな。オリヴァーさんが現場に連れてったの。それから私のこと便利に使ってるってわけ」
「感謝してると思いますよ。イングリッドに」
「どうだか」と言ってイングリッドは顔を綻ばせた。
失踪者。ニコルもふらりと田舎に向けて旅に出れば、そう呼ばれるかもしれない。もしそのまま修道院に戻れば、毎朝同じ廊下を歩き、礼拝の後には本を読む。庭の向こうには小さな村がある。
戻ったら、孤児院にやってくる子供の世話をするだろう。本棚の本はほとんど読んでしまったから、自分の時間があっても手持ち無沙汰になりそうだ。新しい本が増えていればいい。だがそれは滅多にないことも知っている。
「お昼はいつですか」
「もうそんな時間?」
「まだです。どこまで見れるかと」
「あんた、意外と休まないのね。まあ丁度いいし、ちょっと早いけどお昼にしましょうか」
イングリッドが笑った。何が丁度良いかはよくわからなかった。
昼は、イングリッドと局の食堂へ行った。朝の執務室では見なかった顔も多い。イングリッドは別の部屋で働く局員にも声を掛けていた。
今日の昼食は、豆と小さく切った肉を煮たものにパンだった。肉より豆の方がずっと多い。食事をしながら、イングリッドは簡単に午後の予定を教えてくれた。
「午後は経費の扱い教えるから」
「照会だけではないのですか」
「何言ってんの。あれは業務のうちの一つよ。他にも、届出の受付、登録変更の確認、仕事先から来る苦情の取り次ぎ。備品の注文もあるし、外に出る人の予定もまとめる。机に座ってれば、何かしら来るわよ」
「そんなに……現場の方が楽そうです」
「昨日みたいなことがあったのに、そう言えるなら外の方が向いてるかもね。でもあんた魔術からっきしなんでしょ?」
「はい。何もできません」
イングリッドが口を手で覆いながら笑った。
「はっきり言うのね」
「事実ですので」
イングリッドは食べるのが速かった。話している間に皿が空になっている。ニコルが残りを見ていると、まだ待てるから急がなくていい、と言った。
アルベルト含む、現場担当が昼食にわざわざ戻ってくるようなことは基本的にないらしい。調査はどこまで進んだのだろう。ディランという男のところへ行くと聞いていたが、その先は知らない。帰ってきたら聞けばよい。午後はまだ、経費の扱いが待っていた。




