狩猟者2
顔を上げたところで、肩に大きな手が掛かった。
「お前、知ってたのか」
「……今日はいきなり打ってこなくて助かった」
マルコムだった。器物損壊だったが、監察局員への暴力行為は問わなかった。アルベルトには大したことではなかったし、下らない話でルッソファミリーと関りを持ちたくはない、という腹積もりもあった。
アルベルトは男の手首を払った。先日の酒場より、目の下の色が濃い。酒の匂いはしなかった。正気でも絡んでは来るらしいが、いきなり襲い掛かってこなかっただけましである。
「もう出てたのか」
「姐さんのことだよ」
「クレマンスか」
マルコムは体格の良いアルベルトよりもさらに大柄だった。縦も幅もある。純粋な力比べでは分が悪そうだった。
マルコムがアルベルトの胸元を掴んだ。右手の甲には古い火傷の跡がある。通りを歩いていた女が、子供の手を引いて道の向こうへ渡っていく。アルベルトは男の肘を押し下げようとしたが、力が強い。
「離せ。話は聞いてやる」
「あの店へ来ただろ。それから姐さんのところにも行った。何をした」
「失踪者について聞いた」
「それで死んだのか?」
「その男は見つかった。クレマンスが殺されたのは、その後だ。関係はないだろう」
「嘘をつくな。ビアンキーニに情報を売ったのはお前か?」
「頭でもおかしくなったんじゃないか、マルコム。俺がビアンキーニ側の人間ならまだお前は治安局で臭い飯を食ってるだろうな」
マルコムが鼻息荒く、さらに顔を近づけてきた。手を振りほどけばまた殴りかかってきそうだ。この場で障壁を広げて弾き飛ばすか? しかし刺激すればますます暴れて、また捕り物になりそうだ。アルベルトは足を引かず、男を見返した。
「それで、ビアンキーニがどうした」
「しらばっくれるな。姐さんが言ってた。向こうには、役所の話を持ってくるやつがいるって。お前なんじゃないのか」
それは筋の通った仮説と言える。もしアルベルトが内通者だとしたら、アルベルトが探りを入れて、それをビアンキーニに伝えた、その結果の事件、という流れだ。
そのような話はアルベルトの耳には入っていない。ルッソ側に流れた噂程度の話かもしれないし、複数の可能性が考えられる。だが少なくとも、クレマンスは殺されている。彼女が知っていたことは確かめたい。
マルコムが黙った。指がわずかに緩んだので、その手を外した。アルベルトは襟を直すのを後回しにした。
「クレマンスは他に何か言っていなかったか」
「……姐さんはビアンキーニの話を調べてた」
「どんなことを話していた」
マルコムは今度は急に項垂れる。図体の大きさに反して、萎れた子犬のようだった。
「詳しくは聞いてねえ。姐さんは俺に難しい話はしなかった」
「どうやら、やばいことに首を突っ込んでいたらしいな」
男は頷いたようにも見えたが、たださらに項垂れただけかもしれない。組の構成員とはいえ、なんだか不憫になってきた。
「付き合いは長かったそうだな」
「ああ。もう十年以上だ。姐さんは俺の命の恩人なんだよ」
男は口の端を動かしたが、笑ったようには見えなかった。アルベルトは溜息を吐く。周囲を確認してから、小声で言った。
「聖痕者が失踪したんだ。その捜査線上にクレマンスが仕事を紹介したんじゃないかという話があった。失踪者は見つかって、クレマンスとの関係はおそらくない。別件だ」
マルコムは、アルベルトの顔を見た。
「嘘だと思うならこれでおしまいだ」
「すまねえ」
「急に殊勝なこと言うじゃないか」
マルコムはへなへなと壁によりかかった。それから聞いてもいないのに身の上話を始めた。
「食う仕事がなかった頃に拾ってもらったんだよ。小さな仕事をくれた。それから、監察局に出す書類も指導してくれて、ルッソの一員になった」
体よくつかわれただけにも聞こえた。だがクレマンスと会ったとき、マルコムのことを気に掛けるそぶりも見せた。
「窓を割ったのも、あの女に知らせるためか」
「中へ入ってきたら捕まると思ったんだよ。お前がいたから」
「早とちりしやがって」
「すまねえ」
マルコムはまた謝った。こちらの戦意も削がれるというものである。
「お前のこと、気にかけてたぞ」
そう言うと、とうとうマルコムは泣き始めた。思った以上にクレマンスとのつながりは深かったらしい。
「今夜、ビアンキーニが荷を動かす」とマルコムが掠れた声で言った。
「誰から聞いた」
「あいつらの下請け連中だ。元狩猟者の男がいる。姐さんと仕事で揉めてたやつだ」
「……名前は」
マルコムは名を言った。アルベルトはその名を控えた。聞き覚えの無い名前だった。マルコムが本当の情報を知らないか、偽名か。
「そいつが犯人だと思っているのか」
「話を聞くくらい、いいだろう」
「一人でか」
「仇は俺が打つ」
「話を聞くんじゃなかったのか」
マルコムじゃなくても、ルッソの人間がビアンキーニの仕事にちょっかいを出せば話を聞くだけで済むはずがない。相手が知らないと言えば、知っていると言うまで殴りそうだ。
マルコムは聖痕持ちだ。どうしようもなくなってから、こちらへ仕事が回ってくるだろう。
「俺が聞く。お前は勝手なことをするな」
「そういうわけにいかねえ。姐さんは死んじまったんだ」
アルベルトは昨日の三人の服装と、警告の言葉を伝えた。マルコムは顔をしかめたが、知っているとは言わなかった。
「そういうわけで、こっちも用がある。ルッソでそういった話はないんだな?」
「俺は知らねえ」
だろうな。どこで火が着くかわからない男に、微妙な情勢にまつわる話など降りてこないだろう。マルコムがそれなりに組の仕事をこなしているという情報はあるが、あくまで道具として使われている。
この手の男は鉄砲玉に使われてあっけなく死ぬと相場が決まっているが、これまで生き残ってきたのはクレマンスの差配によるのかもしれない。であれば、彼女はマルコムの命の恩人と言っても大袈裟ではない。
「俺は正式に調査する。俺に気づかれないように、お前がついてくると俺は困るだろうな」
マルコムはぽかんとした。話が通じないようだ。アルベルトは咳払いした。
「気づかないふりをしてやるから、静かについてこい。勝手に暴れるなよ」
そこまで言うとマルコムはにやりと笑って、アルベルトの肩を叩いた。相変わらず力が強い。まるで猛獣である。
返事をしないまま、マルコムは歩き出した。アルベルトは追いつき、場所と荷を動かす時刻を確かめた。日暮れまでは、まだ時間がある。マルコムが言うには、薬物を船で運ぶのではないかということだった。
「なぜそう思う」
「下請けの数と護衛が多い。こういうのは大事な仕事の時の規模だ」
マルコムはただの馬鹿ではなさそうだ。現場の匂いを知っている。
途中の店で使いを頼み、行き先と帰着が遅れることを局へ知らせた。ディランへの確認事項も書き添える。また、そこで監察局の制服と剣を預けることにした。半ば潜入のような形になりそうなので、身分はある程度隠す。適当に上着を購入して羽織った。
マルコムは店の外で待っていたが、戻ると早速文句を言った。
「なんで服なんて買ってるんだ。もたもたしやがって」
「いざとなったら俺がお前を連行してることにしろよ」
「なんでだよ」
「こっちも色々あるんだよ」
組員と懇意にしているなどと噂されるとさすがに困る。その辺は根回しをしてようやく作れる難しい人脈なのである。
日暮れまで、荷場の近くで待つことになった。マルコムの案内で入った店は、飯を食うところというより、仕事のない者がしばらく腰を落ち着けておく場所に見えた。客の一人がマルコムに手を上げた。ビアンキーニの縄張りというわけではないらしい。
「余計な話はするなよ」とマルコムが言った。
「お前の方こそ余計なことをするなよ」
「役人はいつも余計なことばかり言うだろうが」
「余計なことして前科を増やしかけたばかりだろう、お前」
隅の席へ座ると、店の男が二人分の薄い煮込みとパンを運んできた。煮込みには豆と細かく切った肉が入っている。マルコムが頼むところは見ていない。いつもこれを食っているのだろう。アルベルトは代金を確かめ、自分の分を払った。
「役人と飯を食う日が来るとはな」
「牢で食ったばかりじゃないか」
「一緒には食わんぞ?」
微妙に冗談の通じない男である。
「ここにビアンキーニは来ないのか」
「荷運びに良い位置にあるだけだ。どこのもんでもねえ。ここでは誰も揉め事は起こさねえよ。起こすとしたら役人だけだ」
「治安が良いな」
マルコムは半分ほど食べたところで手を止め、入口を見ていた。入ってくる者のたびに顔を上げるので、こちらも落ち着かない。
「で、ここからどうするんだ」
「待つ。そのうちビアンキーニの下請けが現れるはずだ。そいつらをつける」
意外と論理的な作戦が出てきて内心驚いた。組織の猟犬としては確かに使い捨てにするほどの駒ではないかもしれない。腕っぷしの評判も低くない。先日簡単に取り押さえられたのも、マルコムが余計なことを考えていたからかもしれない。
「その元狩猟者が見つからない場合は」
「見つける」
「答えになってないだろう」
マルコムは質問に答えず、入り口を睨んだまま冷めた煮込みを口に運んだ。
「お前を殺したやつを捜す仕事まで俺に押し付けるなよ」
「死ぬのが怖けりゃ行かねえよ」
「クレマンスから敵討ちを頼まれたわけでもないだろう」
マルコムの目がこちらへ戻った。卓の下で椅子が鳴った。
「姐さんのことは言うな」
少し踏み込みすぎた。クレマンスのことを勝手に使うのはご法度らしい。アルベルトは両手で降参を示す。
「とにかく俺の仕事を増やすな。お前の死体を川から引き揚げたくはない」
ふん、とマルコムが鼻を鳴らす。
しばらくして、仕事着の男が入口から覗いた。マルコムに向かって短く頷き、すぐ通りへ戻る。呼び止めようとしたアルベルトより早く、マルコムが立った。
「下請けだ。今日でかい仕事があるって言ってた連中の一人だ」
彼らは食事を手早く済ませた。仕事の前の腹ごしらえということだろう。この食堂自体が、それで回っているらしく、注文から配膳までとにかく早い。
のんびりしているものはおらず、アルベルト達の周りの客もずいぶん入れ替わっていた。長居するのも悪目立ちしそうだ。
「暴れるなよ」
「分かってるって。うるせえな」
その返事を、どこまで信じてよいものか。外は夕暮れになっていた。川の方へ荷車が一台通っていく。マルコムは下請けの男達の後ろを、付かず離れず歩き始めた。
マルコムがアルベルトに視線で合図した。ある荷車に狙いをつけたようだった。荷車の荷台には男が一人乗っている。こちらへ顔を向けた時、マルコムの歩幅が変わった。
「見つけた」
街路の先が開け、荷場の屋根と、その向こうの川が見えた。




